風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

夫婦旅行③ー宮島(3/4)

2019-05-06 00:59:37 | お出かけ・旅行記
尾道から宮島へ。

 

宮島といったら厳島神社。歴史好きな旦那の強い希望であった。

 

私も楽しみだった。いつだったか友達のTちゃんが宮島旅行のことを話していた。「とにかく宮島は良かった!宮島にいる鹿もなんだかのんびりしてるよ。穴子飯がすごく美味しかった!「うえの」っていうお店の穴子飯だよ。」と言っていたので。😆

 

次の日、朝早く宮島行きのフェリーに乗る。






朱色が美しい。

こんな大きな美しい神社を海の中に建ててしまうなんて!

 

厳島(通称・宮島)自体が御神体で御神体の中に神社は建てられないということで海上社殿になったという。

 

「厳島の宮を造営すれば位階を極めるだろう」との夢のお告げにより、清盛は寝殿造の宮を建てたのだそうだ。

 


宮島の鹿。

 

同じ鹿でも奈良公園の鹿は鹿せんべいを貪欲にねだりに来る。もちろん可愛いんだけどがっついているというかスカートまでかじられたことがあった。

宮島の鹿は違ってのんびりしている。

 

私の目の前を止まることなく、鹿さんトリオはしゃなりしゃなりと通り過ぎていった。だからお尻からしか撮れなかったのよ。

 


厳島神社ちかくの立派な五重塔。こちらも朱色が美しい。



五重塔に隣接している豊国神社、通称千畳閣。高台にあるので眺めが良い。また、風が通って気持ちが良かった。

 

近くの土産物屋が軒を並べていて見るのは楽しい。もみじ饅頭のお店がたくさんあった。中の餡も味が色々。食べたかったけどお昼の穴子飯のために胃袋を開けておくのだ。😄

 

フェリーで宮島を後にし、あなご飯を食べに行く。

周りのお店はたくさん穴子飯の看板を掲げているけど、やっぱり老舗の「うえの」でたべることに!

 

美味し〜い!とっても柔らかくて、香ばしくて。(Tちゃん、本当に美味いよと心の中で叫んでいた!)

来てよかったな。

 

さあ、これから平和記念公園!

 

続く。

 

 

 

夫婦旅行②ー尾道(3/3)

2019-05-03 08:27:28 | お出かけ・旅行記
姫路城をみた後、その日のうちに尾道へ。

 

宿泊場所は倉庫を改造して作られた自転車ごと泊まれるCYCLE HOTEL ONOMICHI U2。尾道駅から近い。

 

中はホテルとカフェやレストラン、尾道の名産、自転車グッズなどの店や世界一のサイクルプロショップ「GIANT」が入っている。レンタサイクルもしている。


なんで尾道かっていうと、大林宣彦監督の尾道3部作がすきだったから。特に「転校生」、「時をかける少女」の舞台が観てみたかったんだよね。

 

一泊して次の日はあいにくの雨。この日は3月3日の日曜日。近くの教会で礼拝を守ろう。

 

ホテルを早くですぎたので最初に御袖天満宮に行ってみた。


 


ここは、「転校生」のロケ地。尾美としのりと小林聡美が階段から転げ落ちて入れ替わるシーンで使われた御袖天満宮。

 

礼拝時間近づいたので日本基督教団の尾道久保教会へ。初めて行く教会でもどこの教会も自分の家のようでホッとする。神の家族としての教会はそんな温かさがある。

 

ともに賛美歌を歌い、ともに神様からのメッセージを聞く。不思議にこの日のメッセージは今置かれている私達の教会の状況と似ていて、それに対して励まされているようなメッセージだった。もちろん牧師先生はそんなことは知らないのだけど。

 

神様、ありがとう。そして温かく迎い入れてくださった尾道久保教会の牧師先生、教会員の方々に感謝だ。

 

 午後は尾道ラーメン食べて、いよいよ尾道散策。

こちらは尾道らしい風景。細い道、坂道、風情があっていいね。

 


 

 



尾道は坂道が多い。本当に多い。ここで問題が…。

私の履いていたジーンズ👖なんだけど。ぴったりしたものを買ったつもりだった。最初はね、ぴったりでとても快適だった。歩いているうちになんか緩んできて…どんどん下がってゆく…。😰ちょっと進むごとにジーンズをキュキュっとあげてまた緩んであげての繰り返えし。

 

この日は寒かったのでお尻まですっぽりのロングセーターを着ていて本当に良かった。そうじゃなかったら、しょっちゅう半ケツ状態だったに違いなかった….。😱お尻見えないで良かった…。😓

 

尾道文学館にも寄ってみた。



文学好きな人なら面白いと思う。林芙美子、志賀直哉などは尾道ゆかりの文豪。文学館から港が見える。なかなかの良い眺め。


文学館の優しいおじさんが今日はおひなさまの日だからと手作りの折鶴をくれた。こういうのなんだか嬉しいな。

 

 

尾道は猫の細道なんて名付けられるほど猫が多くて猫好きの私には嬉しい。



 アルバちゃんみたい。


うちのリリコはんに体型が似ている。ポテポテと歩いてました。



猫の細道付近。尾道散策は坂が多いので体力を使う。喉が乾いたので梟の館というカフェで一休み。オーナーさんが梟がお好きらしい。店のいたるところに梟の置物がたくさんある。もちろんコーヒーカップも梟柄。建物が一見廃屋といった感じ(ごめんなさい🙏💦💦)でも趣があって素敵。写真撮っておけば良かったなぁ。

 

帰りは「時をかける少女」のロケ地。

 


主人公の吉山和子がタイムスリップした時に(七五三のお祝いのために両親と来ていた)幼い自分の姿を見かけるシーンで出てきた。艮(うしとら)神社。千光寺のロープウェイ乗り場がすぐそばにある。


立派なクスノキ。樹齢は900年くらいなんだとか。


手水場の彫り物が亀とは珍しい。龍とかならよく見かけるんだけど。

 

尾道の印象。雨、坂、猫、教会の温かさ。そしてベルト。これはジーンズ下がっちゃって大変だったので尾道福屋で買ったから。😅

さあ、お次は宮島へゴー!

 

久しぶりの夫婦旅行①ー姫路城(3/2)

2019-05-02 13:39:00 | お出かけ・旅行記
長いゴールデンウイーク、酷い風邪をひいてどこも行けないので2ヶ月前に行った旅行記でも記そうかな。

 

3年前、旦那は初期の胃がんを手術した。20キロ以上も痩せて、不安を抱えながら、それ以来定年後の旅行を楽しみにこの時まで頑張って働いてきたの。結構ブラック企業でさぁ。大変だったと思う。私たちを養うために一生懸命働いてくれた。ありがとう。

 

ということで、もう2ヶ月近くも前のことだけど…3月の初めから7泊8日の旅行に行ってきました。

 

私も旦那も体の調子がイマイチなので海外よりは日本国内がいいということで姫路、尾道、広島、長崎、五島列島の旅にいってきたんだ。

 

旦那一押しの姫路城。日本初の世界文化遺産になった所。別名、白鷺城。本当に白くて綺麗。

美しさもだけど、このお城、攻防においても優れた城なのよ。中は迷路のよう。天守閣になかなか中に入れないようになっている。中にも石落とし、武者隠しなど色々仕掛けがあって面白い。

江戸時代初期に建てられた城に入ることができてしかも触れるのは日本くらいじゃないかしら?アメリカの歴史建造物なんてちょっとしたところも、とにかく「触るな」だったから。

 


 

天守閣から西の丸御殿、百間廊下を臨む。

ここは大阪城落城後、本多忠刻に輿入れした千姫が暮らしていたところですって。


 そういえば、この城の敷地内にあの皿を割って殺され、幽霊となって毎夜皿の数を数える「お菊の井戸」があった。

 

その時ふと思った。あれ?江戸の番町皿屋敷じゃなかったの? 実はこの類の話は日本各地にあり、その中でも姫路を舞台にした播州皿屋敷と江戸を舞台にしたお江戸番町皿屋敷の2つが有名なんですって。

 

私は落語の皿屋敷が一番好きだわ。

 

さあ、旅行は姫路を後にして尾道へ続く。

 

令和もよろしく

2019-05-02 13:37:00 | Weblog
自分が生きてるうちに元号が2回も変わるなんて!まあ、そこそこ年取ってるので…あり得る話よね。😜
 
ということで平成を振り返ってみる。
 
*元年に結婚
*長男、次男を授かる
*アメリカで駐在員生活
*クリスチャンになる
*9・11
*両親の死(母はクリスチャンになった)
*ユーオーディアアカデミーに入学&卒業
*3・11
*銀婚式
*夫のガン、手術、リハビリ
*自身の体の不調いろいろ
 
 
育児やアメリカでの生活は泣きたくなることも、その他大変なこともあったけど、なんと中身の濃い年だったのか。
 
今生かされてることを感謝して自分にできることをしていこう。
 
令和もよろしく。
 
 

マロンが死んでしまいました。

2019-03-30 23:29:36 | 我が愛猫たち
色々なことがあって。
 
 
今年の1月末、マロンが急死しました。
晩御飯作っている時次男が異変に気がついて…気がついた時にはもう亡くなっていました。
マロンの好きな箱の中で。眠っていたと思ったのに…。
 
 
いつものようにご飯食べて、排泄もちゃんとできていたし、走り回っていたし、ベランダパトロールも。スリスリ甘えていつもと変わらず元気だったのに…。
 
ボロボロのリサイクルショップに住み着いたノラの子だった。私が引き取った時は鼻水に涙目。涙目はずっと治らなかったね。ミルクティー色のマロン、他の猫の食べ残しも全部食べてしまうマロン、よく太っていたマロン、来訪者にはビビリだったけど家族の誰にでもスリスリするマロン、抱っこが嫌いなマロン。
 
なんてあっけない。本当に急すぎて心がついていけなかった。😢
 
奇しくもアルバと同じ11歳で天国に行ってしまった。突然死は心臓が原因のよう。やっぱり太っていたから?
アルバのように1ヶ月も食べられないとか苦しそうだったとかはなかったけど…。
異変にもっと早く気付けばとか体重管理をしっかりやればと…やっぱりいろいろと後悔…。
 
マロンは癒しの子。うちの子になってくれてありがとう。
マロンにとって私たちはどうだったんだろう。大好きだよ、ごめんねマロン
 
 

なんか違うよ、池上さん。

2018-11-13 23:01:17 | キリスト教(行事、他)
ああ、またか…キリスト教関係の話を民放でやってると必ずと言っていいほどガッカリする。
今回は池上さんの番組を好きだっただけにショック。

先日、「池上彰の教えてもらう前と後」っていう番組をみていたのさ。

カトリックとプロテスタントの違いの中で天国にどうしたらいけるのかという話。

池上さんによると、カトリック信者は働いたお金を教会へ寄付する、それは布教活動に貢献したとされ天国へ行ける。

一方、プロテスタントは一人一人天職というものがあり、その天職で成功する事で天国へ行ける。というもの。

!!!!!!!!!!
えー!違うでしょ!

おもわずテレビ画面にツッコミ入れてしまいましたよ。

いったいどういうふうに調べたのか。ちゃんとカトリック、プロテスタントの神父や牧師に聞いたの?

なんだか断片的な歴史の一面と断片的な聖書の一部を曲解している?!



私はプロテスタントなのでここではプロテスタントに関して説明させてください。

天国に行ける人とは聖書で言う救いを得た人、罪より贖われた人です。

それは100%神様の一方的な神さまの恵みで、わたしたち人間の行いによるものではありません。

神様から与えられた仕事で成功した人だけではないし、天国に行くのに○○しなければいけないなどということは一切ありません。

救いはただイエスキリストが私達の罪の身代わりに十字架にかかり、3日目に復活したことを信じるというしんこうによるのです。それは最初に明確に記されています。

すべての人は、罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みによりキリスト・イエスによる贖いを通して、値なしにがと認められるからです。(ローマ人への手紙3章23-24節)

人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると私たちは考えているからです、(ローマ人への手紙3章28節)

「先生がた、救われるためには、何をしなければなりませんか?」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」と言った。(使徒の働き16章29-31節)


どうか天職で成功した人だけが天国に行けるなんて誤解をする人がいませんように。


映画「戦場のピアニスト」

2018-01-16 11:24:09 | 映画・演劇
FBでも紹介した映画ですがとても考えさせられる映画だったのでこちらでも。

「戦場のピアニスト」という映画見たことありますか?この作品はピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの原作を脚色して作られた映画です。

2002年公開、ドイツ、フランス、ポーランド、イギリス合作映画。ロマン・ポランスキー監督。

あらすじ。
舞台は1930年代後半、第二次世界大戦でナチスドイツの支配下にあったポーランド、ワルシャワ。ピアニストとして活躍していたシュピルマンであったがドイツ軍の侵攻によりその生活は一変、次第に状況は悪化し、ユダヤ人差別、暴力、財産の没収、そのうちワルシャワ・ゲットーと呼ばれる隔離区域に移住させられる。ドイツ兵はユダヤ人達を凄まじい暴力で支配し、おぞましいほど簡単に殺戮していく。
やがてユダヤ人達は収容所につれていかれる。その流れの中でシュピルマンはユダヤ人警察管ヘラーによりその危機をのがれるが、目の前で彼らの家族を乗せた列車は行ってしまう。その後ゲットー内での労働中でゲットー蜂起の準備に協力しはじめる。食料調達にゲットーの外に出た時、昔の知人を見かけその協力によりゲットー脱出に成功する。隠れ住んだものの、ゲットー蜂起、ポーランド蜂起はことごとくドイツ軍に鎮圧され、ワルシャワは壊滅状態になり、シュピルマンは支援者もいなくなり1人きりになってしまう。そして廃墟で見つけた缶詰をなんとか開けようとしているところへ、ドイツ軍将校ボーゼンフェルトに見つかり…

ここからネタバレ(見たくない人は見ないでね)
シュピルマンはボーゼンフェルトに尋問されピアニストであることを告げる。ボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くとその演奏の素晴らしさに感動し、彼を見逃し(もうすぐドイツが負ける事がわかっていたと思われる)こっそりパンと缶切りを差し入れ、後もシュピルマンを助けてくれるのであった。

間もなくしてドイツは負けて、シュピルマンは自由の身となる。立場が逆転しドイツ兵は皆捕まりボーゼンフェルトも捕まってしまう。捕まったドイツ兵を罵るユダヤ人にかつて助けたシュピルマンをたすけたことがある、彼に私を助けて欲しいと伝えてくれるよう懇願するボーゼンフェルトであったが彼の名は混沌としたその場の声にかき消され、結局シュピルマンは何もすることができなかった。そして平和が訪れ以前のようにピアニストとして舞台に立つシュピルマンのすがたがあった。

感想:暴力や殺戮にシーンに胸が詰まり、目を覆いたくなるほどでした。あのような戦時下の中とはいえ人間とはなんと罪深いものなんだろうと思います。人間はこれ程までに残酷になれるものなのか。追い詰められた状況下だから?自分を守るために?ユダヤ人を通報したり迫害したり、殺したりそんな人もいたのでしょうか?今も暴力と殺戮で支配する組織や国があります。きっとその中には殺されないために仕方なく従っている人もいるのでしょう。自分だったらどう行動するだろうか、信仰を守り通せるのか、と考えさせられました。

シュピルマンがボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くシーンがあります。ショパンのバラード第1番ト短調作品23が演奏されます。この曲がこの時ほどこんなにも切なく美しく心に響いたことはありません。

絶望、悲しみ、その悲しみの中に怒りがこもっているような…シュピルマンのこの戦争に対しての感情が爆発しているような演奏で泣けて泣けてしかたありませんでした。

ドイツ兵が撤退する時ボーゼンフェルトが差し入れとともに自分の外套もシュピルマンにあげるシーンでとても心に残る言葉がありました。

シュピルマン:「あなたになんとお礼をしたらいいやら…」
ボーゼンフェルト:「神に感謝を。すべては神のご意志だ。そう信じないと。」

ボーゼンフェルトの言葉に思わずアーメンといいたくなりました。

ボーゼンフェルトが助からなかったのはなんとも皮肉な事です。この映画を見たFB友がシュピルマンとボーゼンフェルトについて書いてある記事を教えてくれました。原作ではボーゼンフェルトの奥さんから助命懇願の手紙を受け取りソ連の管轄下の収容先に行きますがソ連側はここにいるのは犯罪人だけだと取り合わなかったそうです。それ以上なすすべもなくもう一度行った時ボーゼンフェルトは亡くなっていたとのことでした。シュピルマンはとても落胆したそうです。その後シュピルマンとボーゼンフェルトの家族はずっと交流があったようです。映画の翻訳の字幕ばかり追ってしまいますがボーゼンフェルトはシュピルマンに対してとても丁寧な言葉を使っていたそうです。平和…大事ですね。

読んでくれてありがとうね!

雑草鉢4

2018-01-11 13:44:08 | 虫、植物、動物、自然
雑草鉢とあるんだけど、今日のはちょっと違うんだ。
昨年の9月半ばころ枯れかけたシクラメンの鉢にニョキッと草が生えていたの。その形から見てあ、イヌホウズキのたねがまた風になってきたのかなと思ってたのよ。
でも…その成長をみるに連れてこれは…?



こんなに伸びましたよ。



こんな花が咲きました。



こんな実がなりました。

これはもう間違いないでしょう。
雑草じゃなく今回は野菜だよ!
なんとトマト!プチトマト!タネをまいた覚えなし!どうして??

この青いトマトを撮影したのが10月26日
それからずーっと青いまま…日当たりがいいところにあるんだけどなぁ。グリーントマト?
調べたらトマトが赤くなるのは温度が高くなければダメなんですって。

じゃあ赤くなる前に枯れるかもと思ったのですが、



なんと2ヶ月頑張って赤くなってくれました。流石に今は1月、時に寒く霜が降りたりするので枯れてきています。あと2つ青いトマトがなっているけど食べられるかな?



だけどこのトマト苗を植えた覚えもタネを蒔いた覚えもありません。やっぱり風の贈り物?鳥のどこかのプチトマトを食べてここでプリっと○○していった?のかしらね。
でも神様からの贈り物だね。このトマトちゃん美味しくいただきました。神さまありがとう!



実は骨折してるのよ。

2018-01-04 09:49:24 | キリスト教(証)
皆さん、明けましておめでとうございます!

実は年末に骨折しました。
ギブスで松葉杖のお正月を過ごしています。
何でこんな事になったかというと…。
実はパートで週3で働いていたんです。通勤には自転車。
その走行中に自転車が壊れるというハプニング!(ママチャリ愛用の皆さん、メンテしてね。)

当然バランスを崩して私は車道に投げ出されてしまいました。
周りの人の助けを借りてやっと起き上がることができましたが、周りの人の「運転手さん、びっくりしてたよね。」の声に後続車が迫っていたことを知りました!😱
轢かれなくてよかったよ。😰護られたぁ!神様ありがとうございます!

しかし足が酷く痛い。パート先に連絡し、痛む足を引きずりながら家に戻り改めて医者に行くと、
右肘の打撲、そしてどういうわけか左足を骨折。。・°°・(>_<)・°°・。
左第五中骨という箇所が2箇所、全治2ヶ月の骨折でありました。

整形外科の待合室で同じアカデミー卒業のK姉様にばったり会いました。
K姉様は事情を知ると「それは神様の憐れみだよ。後続車に命は護られたし、フルートを吹くのに大切な手も護られた、それに右足も無事だったから車で通院することも出来たじゃん!」
考えてみれば車が少し広くなったところで倒れたので車も避けることができたのでしょう。
本当にアーメンです。😌

しかも、なんとこれが出張教会コンサートの5日前!😱もう頭の中ぐるぐる回っていましたよ。
ピアニストの友人も😱。彼女にも、私の教会の方々、主催元の教会の方々、友人達、みんなに祈っていただきました。
やってきましたよ、コンサート。ドレスにギブスに松葉杖という出で立ちで。だって身体と手指は護られたんですからフルートを吹くにはなんの支障もありません!どうしても神様が私にどんなことをしてくださったのかその恵を証したくて。演奏は椅子に座ってやりました。その日、コンサートには8人の未信者の人が来られていて「自分の境遇と重ねて聞くことができて色々なことを抱えているのがわかった」とか「また教会のイベントに来たい」といってらしたそうです。ちょっとは役に立てたのかな。良かったわ…。

ということで人生初の骨折、ギブス、松葉杖。ちょっとした段差にも苦労してます。( ;∀;)
あと、トイレとか、お風呂とか…。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

ここ数年忙しくてあまり更新してないのに、またこんな稚拙なこのブログを見てくださる人がいるなんて感謝です。\(^ω^)/
今年もよろしくね〜!

夜明け色のアルバ、またあう日まで

2017-06-05 23:09:53 | 我が愛猫たち
5月31日水曜日の朝、アルバが息をひきとりました。

アルバのためにお祈りくださった皆様、励ましてくださった皆様、本当にありがとうございました。








病気がわかったのが1ヶ月前の4月28日。ステロイドとDフラクションを投与、固形のご飯を食べなくなったのでペースト、流動食、だんだんそれも受け付けなくなり、最後は水だけでした。状態が悪くなってからは部屋のすみや、玄関の暗がりで過ごしていたのですが、朝、私達の布団の足元までいつの間にか移動し、ねていたのです。

他の猫たちがバタバタするのでケージの中に入れて様子を見ていたら、クーッと何回か鳴いて呼吸が荒くなりそれほど苦しまずに 旅立ちました。

ほとんど食べられなくなって1か月アルバは頑張りました。立派でした。

アルバは所沢犬猫支援の会からもらった野良ちゃんの子供でした。明るい茶虎の色が何かの本で読んだ詩(だったかな?)”夜明け色の猫”にぴったりだったのでイタリア語で夜明けを表すアルバという名前。を付けました。その名の通り鬱で苦るしんでいた私に夜明けをくれた子です!

神様、アルバをありがとうございました。アルバ、11年間、ありがとう。今は悲しいけど、寂しいけど、また天国で会おうね