~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

楽譜を見て弾くとき

2010年05月21日 19時43分45秒 | その他音楽
いいのか悪いのか別として、最近、楽譜を見て演奏する機会が増えてきました。
伴奏しかり、アンサンブルしかり、チェンバロしかり。
楽譜を見るのは安心ではあるのですけど、譜めくり人をつけるのかつけないのか、
またつけられない場合は、製本をどうするのか、なかなか悩むところです。

伴奏譜というのは、よくできている楽譜だと、両手がヒマになったところで譜めくりできるように編集されており、こういうものは助かるのですが、
たまに「なんでここで?」というようなミョーな楽譜とか、
ピアノパートがソロなみの密度&多忙のために、自分ではとてもめくれないものとか、
があります。
本番は譜めくり人をつけるとしても、練習のときが困るんですよね。
あまりにも難しいものだとめくり損ねたが最後、2ページくらいいっさい鍵盤から手が離せないものもあり、「・・どこでめくる?どこで?どこで?ああああ」とアワアワしながら弾きつづけることになります。
コピーして自分なりに作り変えたとしても、テープの質や紙の質によってはくっついたり、すべったり、で往生することもあり、製本についてはまだまだ修行中です。「これならば絶対大丈夫」という<作品>?はいまだできておりません。

先日、有名なチェンバロ奏者の録画DVDを見ていました。
上手い!・・・なにが上手いと言われても難しいのですけど、淡々と弾いているのに驚くほど多彩な表現、湧き出る音楽。音量も音色も指先では変化させられないはずのチェンバロという楽器からなぜあのような音がでるのか・・・不思議すぎます。
演奏そのものについてはまだ別の機会にでもお話するとして、驚いたのは楽譜。
使いこんだようなコピー譜のように見えました。ときどきはページが落ちそうですらあります。
あんなにべろべろになってて大丈夫なんだろうか・・と思うのですけど、これが大丈夫なんですよね。こみいった曲でも、絶妙のタイミングで自分でパッとめくる。
チェンバロはたとえ暗譜していても、楽譜を置いて弾くのが正式なスタイルだそうなので、譜めくり人を置かない場合は、譜めくりの所作も含めてのパフォーマンスということになります。
途中から必殺譜めくりの技に見とれて、時々耳がおろそかになったりしましたが(汗)、とにかくすごい・・・べろべろの楽譜とのコラボが(笑)。
あれくらいなじんだ紙だと逆にうまくいくもんなんですよね、きっと。新しいコピーだと紙は硬いし、インクは光ったりするしでどうもよろしくない。

要は、ちゃんとした楽譜であれ、コピーであれ、それくらい使いこめ、ということなんでしょうね。

本番で見る見ないに関わらず、べろべろになるまで弾きこもう(笑)。