潰瘍性大腸炎で難病申請があるため年に一度は大腸カメラを入れて検査をしていた。
それは、申請書類の為でもあるし、癌化が無い事を確認する為でもあった。
毎年 そんな事を続けながら、
2009年7月、地域の医院で検査をすると、その医院では取りきれないと言われるポリープが見つかり、
大きな病院をいくつか紹介された。
都内のT病院選んで診察を受け、ESDでポリープ処理をされる。
取ったポリープは4×5cm程度でかなり大きく、時間もかかった。
その際、医師が同じようなものを見つけてくれて、再手術でこれも取ってもらった。
その際、なんと初めて生検で癌が疑われた。
潰瘍性大腸炎がなかなか落ち着かない中で、もう10年も経過し、その後も癌化の可能性が高い事から
全摘手術を勧められた。
しかし、断ってその後も経過観測する事にする。
2回/年の大腸カメラで経過観測するも、症状は逆に良くなって行っていた。
その頃は、薬も全部止めて、食事療法を中心に西洋医学に頼らない方法を取り入れていたがそれが奏功してた。
毎回、興味を持った医師が何人も検査を見に来ていたが、彼らが良くなっていることが信じられないと、可笑しいと、感じていた事が感じられた。
それ程、経過が良かったのだ。
癌といわれれば、静養にも気合が入る。
今から思えば、余り正しくない事もあったが、当時は信仰のように厳格に信じる事を実行していた。
夏場は、ジョギング、散歩、気功、太極拳などをし、冬場は動けないのでスキーを始めていた。
周りからは、ほとんど遊んでいるように見られていたと思うが、自分中では思い切って社会に復帰する事も出来ず、もやもやが続いていた。
そんな中、
2012年11月。 劇症心筋炎。 人工心肺で蘇生し一命取り留めるも、一部が壊死しそこからの心不全。
退院はしたが、負荷をかける生活は出来なくなった。
2014年3月、久しぶりに大腸カメラを受けて、癌検出。 再び全摘出を進められるもお断りをした。
経過を見てもらいながら、自分で治したいと思っていたからだが、病院からは診察を拒否され、
自分の意思で手術をしないので癌が進んでも病院に責任は問わないとの念書を書いて退院。
2014年8月、心不全の不整脈を抑える薬を飲んでいたがその副作用で、薬剤性間質肺炎発症。
酸素生活。 入院生活が長引き、その後、終末期病院へ転院。
2015年5月、入院先の関連病院での検査時に大腸カメラをすると、
腫瘍は目で見ても解るほど大きくなっていた。 その検査後、下痢も酷くなる。
その後、2015年10月に終末期病院から退院し、在宅酸素。
あれから、もう4年近く、何もしていない。
2015年から酷かった下痢が最近落ち着き気味で、逆に出ない。 出血、水便も気になっていた。
そんな中、そういえば、大腸内はどうなったかと、ふと気になり
昔の写真を見返してびっくりした所だった。 当時でもかなり大きな腫瘍があったのだ。
やっぱり進んでいるか?
検査もしないから忘れていて、結局厳しい生活にも成らず、ただただ日々を過ごしていた。
完全に治る為に危機感が必要なのだろう。 現実を見せ付けられないとそうは気合が入らない。
その為にも、検査は必要なのかもしれない。
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2009年7月。町医者で。
2010年7月。同じ。
2010年8月。 都内病院で。
追加手術で。
2011年12月。経過観測。
2012年11月。 劇症心筋炎。
2014年8月。 間質性肺炎。
2015年5月。久しぶりの大腸カメラ。