○(若松の近代化遺産お散歩の続き・その7)
この若松のレトロな南海岸一帯の近代建築群を「若松バンド(bund)」というそうで、そのランドマーク的な建物が旧古河鉱業ビル(旧古河鉱業若松支店)[大正7年(1918)]である。他の建造物よりも円形の塔と赤煉瓦が映えて装飾的にもぱっと目立つ建物だ。現在はコミュニティセンターとして利用されている。
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なお、この建物の向かいの角にあった木造の、これも特徴的な形の建築だった麻生商店若松支社ビル[昭和11年(1936)頃]は老朽化が進み、2006年に解体されてしまったそうだ(キイロイトリが立っている、向かって左側が跡地だ。角に若干、麻生ビルの頃の名残のような「形」の塀のようなものが見えるが…現在はマンションらしいものが出来ている)。今は二つの建築が道路を挟んで並び立つ景は撮影できない。ともかく、むすび丸「海岸通りの雰囲気を味わってみましょう♪」ということで歩いてみる。
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石炭会館から本町の方に入っていくと、見えるのが「為末医院」の表札のある建物、旧為末医院[昭和初期頃]である。
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また、商店街の方に向かって本町の通りを歩いていくと、『放浪記』の林芙美子旧宅といわれる建物や、旧谷弥合名会社若松支店〔ともに昭和初期頃〕などがある。
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うーむ。濃い。この濃さはなんなんだ。
たとえば「門司港レトロ」は、どちらかと言えば昭和の生活感がより濃く漂っている門司港商店街と住宅地から、近いとはいえ少し離れた、小洒落たテーマパーク感がややあった。下関の唐戸商店街と少し離れた海岸側のカモンワーフも、然りである。
だが、若松バンドはそこまで派手派手しくない(平成特有の、駐車場だけが広大な、殺風景なアウトレットのようでは無い)。昭和の通りの町並みとの併存度が近いように思う。その方が自分などには「本当の昭和」感が濃いと感じられる。例えば「おもちゃ倉庫」の売場の中の「擬古的昭和30年代セット」には全く昭和空間のリアリティが感じられない、生まれも育ちも「昭和の子供」の自分にとっては、近代化遺産のすぐ隣に21世紀的なマンションもありながら、なおまたそのすぐ脇に密集した本物の昭和の町が連続している、このくらくらするような時空の歪みの眩惑感がたまらない。
ちなみに、先に「新潟港を思い出した」と書いたとおり、信濃川河口でいうと柾谷小路より下とか上大川前通とか沼垂とかの町の景にもなんとなく似ているような気がする。「初めての場所」であるのに、なぜこれほどまでに「原風景」的に親近感を激しくくすぐられるのかと思ったが、そのアングルがほとんど自分の生まれ育った町のそれに近いからではないだろうか。個人的には「古いクリーニング屋さんの2階に住んでたらしい」という天本英世さんの逸話が俄然思い出され、なぜそういう渋い所に住んでいたのかわかるような気がしてきて、「こういう、ちょっと新潟の下(しも)みたいな町にいたのか」と親近感が湧いてくるのであった。それにしても、自分も福岡に来て随分経つのに今まで知らなくて来なかったのが不思議なものだ。もっと早く来てもよかったのになと思うことしきり。
BGM:おきぬけジョーク / マシュー南
「神戸だと思ってた~♪(ぱや~)初めての横浜~♪」(マシュー's TVの歌 ゲスト:ラルクhyde、ken)で知られる「テレ朝伝説」曲。今回、初めてではないが3度目の若松で新潟かと思い「かなりくすぐられた」situationということで(爆)(20120511)
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※「偽装停電」とは?