パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

大変なことも。。。。

2016年01月05日 | 今日の小ネタ

前回の続きのなっちゃんのアメリカ生活の話ですが、

こうやって帰国して話を聞いてみると、華やかなことばかりではないようで.......

 

でも、それを皆に決して愚痴ることもなく、過ごしてきたとのこと。

 

そんな中、元メタボダンサーズメンバーに、芸能関係の人がいて、

「きっと、なっちゃんは、アメリカでも色んな苦労や辛い思いもしたはずだよ、

日本人ならではの苦労もあったはず」

との予言のような言葉がけに、

愚痴るわけではないけど、ぽろぽろと色んな話が出てきました。

 

特にダンスの世界では、アジア人というだけで、仕事の幅が減ったり、

体格もやはり、小さいので、そのハンデもあったようです。

 

逆にアジア的なカラーを要求される時は強みと言ってました。

レディーガガにはそんなアジアンチックを好まれ起用されたとのこと。

 

常に前向きに自分をいかに表現するか、好きなダンスで努力を

惜しまなかったようで、結局ここまで、残れたのはほんの一握りしかいない

厳しい世界だけど、色々なチャンスや出会いに恵まれて有り難いと言ってました。

 

素晴らしい   

ダンスも磨かれたけど、人としてもすごい成長を感じました。

 

そんな いい話しの脇で、おばさんたちは

「ねえ、ねえ、レディーガガってどんな人よ?」なんて、週刊誌のような質問で、

「ちょっと変わってたけど、いい人だったよーー」って聞くと

もうすっかり、自分もレディーガガの知り合いかっつーーー親近感が湧いて

明日にはもう、「私の知り合いがレディーガガの知り合いでねって」言ってそうな

 

そして、

「ついでにランニングマン教えてーーー」って

どこまでいっても、明るい  メタボダンサーズです。

 

 

 


凱旋帰国

2016年01月05日 | 今日の小ネタ

Hi, この年末年始に ロスアンジェルス在住の私のダンスの師匠が一時帰国しました。

 

えっつ、パッキーのダンスの師匠??

と言われそうですが、幻の「パッキーサダ」を作ってくれた なっちゃん。

アメリカの地に渡り早8年を迎え、立派に、かっこよくなっていました。

都立高校のダンス部に入った なっちゃんは、どんどんダンスに目覚め

卒業後単身アメリカはNYに渡り、ダンスの勉強を続け、

その後アーティストビザを取得して、数々のオーデションを受けて

マイケルジャクソンの追悼DVDの時はバックダンサーとして

また、資生堂のCMでは、レディーガガと共演。

その世界では有名になり、ファンもいるとのこと。

 

 

そんな、なっちゃんが、8年前 高校3年生の時に

地元でダンスサークル 「メタボダンサーズ」を立ち上げましたが、

その元メンバーのおじさん、おばさんが久々に集まり、先日帰国歓迎会を開きました。

 

会のメインはもちろん なっちゃんとの再会ですが、

超過密スケジュールで、来るまでの2時間、我々は持ち寄り料理を食べながら

飲みながら、益々メタボになった人もいましたが、

8年前の地元で開いたステージのDVDを見て、懐かしく笑いました。

 

これが、何度見ても笑えて、

ヒップホップというか

「ピップエレキバン」  なんて、しょうもない、

ほんと どうしようもないオバサンギャグを連発している

司会の私の前振りが異常に長くて、 

 

そして踊りはとっても・・・・・

まあ、あえて 言うなら 

BON ODOLY ですかね。

 

テレビでは、エグザイルとか3代目JSBなど見慣れているせいか、自分もてっきり

そう踊っているのかと思いきや、それは単なる幻覚症状であり、

いざ、自分たちの動きを見て見ると、

切れがない、動きが重い、リズム感がない、などなど、

 

ぽん、ぽん、ハイ ハイ、    ここ掘れ ワンワン    の ぼんおどリズム

 

2年前も全く同じ歓迎会をひらき、

全く同じ状況でDVDを見て、大笑いをした我々。

 

なっちゃんが、また来年も帰国したら

またこの会を開いて、また同じDVDを見て、同じ場所で笑うんだなと

青春の日々を懐かしく思うメタボダンサーズでありました。