闘病が続いて、癌の手術が6度目とか、、、
大変な人生を何事も無かったように送っている強い俳優さん。
大切な家族がいて、家族の事を思うとさぞ残念な気持ちになるのだろうとも思うが、本人にとっては生きる希望となっていると言ってた。
そういう感情の無い自分の場合、家族と共に生きられない事に対する悔しいとか、残念とか、無念とか言う感情は無くて助かるのだが、一方では、生きる力、とも成らない。
希望が大きければ大きいほど絶望も大きい。
大切なものがあれば、失ったときの失望も大きい。
自分が、 病気になった時、これといってやりたいことも無く、大きな希望も夢も無かった事は皮肉な事だが幸いだったのかも知れないと考えた事があった。
やりたい事はやっていたし、未練があった事は、もう何年も前に自ら諦めてしまい復活する事は物理的に無理だった。
大切な家族は居なかったし、むしろ感情を逆撫でされるだけだから、会いたく世話になりたくも無かった。
病気が、やりたい事が無い自分に、何か生きる意味を持たせてくれているのかと思わせてくれるように感じてもいた。
別に前向きに積極的に生きようとも思ってなかったが、
自然体で自分の人生として受け入れるしか仕方がないと自然と思えた。
しかも、それはじわじわと何年もかけて身に降り掛かって来たので、知らないうちに受け入れるしかなかったのだから幸いだったのかも知れない。