6/8(火曜日)
緩和ケア病棟へ移動しました。
前日の午前中に輸血をし、体調が多少良くなったタイミングで移動できました。
父方の叔母さん、母方の叔母さんの付き添いを得て、何とも贅沢な事です。
長年、実家との確執があって常に嫌な事が起こっていたのですが、
今は、当たり前の様に実家の人間抜きで親族のサポートを受けてます。
何も意識する事なく、この体制で事が進んでくれる有り難さ。
本当に周りのサポートに感謝です。
入院まえは、中々ベットが空かないとか、
基準が厳しくて元気な内は入れそうにないとか、
色々言われてましたが、、、、
現実には、部屋に空きがあるし、簡単に入れた印象です。
少し、ハードル上げられていた様に感じました。😵👎🙌👀
それと、全て個室ですが、無料の方に入れて一安心しました。
私が入った部屋は1835室なのですが、
父方の叔母は、
「実家に帰って来たんだと思った」と、
言ってました。😀😀😀
1835 は、実家の電話番号です。
忘れてましたが、聞き覚えがある番号だったので、思い出しました。
「1835」は、ひらがなになおすと、
「イワサキ」の当て字になります。
(流石に5をキには読めませんが)
大昔の話、
番号振分の際に、何かの形で動いたのか、どうかは知りませんが、、、、
昔、親父は、よく自慢げに、
「良い電話番号をもらった。」と、言ってました。
実家だと思ったと言う叔母さんは、
何と、これを暗証番号に使っているそうです。
ホスピスを探す際に、不思議と実家を意識するような事が次々と起こりました。
全国ホスピス一覧を見ると、何故か自治医大が強く意識されました。
自ら電話すると、親切に近隣の民間在宅医療施設まで紹介してくれたのですが、
これが、母方の実家の直ぐ近くだったのです。
ホスピス情報を集めている時は、全く縁のない所から、地元のすぐ近くの施設の情報がぽっと出て来たので、これまた偶然だな〜、
と、思ってました。
そして、結果、
自治医大病院に落ち着きました。
この事を話すと、叔母は、
「人間最後は実家に戻る様になってるんだよ。」
と、言ってましたが、
本当に、最後は実家に戻ったのでした。
暖かい親族の皆さんのお陰で戻ってこれたのです。
ここが、最期の地になるのでしょう。
湯沢で、最悪の4ヶ月を過ごした事も、
全部ここに繋がっていたのでした。
嫌な事が多ければ、次の所は天国になるのです。