唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

癌の治る人、治らない人。

2019-03-10 19:31:16 | インポート

 潰瘍性大腸炎で難病申請があるため年に一度は大腸カメラを入れて検査をしていた。
 それは、申請書類の為でもあるし、癌化が無い事を確認する為でもあった。

 毎年 そんな事を続けながら、

 2009年7月、地域の医院で検査をすると、その医院では取りきれないと言われるポリープが見つかり、
     大きな病院をいくつか紹介された。

  都内のT病院選んで診察を受け、ESDでポリープ処理をされる。

  取ったポリープは4×5cm程度でかなり大きく、時間もかかった。
  その際、医師が同じようなものを見つけてくれて、再手術でこれも取ってもらった。
  
  その際、なんと初めて生検で癌が疑われた。 

  潰瘍性大腸炎がなかなか落ち着かない中で、もう10年も経過し、その後も癌化の可能性が高い事から
    全摘手術を勧められた。

   しかし、断ってその後も経過観測する事にする。

 2回/年の大腸カメラで経過観測するも、症状は逆に良くなって行っていた。
 その頃は、薬も全部止めて、食事療法を中心に西洋医学に頼らない方法を取り入れていたがそれが奏功してた。

 毎回、興味を持った医師が何人も検査を見に来ていたが、彼らが良くなっていることが信じられないと、可笑しいと、感じていた事が感じられた。
 それ程、経過が良かったのだ。

  癌といわれれば、静養にも気合が入る。 
  今から思えば、余り正しくない事もあったが、当時は信仰のように厳格に信じる事を実行していた。

  夏場は、ジョギング、散歩、気功、太極拳などをし、冬場は動けないのでスキーを始めていた。
   周りからは、ほとんど遊んでいるように見られていたと思うが、自分中では思い切って社会に復帰する事も出来ず、もやもやが続いていた。

 そんな中、
 2012年11月。 劇症心筋炎。 人工心肺で蘇生し一命取り留めるも、一部が壊死しそこからの心不全。
        退院はしたが、負荷をかける生活は出来なくなった。

 2014年3月、久しぶりに大腸カメラを受けて、癌検出。 再び全摘出を進められるもお断りをした。
       経過を見てもらいながら、自分で治したいと思っていたからだが、病院からは診察を拒否され、
        自分の意思で手術をしないので癌が進んでも病院に責任は問わないとの念書を書いて退院。 

 2014年8月、心不全の不整脈を抑える薬を飲んでいたがその副作用で、薬剤性間質肺炎発症。
        酸素生活。 入院生活が長引き、その後、終末期病院へ転院。

 2015年5月、入院先の関連病院での検査時に大腸カメラをすると、
        腫瘍は目で見ても解るほど大きくなっていた。 その検査後、下痢も酷くなる。

 その後、2015年10月に終末期病院から退院し、在宅酸素。 


 あれから、もう4年近く、何もしていない。 
 2015年から酷かった下痢が最近落ち着き気味で、逆に出ない。 出血、水便も気になっていた。
  
 そんな中、そういえば、大腸内はどうなったかと、ふと気になり
    昔の写真を見返してびっくりした所だった。 当時でもかなり大きな腫瘍があったのだ。
 

 やっぱり進んでいるか? 
  検査もしないから忘れていて、結局厳しい生活にも成らず、ただただ日々を過ごしていた。

 完全に治る為に危機感が必要なのだろう。 現実を見せ付けられないとそうは気合が入らない。

  その為にも、検査は必要なのかもしれない。

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2009年7月。町医者で。

  



2010年7月。同じ。

 


2010年8月。 都内病院で。

  

 追加手術で。
  



2011年12月。経過観測。
  




2012年11月。 劇症心筋炎。
   

 

2014年8月。 間質性肺炎。
  



2015年5月。久しぶりの大腸カメラ。
  

 

  
 
 

    















  
 


 




病気になると感じる事。

2019-03-10 19:13:23 | インポート

 闘病が続いて、癌の手術が6度目とか、、、
    大変な人生を何事も無かったように送っている強い俳優さん。

 大切な家族がいて、家族の事を思うとさぞ残念な気持ちになるのだろうとも思うが、本人にとっては生きる希望となっていると言ってた。

 そういう感情の無い自分の場合、家族と共に生きられない事に対する悔しいとか、残念とか、無念とか言う感情は無くて助かるのだが、一方では、生きる力、とも成らない。

  希望が大きければ大きいほど絶望も大きい。
  大切なものがあれば、失ったときの失望も大きい。 


 自分が、 病気になった時、これといってやりたいことも無く、大きな希望も夢も無かった事は皮肉な事だが幸いだったのかも知れないと考えた事があった。

 やりたい事はやっていたし、未練があった事は、もう何年も前に自ら諦めてしまい復活する事は物理的に無理だった。

 大切な家族は居なかったし、むしろ感情を逆撫でされるだけだから、会いたく世話になりたくも無かった。


 病気が、やりたい事が無い自分に、何か生きる意味を持たせてくれているのかと思わせてくれるように感じてもいた。

 別に前向きに積極的に生きようとも思ってなかったが、
  自然体で自分の人生として受け入れるしか仕方がないと自然と思えた。

 しかも、それはじわじわと何年もかけて身に降り掛かって来たので、知らないうちに受け入れるしかなかったのだから幸いだったのかも知れない。