今回は長いよ。😅
五島列島2日目、福江島に一泊して、福江港ターミナルから小型のフェリーで久賀島、奈留島へ。
下の写真は福江港ターミナル近くの「常灯鼻」。福江城築城の際に防波堤(石垣)がつくられ、その先になんとも趣がある灯台が建てられている。
今回は世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」登録となった島、久賀島・奈留島のキリシタンの歴史を堪能できる日帰りツアーに参加したよ。
最初は久賀島。浜脇教会。
1881年に久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって建てられた。最初は木造だったが傷みが激しく、信徒の数も増えたので新築することになり、1931年、五島で最初のコンクリート造の現教会が建てられた。旧木造教会は五輪地区に移された。あとで出てくるからみてね。
この表現があっているのかどうかわからないけど…可愛い、メルヘンチック!スペインとかポルトガルとかにある教会みたい。(知らんけど😅)
次に行ったのが折紙展望台。下の写真は展望台からの眺め。この展望台は久賀島北東部ある。天気が良かったので気持ちよかった。
違う角度からの眺め。小さな島々が折り重なるように見える。霞みがかっているでしょう?春だからかなと思っていたらなんとPM2.5のせいなんだって。😵これがなかったらもっと景観はよかっただろうね。
殉教の地、牢屋の窄殉教記念教会。五島崩れと呼ばれる弾圧の発端になったところ。
下の写真は絵葉書の写真を映したもの。というのはこの地でなんだか写真を撮れなかったのだ。あまりにも悲しくて…潜伏キリシタンの末裔のガイドさんの話を聞きながらあまりにもむごい拷問の話に涙が出て止まらなかった。
その頃の幕府はキリシタン撲滅の一手段として宗門改が定めていた。この宗門改に仏教を用いたのが檀家制度。
家族は宗門帳に記帳、家族の誰かが死ねば僧を読んで仏教式の葬式を出す。『キリシタンにあらず』の証明がなければ葬式もあげられなかったという。
こんな背景の中、キリシタン達は信仰をはっきりと公にした。明治元年のことだった。それから牢屋の笮殉教事件が起こるのである。
明治元年、200人ちかいの信者が捕らえられ、わずか6坪の牢に収監された。座ることも寝ることもできず、排泄もこの中でするしかなかった。それだけでなくむごたらしい拷問は続き、圧死、飢えと乾き、老人や、子ども(5才のこどももいた)、女性、弱いものから死んでいった。この拷問は8ヶ月続き、43人が命を落とした。
こんな風にさらっと書いてしまうにはあまりにも酷い出来事、でもあまりにもひどくてわたしには書けない。だからご興味のある人は詳しくはこちらを。またはウィキペディアの「五島崩れ」を検索してみてね。
この墓碑の隣には牢屋の笮殉教記念聖堂が建てられていれている。聖堂内部は中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされている。これは信徒たちが押し込められた牢屋だった場所を意味している。
なぜ?!
彼らはただキリストを救い主として信じていただけなのに。あまりにも酷い。こんなことができるなんて信じられない。それに彼らが牢の中で苦しんでいる間、死んでいく間、拷問で殺されている間に彼らの家の家財は全て略奪されていたという。
人間って本当に罪深い、醜い、恐ろしい、おぞましい。
この石は旦那がちかくの無人販売所で見つけて買ってきた。殉教の地、牢屋の笮と書いてある。ペイントされた赤い椿がまるでキリシタンが流した血の色のように見えた。
次は五輪地区。先ほど触れた浜脇教会の木造の旧教会堂がこの地に移築されている。
五輪地区の入江は静かでとても綺麗だったよ。
現在の五輪教会堂、ミサはこちらの教会で行われている。
この先に旧五輪教会堂がある。
もともと五輪地区の教会堂として浜脇教会の旧教会が移築されたのだが、老朽化で新しい教会堂を建てることになり、木造教会は壊されることに決まっていたのだが歴史的な文化遺産として価値があるという指摘を受けて旧五輪教会堂は残されることになった。
これが旧五輪教会堂。(もともとは浜脇教会)
弾圧から生き残った信者たちが建てた木造の教会。会堂を建てて信仰の自由をやっと得た時、彼らの喜びはいかほどであったろうか。
木造平屋で遠くから見ると普通に家のように見えるのだが中は立派なリブ・ボールド天井。
この窓は面白かったよ。外に押し拡げるタイプの窓かと思ったら、そこは日本的に横にスライドさせるタイプになっているの。
守護者の聖ヨセフ像。
聖マリア像。
イエス・キリスト像。
教会堂のドア。素朴なステンドグラス。色も可愛らしい。
ここから奈留島へ行くためにフェリーにのる。海から見た旧五輪教会堂。余談だけど、歌手の五輪真弓(いつわまゆみ)のお父様はこの五輪地区出身だという。かつてこの地区は「五輪」という苗字が多かったそうだ。お父様は教会のオルガニストだったらしい。
旧五輪教会を後にして奈留島にやってきた!
奈留島の奈留島高校にユーミンの歌「瞳をとじて」の碑がある。それは。それはこんな経緯からだ。
1974年(昭和49年)に長崎県立五島高等学校奈留分校(現・長崎県立奈留高等学校)の女子生徒が奈留分校の校歌を作ってほしいとラジオの深夜番組『オールナイトニッポン』の「あなただけのイメージソングを作ります」のコーナーに投書したのがきっかけ。
最初は加藤和彦に頼んだのだが作ったテープがなくなるなどして最終的にユーミン、荒井由実作詞・作曲による「瞳を閉じて」が贈られた。1976年、この分校は長崎県立奈留高等学校として独立したので、その際にこの曲を校歌とするか検討されたが、校歌ではなく愛唱歌とされた。校歌でもよいのに…。
さて、そんな奈留島でお昼ごはん。これもツアーに含まれてるのだ。😁
食べきれないくらい!魚は新鮮で美味しかった。特にキビナゴのお刺身!全部五島の新鮮な食材が使われている。
お昼ご飯のあとは、教会建築の名工・鉄川与助の代表作「江上天主堂」へ。白に水色が綺麗な教会。日本に定着した典型的な木造教会なんだそうだ。
教会堂の下を見て下さい。高床式で少し浮き上がったようになっているでしょう?。
この教会は森に囲まれていて、それも谷になっているため大雨が降ると水が流れこんでくる。周囲を水害から守るため高床式にしているのだそうだ。内部の柱も腐食防止と虫除け効果から下地にベンガラを塗り、その上から木目を描いている。(描いているとは思えない精巧さ!)ステンドグラスも手描き塗装によるものなんですって!
そしてオリジナルグッズの製作体験に三兄弟工房に行く。
その名の通り三兄弟で経営されている。輪切りにした木に焼きごてを使って五島の教会や五島列島のキャラクターのネコちゃんなど、いろいろな絵をかいたものがお土産として売られている。それを自分で作ってみるのが製作体験。
下絵になる絵は色々用意されているがオリジナルの絵をかいてもイイので、
私はリリコはん、旦那はウキューちゃん(下絵は私がかいた)を描いたよ。
裏はこんな感じ。これは最初から描いてある。
このツアーは良かった!何しろ島の道は狭く急勾配なところもある。旧五輪教会堂などは陸の孤島みたいなところだし、とてもレンタカーを運転して行くところじゃない。
それに効率よく観光スポットを回れる上に、潜伏キリシタンの末裔の方がガイドだったのでキリシタンがどんな環境に置かれていたのかどう耐えてきたのか勉強になった。質問にも色々答えてくれる。久賀島、奈留島へ行かれる方は絶対このツアーをお勧めするよ。
フェリーで福江港に戻った時の空。綺麗でしょ。天使の梯子だよ。神様が祝福してくださってるみたい。
福江港からはジェットホイル、高速船で長崎港にもどった。
さあ、明日は最後の長崎観光。続く。
長文読んでくれてありがとう!🙇♀️😘❤️