今の自分の身体を見ると余りに変わっていて不思議なのだが、
運動をやめて10年も経っているのに体形があまり変わらなかった当時も、自分の身体が不思議で仕方がなかった。
要は、いつもその時の環境を不思議だと思って生きているのだ。
元気な時も、病気の時も、障がい者の時も、いつも不思議だと思っているのだ。
逆の言い方をすれば、いつも同じ感覚なのだ。 何があっても自分なのだ。 大したことはないのだ。
心不全で激しく動く事が出来なくなって、これからどうやったら心と身体を鍛えられるのだろう、等と悩んだ時期もあったが、そんな事は無駄だった。
間質性肺炎になれば、酸素を吸っていても少し動いただけで酸欠になる。
長距離や空手で散々追い込んできたと思っていたが、とんだ勘違いだった。全く比べ物にならない。
内臓まで苦しくなり、尿漏れや脱糞の感覚にまで来る。
星が飛んだり、目の前が暗くなったり、視界が狭くなったりもする。
心臓は自分の意思とは関係なく危うい鼓動を打つ。 弱っているから速くは打てないが心もとなくて不規則に打つ。
酸欠は動いた後からやってくるから厄介だ。
後悔しても、止まっていても、身体が慣れるまではどんどん追い込まれる。
そういう訳で、今は簡単に追い込めて、毎日毎日激しい運動をしているのと変わらない。
結果、気持ちの部分にまで影響をしてくれる。
自分では追い込めない所を感じさせてもらっている。 ふと、ありがいことなのだ。