久しぶりに福祉センターのボランティアルームに行ってきました。
1年ぶり?
そう友人から言われ、知らないうちにそんなに日が経っていたことに驚いてしまいました
ボランティアルームはもちろん先日行ったばかりですが、“耳の聴こえないひととの交流”は、ほぼ1年ぶりです。
もちろん手話も忘れてしまっています。
普段家の中では気にするようには心がけているものの、やっぱり使わないとダメですね
読みとりが本当にできなくて…
それはさておき、友人から聴覚障がい者の家で手話通訳者が同行することなく家宅捜査があったという記事を知っているかと言われました。
知らなかったので、家に帰ってきてから記事を読んでみましたが、筆談でのやりとりをしていたんですね。
友人曰く、なんでも問題が起こってからでないと対応してもらえない、と。
このことについては、障がいあるなし関係なくだとは思いますが、対応が速い遅いなどの差は多数派であるかそうでないか、また重大な案件かそうでないか、などによるのだろうなと思います。
そして、想像するだけになってしまいますが、たぶん健常の者より、何か問題が起こった時それを変えていこうと思った時、倍の時間と努力が必要になるという気がします。
自分自身最近新聞も読んでいないのでいけませんが、目を向けていくということが大きな力になるのかもしれません。
話は変わりますが、我が家にはこんなものが張ってあります。
ぼやけてますが。。
子どもが大学で英語の手話の授業をとっているため、そのときに購入したアメリカ手話と日本手話を書いたポスターです。100円だったとか???
ひらがなとアルファベットと普通に考えればアルファベットを覚える方が断然に文字数が少ないので覚えやすいはずなのですが、なんだかまったく覚えられません
似たようなものはいくつかあるのですが、なぜでしょう。
あまり使いそうもないし、そもそも英語を話せないし。
やはり人間必要に迫られないと、覚えるにも時間がかかりますね。
もちろん、歳も関係ありますけど