~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

別府 その1

2008年03月21日 10時46分42秒 | 家族・友人等
昨日は、一昨日と大違いの大快晴。ただし少し寒め。


午前中はだらだらと洗濯を何クールもやり、その合間に自分の練習や娘のレッスン。

主人は終日オケの練習(その練習のための練習に付き合って、前の晩は私も2時近くまで防音室にいた)。

午後は、息子は塾の修了式。今頃修了式があるのも不思議な感じなのだが、デカいトロフィーと金メダルをもらってきて、ちょっと「どこに飾るの、これ?」という感じ。すでに部屋から小学校関係、塾関係のものは一掃されているのに(泣)。

夜は私だけバタバタっと、上手なお子さん方の合同コンサートを聴きに行き、なんでこんな巧い子どもが何人もいるのかとあきれて(?)帰ってきた。

夜中にゴソゴソと旅行の準備をし、今朝は台車一台分の資源ゴミを運び、9時前には新幹線に乗車。


今は、小倉―別府の特急ソニック(青い車体)の中です。

小学校卒業式

2008年03月19日 22時44分09秒 | 家族・友人等
なんでこんな天気になったのか・・と思うほど、今日の天気はひどかった。
春の嵐というのだろうか、雨降りまくり、風吹きまくり、気温もちょっと低く、卒業式に正装して出かけるにはあんまりな日だった。

でも、考えてみればこの学年、結構ポイントポイントの行事で大雨にたたられていて、運動会の延期は当たり前として、野外活動もどしゃぶりのテント泊、最後までこの学年らしかったと思えばそう思えなくもない。

本日開場が9時半、開式が10時だったのだが、私は委員の仕事(DVD渡し)があったので、9時には学校に行かなければならなかった。
たぶん、一人だったら間に合ったのだろうけど、娘がもう「雨がぁ・・・風がぁ・・・もう歩きたくない・・」とさっさと歩かないため、5分遅れで到着。
驚いたことに9時にはかなりの数の保護者が体育館前に並んでいた。すごい・・
これまで3人の子どもをこの学校に通わせたお母さんいわく「こんなの初めて・・」。


10時直前まで、体育館外でDVDの引き換えをし、ぎりぎりで席取り。もう席などなくて、足りない分の椅子を先生方が並べておられた。
椅子のこともだけれど、開式まで1時間も外で待たされた娘がじっとしているかのほうが気がかり・・。


私が体育館に入った時には、カッシーニの「アヴェ・マリア」がかかっていて、おごそか&若干暗めな雰囲気。なかなか渋い。
いよいよ卒業生入場となって、「卒業生が入場します。拍手はしないでください」というわけで、生徒だけが一人ずつ入ってくる。これは、5年生のリコーダー演奏によるエルガー「威風堂々」の中間部。
クラスによる区切りなく続いて入ってくるので、「4組まだだっけ?」といっているうちに、目の前を息子がスルー・・・。見事シャッターチャンスもスルー・・・。

全員が入場・着席したところで、娘が一言
 「もう終わった?」
・・・今からじゃあ、ボケ!・・


開式の辞から国歌斉唱にかけて、保護者は立っていいのか悪いのかでおろおろしまくり(笑)。あちこちで屈伸運動。
で国歌斉唱のとき、ここで起立するとか歌うとかは微妙な問題なので、私はどういう風にするのが望ましいのかはよくわからないのだが、
いきなり娘、私の口をふさぎ
「・・しっ・・・」
・・・なぜだ~・・・(泣)


卒業証書授与は、ひとりひとりが良く見えて、144名と児童数は多いけれど、知っている子も大変多いので、私は感慨深く眺めていたのだが、娘は退屈で退屈でしかたがない。
すわってはおれず、後ろの空いているスペースへ移動したのだが、ここでも動き回っている。
私の方も、ちょっと落ち着かず・・というのは、次々とかかるBGMが気になって曲当てクイズ状態(殴)。
ちなみに、気づいただけで

バッハ:G線上のアリア
パッヘルベル:カノン
モーツァルト:クラリネット協奏曲の第2楽章
アルビノー二:アダージョ
モーツァルト:フルート&ハープのための協奏曲の第2楽章
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲の第2楽章

がかかっており、かなり静かめ、特にアルビノー二あたりは「泣かす気か?」なチョイスで、これっていったい「卒業式のためのBGM」とかいうCDに入っているのだろうか?と気になった。


この間、娘はもう走るし、踊るし、しゃべるしでもうお手上げ。
仕方なくおんぶして拘束状態。こうすれば動かないし、しゃべるときも耳元で言ってくれるので、そう大声は出さない。
で、校長先生の話の時、
「ねえ、お話まだ終わらない?」

・・・ヲイ・・・


PTA会長のお話では、「運動会や修学旅行・・」という文脈で
「おゆうぎかいは?」

・・・もう、だまっとれ!・・・


もう、しみじみどころかキレそうでした、私。

卒業生・在校生のお別れの言葉は、卒業生がステージ上、5年生が下という配置で、歌を交えながら、それぞれが叫ぶことなく無理のない声量でやりとりし、好感が持てた。最後「さようなら」と言い交わしたあとで、校歌が斉唱されるタイミングは絶妙。

PTAからの謝辞があり式は終了。今度は二人一組で退場。
私はこれまた委員の仕事があって、花束と寄せ書きを持って、教室へダッシュ。
各クラスで子どもたちから先生へ渡してもらう予定なのだが、これにはほかの保護者は時間の都合上参加できない。

しばらく待って先生が来られたのだがなぜか、そのまま階上へ行かれたなあ・・・何かな?と思っていたならば、なんとアンプとエレキギターを持って登場。
・・言っておきますが、先生は二人のお子さんをお持ちの、たぶん私たちと同じくらいの年代の女性。そして本日は袴姿・・・
子どもたちには「最後に、スピッツの歌を歌うよ」(これは先生の好きな歌)とおっしゃっていたらしいのですが、「みんなのために何かしたい、何ができるかな、と考えて、1月から練習しました。でも、まだ全然上手じゃないの」ということ。
すでに、号泣に近かった女子はもう大変な状態。
でも、先生なぜか音が出ず、いろいろいじっても出ず、ちょっとあたふたされてて・・・私が見ましたら、メインボリュームが絞りきってありました(笑)。
で、手拍子入りの感動の「魔法の言葉」の合唱。私は役得で聴かせていただきました。そのあとで、寄せ書きと花束を渡して、さすがに先生と生徒が涙涙なのに、私がいる場でもなかろうと、娘をひきずって退場。



雨のため、正門までの見送りができずに、先生&児童は校舎内をぐるっと回った後に解散だったのだが、再び今度は保護者も教室に戻って、今度はお互いの写真撮影が続くこと延々・・・・。

天気には恵まれなかったのだが、なかなか感動的、大雨の記憶とともに忘れられない卒業式となった。



帰り道、娘は傘は風にもっていかれそうだし、服はびしょびしょだしで、大泣き。
「お兄ちゃんが、年長さんだからだ!(怒)。卒業するのいやなのに」

・・・わかったような、わからないような・・・





フランク 合わせ&レッスン

2008年03月18日 11時49分49秒 | 室内楽
昨晩、チェロとの合わせ&レッスンがありました。

先生は、友人のチェロの師匠で、舞台ではよく拝見するのですが、こんな至近距離ではお会いするのも初めて。
お弟子さんは地元の交響楽団員をはじめ、プロの方がほとんどときいています。

8時過ぎから一時間半ほどかかりましたが、当然のこととはいえ、ピアノだけをピアノの先生にみていただくのとはほんと違うんですよね。

フランクのこのソナタは、テンポの変化が激しく、ルバートやタメも多いので、そういうこまかな点をよくつめておかなければならないのですが、ソロのときはまあ「本番はクレッシェンドやアッチェレランドがはやくかかっちゃった」ですみますけど、デュオの時は「この音から」ということを一応びしっときめておく必要があります。
それと「譜面上はこうだけど、演奏する場合はこちらの方が一般的」とかいう点なども多々あるようで、まずはそういう楽譜の書き込みをしなければならないことがたくさん。

次に、チェロの奏法に関係する独特の間の取り方。
特に難しかったのが、ピアノはただ順次進行でアルペジオがずるずるっと続いているそのど真ん中で「時間をください」といわれるのですが、どうしても次につっこんでしまうんですね。メロディーと弓の動きを意識すれはできるのでしょうけど、単純なことなのに難しい。

ピアノ部分そのものについても多々ご指導いただきました。
最初おっしゃる時に「私は、ピアノのことはよくわからないので、無理なことを言ってたら、言ってくださいね」といわれたのですが、「大丈夫です」といってしまったせいかどうなのか(笑)、だんだん「それは・・・難しすぎるっ!」みたいなことが出てきて、でもそれは私が自分で弾いているのでなくてもし他人が弾いていたら絶対要求するよな、と思うことでしたので、心を入れ替えて(?)今難所の練習に取り組んでいます。

それはたとえばどういう部分かというと・・・
ピアノ弾きならわかるように、何が難しいといって、右の小指でメロディーを弾き右の残りの指で内声(アルペジオなど)、左の小指でバスの長い音を弾きあとの指で内声を弾くというのは大変難しいことです。
それがまた音がとんだり、速かったりとなるとこれは並みのテクニックでは弾けません。
で、当然というか内声は相当おさえて弾かなければならないし、メロディーとバスはバランスも大事です。
もちろんピアノの先生にもこういうことはかなり言われますし、大変大切な技法なのですが、指導にどこか「こういうの難しいものね」というやさしさがあるわけです。「自分でも難しいと思うし・・」みたいな。
これが楽器が違うと容赦ない。メロディーは肉厚の音でずーっとレガートで、バスはたとえオクターブの速い動きであっても絶対にはずせない箇所だからしっかり、という感じです。


それってたとえば、私らがシンフォニーをいつもベルリンフィルだとかウィーンフル等々のCDで聴いてて、実際にある日リーズナブルなお値段で聴けるようなオケで同じ曲を聴いたとき、バイオリンの高音のキメの音がはずれたり、気持ちよくきいていたい管楽器のロングトーンが「ぶちっ」と切れたりしたときに、心のどこかで「・・・ヲイ・・」とつぶやいてしまうのと同じことなんですよね、たぶん。
そんなこといってしまえば、たとえばピアノを弾かない人がゆっくりゆっくりの「革命」とか「木枯らし」を聴いたら、「・・ヲイ・・」どころか、「・・コロス・・」と思うかもしれないです(爆)。


うちは夫婦で楽器が違うので、以前合わせをしたりしていた時は、よく「そういうけど、ここはメチャクチャ難しいのよ」とか「そりゃ、ピアノではそういうことは簡単なのかもしれないけど」と、お互いいうことがありました。
でも、その場合は結局「楽器違うからね」で終わりでしたが(汗)。


ちょっと前にH先生にレッスンを受けたときに、「ソナタのときは、相手の楽器に合わせた音と弾き方を」といわれたことがちょっとわかったような気がしました。
でもそれって、すごく難しい。
でも、曲として仕上げていくというのは、やはり難しいものを難しいといっていてはいけないですね。
いい機会なので、もう少し頑張ってみます。







なにごともビギナーは大変

2008年03月18日 10時11分22秒 | 家族・友人等
一昨日某国でのデモの様子がテレビに映り、それを見ているうちに、こういうことになると俄然エキサイトする友人のことを思い出し(特に思想的にどうこうという友人はではないのですが・・)、メールを打ってみました。
すると、「先だって父が亡くなり、葬式ビギナーはもう大変です・・・」

・・・・・・知らぬこととはいえ、バッドタイミングで変なメール打ってすまん・・・

と思っていたところ、昨日昼いきなり電話がかかってきました。

私 「大変だったのね。知らなかったこととはいえ、ごめんね。ところで、今どこ?」

友人「東京。父は、年も年だったから心の準備はできていたのだけれど、実技がねえ・・・」

私 「実技?」

友人「そうそう。夜中にトイレにたってそのままだったから、警察の事情聴取があったらしく母はパニック、葬儀屋さんには大金を渡さなければいけないのに、お金が引き出せない。父の口座も閉められちゃうわけだし。私が帰った時には、すでに遺影が置かれていたのだけれど、これがまた・・・」

私 「なに?・・・・」

友人「えっと・・うちの父って船長さんだったっけ?駅長さんだったっけ?って」

私 「どういうこと?」

友人「遺影はほんとに慌てて弟が探し出したらしいんだけど、晩年の父はずっと帽子ばかりかぶっていて顔に影が入っているわけ。ちゃんと顔を写っているものが一枚もない。唯一ちゃんと写っていたのが、コスプレっていうか・・・」

私 「コスプレ?・・・」

友人「父は旅行が好きで、身体が不自由になってからも旅行ばかり。亡くなってから、母があちこちの旅行会社の電話して解約しまくらないといけないくらい先の先の予定まで組んでいた。で、釧路だかどこだかにいったときに、船長さんの格好をしてるのだけが唯一顔がちゃんと映ってて・・・」

私 「もしや、それを遺影に?」

友人「そうなのよ。しかもこれが<オッス>のポーズ。私の友人もそれを見て『あなたのお父さんて船長さんだった?』と」

私 「・・それは・・お父さん怒ってないかなあ(笑)」

友人「まあ、写真が笑ってるからいいや、と」(←そういう問題か?)


友人のお父さんというのは、昭和一ケタの九州男児で、病気で半身が不自由になられてからも、「年寄り扱いするな」「手助けなんかいっさいいらん」という自分に厳しいお方で、話から想像するに「コスプレでオッス!」な方ではまったくない。
トイレで逝かれたのも、ここのところそちらの方で身体に不具合があり、さすがに独力でまかなえない部分が出てきたので、その哀しみと怒りのあまりの憤死なのでは・・という憶測さえも周囲から出ているほど。
それにしても・・・・おそるべし遺影・・・・・


遺影といえばですね、私の祖母が亡くなったときも、ご多分にもれず、バタバタして写真を探したわけです。
小さいサイズの時はたぶんあまり目立たなかったのでしょうが、引き伸ばすと前歯が2本ほど不足している(笑)。
で、父が歯を描き足したのですが、これがまた慌てて描いたもんでミョーに白っぽい。遠方から慌てて帰ってきた叔父(絵描き)が「これじゃいかんだろう」というわけで、色味を調えてなんとか遺影にして今に至る・・というわけです。


友人は、
「もうね自分たちは冠婚葬祭タブー集にのってるみたいな、<これやってはいけません、あれやってはいけません>みたいなことばっかりやってしまったのだけれど、一人、ほんとにしっかりした親族(40歳くらい)がいて、地元の焼物(食器)50組くらいを『これ使ってくださいね、全部洗ってありますから』と持ってきてくれて、ほんとに助かった。弔問客の応対も地味にそつなくやってくれたし」
と言ってました。
こういうときにきちっと仕切ってくれる親族ってありがたいですね。
当事者は、普段予習しておくわけにもいかないですから、こればっかりは・・・。







年度末の片付けに思うこと

2008年03月16日 23時21分45秒 | 雑感
小学校の卒業まであとわずか・・というわけで、「今日こそは!」と息子の部屋のものを、本人と一緒に片付けました。

受験直後くらいに、塾のテキストやプリントなどを小さい台車一台分くらい出していたのですが、まだあるまだある・・・
学校関係のものだけでなく、受験関係のものもまだまだ相当ありました。
5年のときの分がクロゼットにどさっと入っていたんですよ。これでまた段ボール3個分くらい。

ほんとにこんなに勉強したのだろうか・・アヤシイ・・



最近思うのですが、意外と音楽の勉強って楽譜以外にはあまりものは増えないような気がします。
もちろん楽器はいるし、CD類も増えますけれど、それでも机で勉強する学問よりはものは増えないかも・・。

私が一番「大変だなあ・・」と思うのは、立体作品を作る方々。
たぶん子どもさんをお持ちの方は、今の時期、学校から絵やら作品やらを返却されていると思うのですが、これはなかなか捨てられません。
娘が通っている造形教室でも、毎週いろいろなものを作っては持ち帰り、しかも年一回の展覧会のために保存しておかねばならないのですが、それだってどこに置いておこうか、と思うわけです。
まして、彫刻などの大きな作品を作られる方々はいったいどうやって作品を保存しておられるのか、と気になって仕方がありません。

携帯だって、カメラだって小さく小さくなっていく時代、そしてペーパーレスの時代に、これほど収納に困るものってないのでは、と思うのです。

でもコンパクトに傾く時代だからこそ、逆にそういうものにも魅かれます。
建築を志す方とか、壁画を描かれる方々は、大きな空間に自分を解き放ちたいという欲求をお持ちなのでしょう。

音にしても、やはり「遠くへ、広い空間へ」響かせたいと思うわけで、時々は戸外の広い空間でボーっとする時間がなによりの栄養です。


・・・イメージに合わないですか?
そうでもないですよ、今でもひとりで河原で昼寝することもあります(笑)。
もちろん、季節のいい時ですけどね。


そろそろ桜が咲きます。
20代はじめまではなぜか桜が嫌だったのですが、その後好きになりました。
たぶん・・・
桜が咲いたら、花見があって、お酒が飲めるからでしょう(逃)。





某「おさらい会」

2008年03月15日 23時02分56秒 | ピアノ
本日午後は、某先生門下のおさらい会を聴いてまいりました。

昨年初めて聴いたときは、あまりのレベルの高さにただただびっくりして、楽しむと同時に、同じ楽器を弾くものとしては消耗もして帰ったのですが、本年はびっくりするのはやめて(笑)、じっくり聴いてまいりました(といっても最後の方は時間の都合で聴けなかったのですが)。

ここの生徒さんたちは小学校高学年くらいになると、ショパンのエチュードは結構弾かれます。
今日も小学校5年生の子がショパンのスケルツォの1番を弾いてました。このお子さんの演奏は私3年前から聴いてまして、小2の時、小犬のワルツをそれはそれは上手に弾かれたのを聴いたときは驚愕いたしました。昨年は同じくショパンのエチュード25-2と幻想即興曲を弾き、今年はついにというべきかスケルツォの1番。
そう身体の大きい子ではなく、手も小さいそうなのですが、今年は少し体格もよくなったせいか、冒頭の不協和音はなかなかの迫力でした。
スケルツォは私は2番を少し弾いてみたことがあるくらいで、自分からは遠い曲なのであまりよくわからないのですけど、この内容を5年生が弾くというのはなかなか大変なことだと思います。


2年続けて聴くと、それなりに気づくこともあります。
昨年は「おおっ!」と思った子がそれほどでもなかったり、逆に今までセンサーに引っかかってこなかった子がいきなり気になり出したり・・・。
これはもちろんその子の成長とか練習ぶりとかに関係することだとは思うのですが、もうひとつ選曲も大きいようでした。
昨年フランスっぽいものをおしゃれに粋に弾いていた子が、今年はドイツ・ロシア系のヘビーなものを課題とされていて、曲想から音の出し方から、非常に苦労している感じが伝わってきたり、
昨年歌のある曲を生き生きのびのびと弾いていた子が、今年はリズムやハーモニーの難しい曲を課題にされたり、
と先生のご指導の方針もなんとなく伝わってきました。


ここの生徒さんたちは、ほとんどが音楽に進路をとられるので、もし小学校2年から聴いたとすると、約10年間毎年聴くことができるわけで、それも楽しみのひとつです。
実際、昨日友人から「昨年聴きにいって大変面白かったのですが、今年はいつでしょうか?」と問い合わせのメールをもらい、昨日の今日というぎりぎりのタイミングで一緒に聴きにいったといういきさつもあり、「おさらい会」といえども、関係者でないリピーター(ストーカーではないです・・・笑)もついたりなんかするわけです。


来年も楽しみにしています。



今日はなんの日?

2008年03月14日 20時24分52秒 | 雑感
昨晩「明日はホワイトデーだね」という話を夕食の時、家族でしていたのですが、どうも、3月14日という日になにか別のかすかな記憶がある・・・・
確定申告は17日締め切りだし、さてなんだろ?
・・・・・・結婚記念日でした(爆)。しかも15周年。
私たちは入籍日と挙式日が同じでないせいもあって、「えっとどっちだっけ?」ということが多いのですが、3月14日は入籍日なので、正式な記念日です。
なのに、二人とも忘れてました・・というより、うちではあまりそういうことは問題にならないもので(汗)。


その話の流れだったかなんだったか、「昔の日本のお父さんは、大黒柱っていうか一家の長でエラくてこわかったんだ」という話題になったとき、なんか息子がブツブツいってるわけです。
「・・・・ええっと、なんだっけ、なんとかしては夫を従え、老いては子を従え・・・・」

・・・・ま、まさかマジで言っているのではあるまいな?でもウケ狙いにしてはうま過ぎる、天然で言ってるとしたらウチを語りすぎている・・・(殴)


本日14日、朝6時から申告書の清書をし、午前中提出してまいりました。
かなりの雨。
確定申告は街のど真ん中のビルのホールで出せばよく、ただ提出するだけならアッという間です。
・・・がしかし・・
「えっと、ご主人の生年月日抜けてますよ~」「銀行口座も書いてくださいね~」
自慢ではないですが、書類が一発で通過したことはないです(汗)。
たぶんこのあとも計算間違い等で税務署からまたご連絡いただくことでしょう。


息子の制服を受け取り、のだめの20巻を買って帰宅。
午後からは半年ぶりの調律をお願いしてました。
うちは夏場は除湿をかけっぱなしでピアノの状態も安定しているのですが、逆に冬場のほうが気を配ってなく、寒かったり乾燥したりで、ピアノがガラガラって感じになります(わかりますかねえ)。
ガラガラってところにガシガシ弾くもんで、そのうちシャーンとかいう音が混じりだしてしまい、どうかするともとの潤いのある音に戻らなくなってしまうんです。

単に音律を整えてください、というならまだしも、私のわけのわからない説明をきいてくださり時間をかけていろいろやってくださる調律師さんにはほんとに感謝です。
私は自分ではそう楽器や音にはうるさいほうではない思っていますし、希望としてはどんな状態の楽器でもシレっと弾けるようになりたい、と思っているのですが、やはり和音のバランスを聴きながら練習するのなんかは、状態のいい楽器でないと難しいような気がするんですよね。
でも、だんだんああでもないこうでもない・・と言ってるうちにどこまでが楽器のせいで、どこからが自分の腕のなさのせいなのかわからなくなり(爆)、結局はもう少し自分自身がピアノという楽器の仕組みと、可能なこと不可能なことを知らなければいけないなあ・・と思ってしまいました。

調律前より、タイトでずいぶん聴きやすい音になりました。
これで、うまく和音が鳴らないのをピアノのせいにしなくてすみます(殴)。


このごろチェンバロ習ったり、旦那のバイオリンを無断でいじったり(逃)してるせいか、楽器としてのピアノそのものの構造が気になってしかたないです・・・今まで気にしないで弾いてたのかといわれると何も言えないのですが・・・。





シャープがイヤだ

2008年03月13日 13時58分49秒 | 家族・友人等
娘が一筋縄では行かないのは以前からのことなのだが、昨日はピアノの先生もお困りのよう。

迎えにいったならば、
「シャープがあるのはイヤだって弾きませんねえ」
「この曲はまだ弾けるようになってないから、って弾きませんねえ」

・・・おい・・・
まったく同じことをうちでも言っている。私の前でも先生の前でも弾かない。だからといって一人で練習するふうもない。つまり、イヤな曲には触らずしまいということだ(汗)。


ちょっと前までは、幼稚園児なので楽譜はまあおいといて・・と思って、私が「次はこれ次はこれ」とある程度鍵盤を指示していたのだれど、いつまでたっても、ト音記号の真ん中のドからソ以外の譜読みが進まない。へ音記号にいたってはもっと話にならない。
なので、「読んで弾く」ということを心がけはじめたらいきなりこの有様。
しかもそろそろト長調、ニ長調あたりが登場し始めたらものだから・・・・。

私だって気持ちはわからないでもないのだけれど、習慣になる前に弾いたり弾かなかったりがあると、あとあと大変困るので、シメましたよ、さっそく。

「シャープがイヤだ」いうのは、譜読みの面倒もあるのだろうけど、本人がなにより嫌がっているのは「鍵盤からすべって落ちる」ということ。
白鍵ばかり弾いてると大変ポジションが手前になっているもので、黒鍵にはいきなりよいしょ、と指を伸ばすことになるのだが、まだ手が小さいもので指がずるっと落ちてしまう。
これがイヤで仕方がない、という。ポジションを少し移動させてあとは慣れるまで練習するしかないと思うのだが、これがなかなか抵抗があるよう。


「この曲はまだ弾けてない」というのは、もちろん練習しないせいもあるのだけれど、「読んで弾く」とどうしても一小節単位になってしまって、小節と小節がなかなかつながらない。左手の場所が少し移動したりしようもんなら、そのたびに曲が途切れる。しかも練習不足だから、先生の前には部品のままを持ち込む感じになってしまい、どうもそれがイヤで弾きたくないようなのだ。
だからといって、弾かないのではお話にならない。

ただこのあたりの扱いは難しいかなあ・・・と思うのだ。
娘は割合指は動くので、次々音を教えればおそらく1週間で課題は仕上がると思う。形になれば一応ほめられると思えば、それに味をしめて楽譜もザザッと読むようになるかもしれない。
ただやはりそれではいけない、と思う。どうしたらいいという明確な考えは私にはないけれど、ここでは先生も私も慎重に進めなければならないと思う。


         ~~~~~~~~~~~~~~~~~

今、わたしはちょっと必要があって、三善晃氏著の「ピアノ・メソード 第1巻」を眺めているのだが、入門の入門書にもかかわらず、大変興味深い内容だ。

1.ピアノのかたちを おぼえましょう
2.ゆびのなまえとばんごうをおぼえましょう
3.いすにすわるまえに、身体と呼吸の練習をしましょう
4.いすにすわって、すわる姿勢の練習をしましょう
5.鍵盤にさわってみましょう
6.指を鍵盤に落とす練習と、鍵盤から抜く練習をしましょう
7.指の角度と形
8.重心を移しながら指をかえる練習

で第1巻が終わる。
写真が大きく載っていて、かなりぜいたくにページが使われているし、ただの「ド」の連打でも、三善晃氏作曲の複雑な和音伴奏のおかげで色彩感のある「ド」が楽しめる。
この目次を見てもおわかりのように、脱力奏法を最初から視野にいれたメソードだと思うのだが、指の支えを作るために、まずは指4本(<レ・ミ・ファ・ソ>と<ミ・ファ・ソ・ラ>の交代)練習があり、徐々に3本、2本と減らしていく。

呼吸についても参考になる。

簡単にいうと、「息を吐きながら肩をあげ」「息を吐ききったら3つ数え」「肩をストンを落とすと同時に域をすっと吸う」

よく「息を吐きながら肩をおろす」という動作はやると思うのだが、その逆にもかかわらず、結構肩は楽になる。
私は曲の「入り」がうまくいかないことが多々あるのだけれど、その場合は呼吸がまったく逆になっていることもあるので、やっぱり呼吸は楽器演奏の基本なのだと思う。

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ある意味で、初心者が身近にいるということは、実は自分にとって大変ありがたいことなので、私もこの時間を大切にしたいと思っている。



イゾルデは男でも可?

2008年03月12日 12時38分15秒 | 見る・読む
午前中、どうしてもやらなければならないデスクワークがあって、しかもそれはほんとに「イヤイヤな」仕事なもので(笑)、テレビでもつけましょう・・とつけたところ、あるチャンネルではバイオリンの演奏をやっており、あるチャンネルではバレエをやっていた。
バイオリンだとそのうち向き直って真面目に見てしまって仕事にならないだろうから、とバレエをとりあえず選択した。

最初の頃は、割合にクラシックなバレエだったのだが、そのうちにどんどん現代的になりそうな気配。そうなるとなんだか気になって仕方がない。
振付家ノイマイヤーのドキュメンタリーものだった。

私はバレエはさっぱり・・・なのだが、モーツァルトの「レクイエム」、ヘンデルの「メサイア」のバレエくらいからテレビを振り向く回数が増え、「ニジンスキー」というバレエで椅子から立ち、「かもめ」(原作:チェーホフ)でついにテレビの前にすわった。
「かもめ」のラストシーンは衝撃的なものなのだが、そこにショスタコーヴィッチの15番の交響曲が使われていたことで、表現のしようのない複雑な感情をかきたてられた。

そして、続いてなんとも聴きなれた曲が・・・

なんと「イゾルデ愛の死」のワーグナー=リスト版。もちろん楽器はピアノ(エリザベス・クーパー演奏)
これがなんというバレエのどこに使われていたかというと、「ベニスに死す」のラストシーン。
もう、びっくり!
固定観念だとは思うのだが、「ベニスに死す」というと、やはり作者トーマス=マンの交友関係、それからなんといってもビスコンティ監督の映画の影響からマーラーの交響曲5番のアダージョで決まり!みたいなところがあった。
原作は老作家が美少年にぞっこんになってしまうという話なのだが(これはマンの実体験なのだそうだが、実際はマンはそのとき30代で妻も子もあったとか)、バレエのほうは「功なり名遂げた振付家が美の化身ともいうべき少年に殉ずる」というストーリーになっていた。
ラストシーンでは、ワグナー=リストの「イゾルデ」が途中のカットなくそのままの形で流れ、舞台では真っ青な空と海を背景として、老振付家と美少年の最期(?)が演じられるというわけだ。

「イゾルデ」というと、これはもう<男&女>の愛の話としか考えてなかった(もちろん原作がそうなので)私にとって、<男&男>であの音楽というのは目からウロコ。
でも、実際舞台をテレビで見てみると「これもありかな」と思えた。
あのダラダラとしたしつこいほどの転調が、どこかこう老振付家の少年への未練と、あの世まで持ち込まなければなんともならない哀しさと陶酔みたいなものを表現しているようでもあり・・・・・。
そう思えるのはもちろんノイマイヤーの振り付けのすばらしさなのだろうけど、逆に曲そのものをストーリーから離れて聴いてみる、という貴重な体験をした。



・・・・というわけで、デスクワークちっとも進まず・・・・







ひさしぶりのチェンバロ

2008年03月10日 21時30分42秒 | レッスン&セミナー
昨日は、午後3時半小田原発の<こだま>でまずは名古屋へ。
名古屋からは乗り換え10分で<のぞみ>に乗り、広島には午後8時20分くらいに着きました。

名古屋で、赤福が買えないかと期待したのですが、さすがにちょっと無理でした。


今日午前はひさびさのチェンバロのレッスン。
前2回が、息子の熱と娘の入院(すべり台事件)で行けずじまいだったので、勘が取り戻せるのかどうか、いやその前に何から何まで忘れてしまってるのではないかとちょっと不安・・・・。
レッスンは友人と時間差で組んでもらっていて、私が後の方なのですが、私がついたところ友人はまだレッスン中。
バッハのメヌエット(ト長調&ト短調)と平均律のプレリュードを弾いていました。
こういう一見易しそうな曲は、ピアノでもなんでもタッチがもろバレになってしまうので大変難しいものですが、友人も苦戦している模様でした。
プレリュードをこうして近くでチェンバロで聴くと、同じ音型が繰り返されるさまが、熱を帯びたり波打ったりと、不思議なことにピアノで聴くよりダイナミックな感じがしました。


私は、フランス組曲第5番の「アルマンド」「ルール」「ジーグ」を弾いたのですが、最近の私の課題「なにもしないで流れるところを作る」「スッと曲に入る」というがここでも課題として目の前に示されまして、これはよくよく難しいことなのだよな・・と思うのですが、性格的にそういう曲想に向いてる方はすぐできるものなのでしょうか?う~ん・・・・

この3曲の中では、「ジーグ」は速くて活発な曲なんですが、私が弾く前に先生、
「派手なの好きでしょ?」
「え?」
「8フィート×8フィートにしましょう」
・・・・これは、上段鍵盤全体を少し向こう側に押し込むと、下段鍵盤を弾くと同時に上鍵盤も動き、両方の音がでるようになることらしいのです。
「・・もっと派手なのがいいかしら?では、8フォート×8フィート×4フィートにしましょう」
・・・・これはですね、レバーを操作して、高い音も同時に鳴るようにするもので、全体では「バリバリ・・・・」って感じの感じの音になります。

弾いてても「おおおおっ・・」という感じの、興奮するなといわれてもムリな音が出るのですが、先生がおっしゃるには
「こういう曲合いますねえ、ほんと。いいですよ」
(爆)

ピアノより古い楽器にもかかわらず、弾いてて電子系の楽器のような「キテル」感じが時々襲ってくるのは、私がヘンなんでしょうか?

不思議です、チェンバロ。

フランス組曲第5番はとりあえず全曲弾きましたので、次はスカルラッティをやる予定でおります。