唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

緩和ケア病棟へ移動後、お見舞いです。

2021-06-14 08:54:37 | 思う事

湯沢の病院では、転院先を捜すのに4ヶ月もかかり、、。


いざ、紹介状を持って、先方の病院を受診すると、転院の手続きが全くなってなくて受け入れ先から散々な言われようで、、、、、


一時は、どうなる物やら、お先真っ暗で、腹に一物溜めながらじっと時期を待っていたのですが、、


こちらの病院に転院してきてからは、
 事が、順調に進んでます、。


まさか、こんなに早く緩和ケア病棟に入るとは思っても見ませんでした。



お見舞いは、極、極、限られた中でですが、最大限の配慮をしてくれているみたいです。


 他の病院は、まだ一切の面談が許可されないようですが、、ここは、1人ずつ、15分まではOKです。 ただ、面談者は、事前に決めてある2名のみです。



移動日に来て頂いたばかりなのですが、


 週末、真岡の叔母さんと従兄弟がまた御見舞いに来てくれました。



それが、残念ながら、面会は1名のみで、折角来て頂いたのに、従兄弟とは会えませんでした。



エレベーターホール辺りで挨拶位はできるかと思い、

 「叔母と買い物に下に降りたい」と、

看護師さんに頼んでみたのですが、、、、、、

  全く取り付く島も有りません。


 却下されました。残念。



買い物に行けば、見ず知らずの他人、何人とも接触します。



レジに並べば、前も後ろも知らない人にかこまれます。



 それが、お互いに知っているものどおし、十分に配慮しながら多少の挨拶位する事を何故そこまで否定されるのか?


 全く、理解出来ません?????


忙しい中を時間を割いて来てくれた方に、顔を見せて、ご挨拶位する事さえ許さない、、、


 そんな馬鹿なルールは日本には馴染まないと思うのでした。



しかし、ですよ、
そんな嫌な事も吹き飛ばしてくれる程、叔母さんや従兄弟と会うと言う事は、私に力を湧き与えてくれるのでした。


後から電話でお礼を伝えましたが、幼少期から、時々途切れた時期はあっても、ずっと一緒に生きて来た、絶対に裏切らない、私を良く知る従兄弟は、やはり別格なのです。



話をしている内に、込み入った話にもなり、


 意識が無くなった時は、
   「判断任せるから頼むよ。」 と、伝えて置きました。



己の意識が無くなった時、重要な判断をしないといけない時には、…信用できる人には引いて欲しくないのです。
 遠慮なくご意見賜りたいとおもっとります。



叔母は、私のメンタルがかなり心配なのでしょう。

「長い間入院生活で大変だと思うよ。 こんなに所に閉じ込められて何ヶ月もいるんだからまいっちゃうよね。 意識も無くてただ寝てればいいだけの人じゃないんだから、色々考えて不安にもなるよね。」 


   と、心配してくれて、

「何にも心配しなくても良いんだから、少しでも気になる事があれば言って頂戴。 ボーとしていて何にも気が付かないでいるから、遠慮なく言って頂戴。」 


お金💰💴は、
  心配しないで済むように、有り余る程渡されているのだが、🤣😂😅😭


「お金の事も遠慮なく言って頂戴、身体が自由が効かない分、お金で解決できる物はお金で解決すれば良いんだから。」

 と、言って、安心させてくれるのでした。




病気の時、本当に支えになってくれるのは、

 全幅の信頼を寄せられる、絶対に裏切らないと思える、、


  言い方を変えれば、

 この人ならば裏切られても、なんと言う事も無く許せると言う人なのです。


幸いな事に、私には、そういう人が何人もいてくれて、、、



 それだけで、私は、素晴らしい人生を送れたと思いながら、最期の一瞬を迎えられるのです。




私の人生は、今のこの時点で成功を収めているようなものなのです。
 


なんと、有り難い事なのでしょうか?


 ご先祖さま、仏様、神様、周りの方々に、

   只々感謝です。