知り合いの息子だと思い、すぐに、
ショートメールで軽いやり取りをしていたが、後日、京都に帰ってから丁寧なメールをもらう。
強い相手に何の工夫もなく負けた事が課題だと言っていた。 レスリングはポイント制だから戦略が大切になるが極真にはそれがない。 確かに、、、、、
息子2人の教育費、仕送りで大変そうであった。 そりゃそうだ、自分に置き換えれば途方も無いことだ。お父さんは偉いとツクヅク思う。
しかし、彼にはたくさん心配され、病気で大変な事を思えば、働けるだけありがたいことだと思うよ。。。
などと、気遣いをもらう。
病気で大変だといわれる事が多いが、 健康な体で、一生懸命走り続ける事の方が 大変だ。
生きてきた中で、この何年かは一番楽をしている時間が多い。
子供の頃は親との関係で、 中高は長距離ランナーとして、 大学での空手中心の生活、 就職してからは毎日遅くから飲んで泥のようになって眠る生活。 そして、劇症の潰瘍性大腸炎での通勤。
毎日、毎日追い込まれていて気の休まる時間がなかったように思う。
そういう日々を思うと、今の生活が楽に感じる。 それが嫌であり、このまま人生が終わるという恐怖感はあるものの、毎日の生活は世間ずれした隠居のようなものだ。それが自宅のマンション内であれ、病院のベットの上であれ、起きて、食べて、眠る。。。のみ。
しかし、人生は厳しさの連続なのが当たり前なのだと思う。 それを、苦しいと感じるか・ 楽しいと感じるか、自分次第で人生が変わってくるのだろう。
苦しいのを当たり前だと腹をくくって進み続けるといつかトンネルを抜ける、、そのときは、抜けようと続こうと本人には大した問題ではなくなっているのかもしれない。
そこまで、行けなかったのかもしれない。。。
勝手に苦しいと思っていた自分を救ってくれたとも言えるのかもしれない。
自分で、自分の人生を決めたのに何をわがまま言っているのだよ。。。。などという事かも知れない。
リタイア、して、ゆっくり休め、、、なのか?
戦いたくないなら、、戦わなくてもよい環境をあげるよ。。なのか?
はっきりしているのは、自分の感覚と世間の感覚が大きくずれていたという事。
もっと自由でいい。楽しんでいい。楽な道を探していい。
そういう事を悪だと幼少時に植えつけらられのをずっとき気がつかなかったのだ。。