アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ハンガリーから逃れての大発明が幻に

2009年02月15日 | Weblog
 ナンドール・ベレスさんの秘密

 日本製品については、ナンドール・ベレスさんが、マーティと同じこと(メード・イン・ジャパンが最高)を、何度も私に言ってくれました。
 ベレスさんは、ハンガリー人。私どもがマサチューセッツ州のベルモントに住んでいたときに借りていた家の大家さん。
 ハンガリー動乱(1956年)のとき、(旧)ソビエト連邦の権威と支配に立ち向かった人。考え方も行動も度胸も素晴らしい方でした。ハンガリー市民の蜂起は(旧)ソビエト軍により鎮圧され、数千人の市民が殺害されました。そして、およそ25万人が難民となり国外へ逃亡しました。ベレスさんは、難民となりアメリカへ渡ったのでした。

 夏になると週1回、芝を刈りに来てくれました。必ず、子供達にチョコレートを買ってきてくれました。「やはり日本人へは、チョコレートか!」と、「ギブ ミー チョコレート」を思い出しました。「毎度、子供へみやげ…」これって、日本人の感覚でしょう。ハンガリー人と日本人は、騎士道と武士道という精神を持っているので、大変似ています。

 芝刈りが終わると、ダイニングで一休みして帰られるのですが、水以外は、すすめても断られました。ハンガリー人の実直さ、戦前の日本男児もこうだったのだろうなあといつも思っていました。

 そのベレスさんの決まり文句が…
 30年前のメード・イン・ジャパンは、粗悪品の代名詞だったよ。ハンマーでも一度で折れてしまったり、レンチもスパナも使い物にならなかった。ところがどうだ。今(1985年)は、メード・イン・ジャパンが世界一だ。お前たち日本人は、優秀だ。ワシは、日本人に家を貸していることを誇りに思っているんだよ。
 …毎度言ってくださるセリフでしたが、リップサービスではなく、心底そう思っているということは間違いありません。

 ベレスさんは、日本車について…日本人は、工具のいらない車を作った(故障しない車の意味)」と、これまた会うたびにほめてくれました。御本人の車はフォード。しかも、パトカー。どういう意味か?アメリカという国は本当におもしろい。パトカーを払い下げるのです。ですから中古車屋に、元パトカーが並んでいます。中を見せてもらいました。ドアの内側にライフル銃を格納する箇所がありました。「パトカーはいいよ。安くて丈夫」とのこと。

 ハンガリー動乱(今のハンガリーでは、ハンガリー革命と呼ばれていますが、私の世代は「動乱」でした)のことは、あまり話してくれませんでしたが、ある日秘密を話してくれました。

 機械の技術者だったベレスさんは、アメリカへ渡っていくつかの発明をしました。しかし、所詮は亡命者。高い評価はされず、特許も安く叩かれ暮らし向きは大変でした。そんな中で、コツコツと頑張り、一大発明の試作品を完成させました。「(玉を転がす)ボーリングの機械」を発明したのです。それまでは、糸でピンを吊すスタイルのボーリング機械でしたから、画期的な発明でした。
 ところが試作品を発表する直前、この大発明の全てを奪われてしまいました。誰に?マフィアです(たぶんコステロ)。マフィアに拘束され、「死ぬか」「発明の全てを渡すか」を迫られたのです。家族もおられたベレスさんは、殺されるわけにはいかない。やむなくボーリング機械にかかわる全てをマフィアへ渡したのでした。
 ニューイングランドを牛耳っていたマフィアは、ボストン郊外に住んでいました(現在も同じ場所に住んでいると思いますが)。ベレスさんの首を絞めたマフィアが、どんな家に住んでいるのか見に行きました。自分でもあきれる野次馬でした。鉄の門扉の高さは、およそ5m。幅は、10mほど。中は、木立しか見えませんでした。門には、「高圧電流を流している。近寄るな」と書かれた看板がかけられていました。大急ぎで逃げました。おそらく、監視カメラでしっかりと、車のナンバー、車種を見られていたと思います。
 マフィアなど、別世界のはなしだと思っていましたが、御近所さんでした…。

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