なにがめでたいって、わが師匠がパパになられました。
4月のコンチェルトを聴いた際の
不思議体験が、なんだかつながった感じです。
びっくりしました~、全然知らなかったので。
ほんとにおめでとうございます。
ところで、そのまさにショパンコンチェルト第1番の第2楽章(抜粋)を午前中、友人と合わせてきました。
・・・あ、私は伴奏のほうですけど・・・
いい曲ですね~! 難しいけど、ま、伴奏だから気楽(笑)。
昼は別の友人(Mちゃん)とランチ。
幻想即興曲の話でもちきり(笑)。
「仮装さん、あれ弾くんですか?え、弾いてて照れる?わかりますわかります。あれって聴いてても照れますモン。『まだ日も高いのにいや~ん』みたいな」
・・・・え?「日も高いのに」?・・・あなた、いったい何を考えておられます(爆)。
「最後のほう、ラソミミファミドドレドソソとずっと下ってきて、左手でソソラソファソ~♪のとこなんてねえ、もう照れずにはいられませんよ」
・・・・わかってくれる人がいてよかった。いや私以上に照れてますね、この人。
で、二人で考えてみたわけです。この曲は<遺作>となってて「死後は破棄するように」との遺言に背いて存在するわけですが、ほんとに残したくない曲だったら作曲家の名誉にかけて自分で破るでしょ?それを「私が死んだら捨てろ」というのは、他人には弾かせたくない秘蔵の一曲と考えることもできるのでは?と。
いったいショパンの真意はどこにあったのか?・・・ナゾです。
Mちゃんとの会話中、なにかの拍子に私が
「このたびは」
といったわけです。
すると間髪を入れず、Mちゃん
「ヌサもとりあえず」と(爆)。
いやもうウケました・・・・死ぬかと思った。
しかも、
「仮装さん、この歌って百人一首ですよね?
<このたびは>はいいんですけど、<ヌサもとりあえず>もわかんないし、<かみのマニマニ>はもっとわからない。<マニマニ>ずっと謎でした。とりあえず丸覚え」
ヌサとかマニマニ・・、なにやらアフリカかどこかのかほりがします(笑)。
ちゃんとしたものをとりあえず書いておきます。
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菅家(菅原道真の尊称)
このたびは ぬさもとりあえず 手向山(たむけやま) もみぢのにしき 神のまにまに
<歌意>このたびの旅は、(御幸のお供をするあわただしさで)おそなえする幣帛も用意できませず、さしあたって、この手向山のもみじの美しい錦織のようなものを、神のみ心のままにおまかせします(から、、幣帛としてお受け取りください)。
※幣帛(へいはく):小さく切った絹布・紙で作られた、神への供え物。
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・・・なかなか楽しい一日。