アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

高見盛に八百長は無理…

2011年02月07日 | Weblog
 大相撲で応援している力士は、高見盛です。引退してくれて清々したのは、朝青龍。
 「パチパチパンチ」「ロボコップのような動き」「勝ったら反り返るほどに胸を張って、負けたら肩を落としてしょんぼりと花道を引き上げる姿」…これらも確かに好感が持てる。しかし、高見盛を応援している理由は、卑怯者にケガをさせられて、「痛みと闘いながら土俵を務めている姿」が健気だからです。
 
 高見盛は、幕内上位から小結に定着し、大関昇進を強く期待されていました。出世が速くて、まげを結う髪の伸びが追いつかなかった。
 2003年のことです。11月場所前の出稽古で、高砂部屋へ行きました。そこには、前の場所で高見盛に敗れた朝青龍がおりました。
 朝青龍は、卑怯にも稽古という大義名分を掲げ、前の場所で土をつけられた報復に出たのです。相撲生命さえも絶たれかねない、「バックドロップ」で高見盛を土俵に叩きつけた。
 命には別状無かったものの、右四つ力士の生命線である右肩を亜脱臼。「もう治らない。ずっと痛みと付き合っていくしかない」と診断されました。その後も相撲をとり続けていますが、幕内下位に低迷したまま。朝青龍という力士、ファンもいるようですが、私は解雇に値する奴だったと思っています。このとき怒ったのが高見盛の師匠である東関親方。「高砂部屋への出稽古は禁止」とした。
 
 八百長発覚にかかわり高見盛は、「どこのばかがそんなことをやったんだ」と、怒りを隠さなかった。

 この初場所、私は両国国技館へ行って来ました。江戸東京博物館で「江」の特別展を見て、その足で国技館へ行きました。徒歩数分なので。
 国技館前の歩道で、何人かの力士とすれ違いました。そして、洋服を着てメガネをかけた力士が前方から来ました。「まげ」はあるが、洋服なので親方だろうと思っていました。その洋服の力士、な、なんと高見盛でした。こんな偶然がある!あわててカメラを出そうとしているうちに、高見盛は「維持員入り口」から建物の中へ入っていってしまいました。その日の高見盛は、負けでした。
 高見盛は、6勝8敗と負け越しがきまって千秋楽を迎えました。対戦相手は、7勝7敗。私は、高見盛の性格上、間違いなく相手に勝ち星を進呈し勝ち越させるだろうと予想しました。そして、結果は…予想通り。
 これって八百長?相手に頼まれたわけでもなく、金銭の授受も無いので八百長にはならないでしょう。高見盛からの、見返りを求めないプレゼントですね。初場所の高見盛は6勝9敗。来場所頑張らなければ、十両へ陥落です…。

 真偽のほどは分かりませんが(某週刊誌)、2007年初場所段階で八百長をしていない力士は、「普天王、岩木山、安美錦、稀勢の里、出島、豊真将、高見盛、栃乃洋、豪風、垣添、玉春日、玉乃島」だという。(今年の初場所段階では、岩木山、出島、玉春日は引退している)
 この情報、しっかり高見盛の名前があります。おや?外国人力士の名前がないなあ?と、いうことは…くどいですが、真偽のほどは分からない情報ですがね。ただ、日本には、「火のないところに煙は立たぬ」という、ことわざがあります。

 なぜ高見盛が八百長に参加しなかったか?「あいつは抜けてるから話が通じない」と、誰も八百長を持ちかけなかったから…という話もあるようで…。持ちかけられても、乗らなかっただろうと信じていますけどね。