田舎では、、、、、
お隣さんがドジョウがたくさん捕れたといっては、おすそ分けを頂き、、、代わりに山菜で返礼をする。
他人がドジョウをたくさん捕ったからと妬む事はない。 お隣さんの利益は我が家の利益でもある。
我が家で採れ過ぎて困ったものはご近所さんにお配りする。
だから隣近所は、みんな家族のようなものである。
高校に受かったといえば、わが子のように喜んでもらえ、お祝いなどを頂く。
自分ひとりが富めばいいという感覚は育たないし、みんなで豊かにならないと意味がないと感じるようになる。
隣が落ちぶれて喜ぶ事もない。 自分の利益にならないし、 みんなで分け合う生活スタイルだからだ。
一方、都会のサラリーマンは、、、、
会社からもらう給料が全て。 給料が上がるか下がるかしかないのである。
ポストも限られるから、他人が出世すれば自分のポストが無くなる。 他人の幸せと、自分の不幸が対になっているのだ。
受験勉強も同じ。 定員が決まっているところで競争をする。 他人を蹴落として合格となる。
奪い合っているのだから、他人の不幸が自分の幸福と感じるようになってしまう。
何とも悲しい話だが。。。 そういうことを理解していると都会の人間の思考も理解できる。
しかし、田舎の幸福論とサラリーマンの幸福論があまりにかけ離れている。
そして、それを自覚できないで当たり前のように生きている人間と相容れあう訳はない。
可愛そうだが、
子供のころから、椅子を奪い合っていれば
他人の幸福を、自分の椅子が奪われた結果だとかんじるのでしょう。。
奪わなければ奪われると感じるのでしょう。
奪う事が自分の幸福と繋がっているのでしょう。
おー怖い。。。。