○どうも暑いと台所で火を使う気力がダウンしてしまい(漬物を作ったり野菜を加工したりする程度はするのだが)、仕事が遅くなると、もう近隣の定食屋さんで時々夕食をすませてしまうことがある。とりあえず、食堂内は冷房がされているので、一日一回くらいは温かいものを食べて身体を温めるべきだと思う時には、助かる。汁物や煮物をいただくことも可能だ。人が作ってくれるご飯とは、本当に何でもありがたい。おかずを数種食べたいので、選んで取るのだが、そうなると今度は量が多すぎて一度に食べきれない(どうも最近、夕食を以前のようには満腹になるまで食べられなくなってきた)。そこで、ご飯半分とおかず半分を折詰にして冷蔵庫に保存し、次の日の朝食にすることもある。キイロイトリ「チョット ツマシイ トイウカ、ジイチャンバアチャン ミタイ」まあ、全部食べられないからしょうがないさ。その分、持って帰れない生ものや汁物などを夕食で摂る。写真の盛り付けのおかずとご飯の例でいうと、これが夕食分と朝食分の一緒の量になる。これを折詰にとって分けるのである。揚げ出し豆腐とお味噌汁と野菜とご飯半分を夕食でいただき、生姜焼きと他の残りを折詰にして帰る、などだ。
本日のBGM:
I Saw The Light / 高橋幸宏 (「Once A Fool …」)
なんとなく聴き出すと止まらない“(フェイドアウトしないやつ)very famous yukihiro ending”の数々。しかもトッド・ラングレンのカバー、でも最初に覚えてしまったのは本家よか、こっち(><)。1985~86年頃、登校拒否絶賛引きこもり中の自分は、NHKFM放送の番組から録ったこの頃のライブの音源を、ずっと一日中室内に閉じこもって誰にも会わず、まさしくテープが擦り切れる位に、聴き続けていた。このCD自体を買ったのはかなり後なのだが、曲はイントロから染み入るかのように条件反射的に覚えている。正直言うと。当時リアルタイムで非常に心身衰弱していた脳内に定着していた「声」とは、The Smithsのモリッシーじゃなくて、実は幸宏さんだったという(爆)。そのため、今も聴いていると、当時の厨二的な記憶の眠る自分の前頭葉の中枢部分に、ダイレクトに効いてくるような、個人的にはかなり抒情的文学的な音楽だ、といえる。…その非常に暗鬱だった時間のことを思い出すと、…もちろん、今現在であっても何一つ解決なぞしておらず暗鬱は繰り返し共にあるとしても、…それでも数十年後の今、「自分がまだ、生きている」ということ自体が、ひどく奇跡的なことなのかもしれない、と思えてきて、少しばかりではあるが、気を取り直したりもする。(20130718)