風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

ふぅ。。。。。

2006-12-14 15:33:22 | 発達障害・アスペルガー症候群
はぁ。。。落ち込みモードです。。。。
原因はいろいろあるけれど・・・・。

昨日、朝から長男をパニックにさせてしまった。

長男の注意欠陥はひどいので自分が選択している教科が明日あるのかないのかも把握していない事が多い。そして依存性が高い。必ず私にこう聞いてくる。
「お母さん明日OOのクラスあったっけ?」

高2になってから朝なかなかおきられない。夜更かしをする上、薬を夜中に飲んで睡眠作用が朝まで残るせいで起きられないのかもしれない。

昨日はようやく起きて朝食を食べた後、また寝てしまって「いい加減起きて支度しなさい!」と私に怒られた時は彼が出かけようと決めた時間を過ぎていて、ものすごいあわてぶりだった。

長男:「どうしよう!あああ~!おなかがいっぱいだ~!だめだ~!学校へ行けな~い!!」

こういうのは彼独特の恐怖感があるからだ。満腹状態で電車に乗るのが怖いのだ。

でも最近、2年になって長男は学校へ連絡さえすれば遅れていってもいいのだと平気で遅刻するようになってしまった。

だから将来仕事を知ることを見据えて、決まった時間までに行くことができないのは困る事になるとなおさら思ってしまったのだ。でも長男は自分ルールがあって他の人がどういってもうけいれない。

私:「学校へは決まった時間に行かなきゃ行けないんだよ!」
長男:「本当にだめなの!お願い休ませて!」

私:「だめ!行くしたくをしなさい!準備をしているうちにおなかがいっぱいなのなおるかもしれないから。とりあえずいく準備をしなさい!」

長男:「やだぁ~!うわぁ~!吐いちゃうよ!」
私 :「いい加減にしなさい!吐いたって死にはしないわよ!」
長男:「お母さんには僕の嘔吐恐怖なんてわからないんだよ!」
私 :「あんたにだって私の大変さなんてわからないでしょう!あんたは無理させるなと人に言っておいて自分は人に無理をさせてるんだからね!」

この後長男はトイレに駆け込んで本当に吐き戻してしまった。

ときどき長男の行動は甘えからくるものがあるのではないかと思ってしまう。それに両手で頭を抱えてでかい声で叫んでいる彼を見るとオーバーとしか言いようがなくついつい私もエスカレートしてしまう。そして言い合っているうちに収拾がつかなくなるのだ。

アスペルガーの子にはこういうアプローチがいちばんいけないとわかっているはずなのに・・・・。
ああ、最低だ。私。。。



長男はまだ胃に食べ物が残っていると気にしながらもようやく着替えた。
学校に遅れると電話をかけると・・・なんと・・・今日は休みだった。

「ああ、吐いてしまって食べ物が無駄になった。もったいなかった。」
「追い詰められたから今日のことはトラウマになるかもしれない。」

こんな事を寝る前までずっといっていた。かわいそうなことをした。
私は母親としてまだまだなのか。

なんだかこっちも疲れた。。。。。




僕の歩く道

2006-10-18 00:33:21 | 発達障害・アスペルガー症候群
フジテレビで火曜夜10時から放送している「僕の歩く道」というドラマを見た。
草剛が演じる自閉症の青年の話。今日で2回目。

私の長男は彼のようなタイプではないけれども、やはり、それなりの生きにくさは抱えている。今日は見ていて次男のことを考えさせられた。ドラマで主人公の母親は自閉症の子どもに常に心配していて、そのせいでその下にいる妹はほったらかし。母親は妹はしっかり者だから大丈夫とおもっているようだ。母親と一番上の兄が自閉症の2番目の兄のことで口論しているところを黙ってみている妹、常に彼に注意を向けている母の後ろでさびしそうな妹。その場面を見て考えさせられた。私も少なからず、こんな思いを次男はしていたのではないだろうかと思った。

まだアメリカにいた頃私とだんなの教育方針の違いや長男の就労についての見解の違いでケンカがたえなかった。あまり腹が立ったので真夜中に出て行って街中をドライブをした事を長男のセラピストに話したら、そんな状態の時に車の運転は危険、だんなの考えは社会の厳しさを知った上での事だろうと諭された。
そして最後にこう付け加えた。「あなたにはもうひとり大切なお子がいるのよ。」

長男の事ばかり一生懸命の私に次男の心のケアも大事なのだという事を思い起こさせていただいた。

長男の様子が他の子供とちょっと違うなと思ったのは幼稚園の頃。次男は生まれたばかり。次男が赤ちゃんの頃はそれなりの子育てだったように思う。だが、長男が学童期に入った頃はいろいろな発達障碍特有のいろいろな問題がでてきていた。長男には付きっ切りになって教える事があったし、次男は長男と比べておとなしく、長男がその頃出来なかった事をすんなりとできるのでこの子は大丈夫と思い込んでいたことがあった。今考えるとさびしかったのかなとも思う。しかも一番甘えたい盛りに甘える事も出来ず言葉がたくさん出てくるときに異文化の中に突然おかれたのだから今の次男の幼さや、年の割りにの甘えたがりの行動は幼い時に足りなかったものを補おうとしているかもしれない。


ドラマは自閉症の青年の就労の難しさも良くあらわしていると思う。得意なものがあっても周りに理解する人やうまくその能力を管理してくれる人がいないとその能力と就労は結びつかないという現実がある。なくし物や失敗する事に異常に敏感になり、時にパニックを起こす長男。

これから長男はすくなからず主人公のような思いをするのかなと思う一方で妹の存在を次男に重ねながらドラマの中で傷ついてなければいいな、これから変な事にならなければいいなと案じてしまうのだった。

天から授かった特別な子ども

2006-08-10 14:44:07 | 発達障害・アスペルガー症候群
という詩があるのをご存知だろうか。

作者のエドナ・マッシミラの3女には生まれつきの障碍がある。3女のルースを施設に入れようと車を走らせていた時、たまたまラジオでかつてのクラスメート声が流れてきたという。彼も障碍者であり、ラジオでは、幼い頃のエピソードをかたっていた。彼は障碍のある子はどんな時に生まれてくるのかと母親に聞いたのだそうだ。

すると母親は「神様とその相談役の方々が話し合って、その子の送り先を決めるのよ・・・愛してくれる家族はどこにいるだろうかってね。つまり、うちの家族は選ばれたのよ。」

その時エドナ・マッシミラは3女のルースは目的があって自分達に授けられたのだと悟り、家に引き返したという。この詩はこの日の夜につくったものだ。


「天から授かった特別な子ども」


はるかかなたの空の上で、会議が開かれた

「次の子どもを送り出す時がきました。」

天上の神に天使達が言う

「この特別な子どもには、たっぷりの愛情が必要です

 成長はとても遅いかもしれません

 できないこともあるかもしれません

 ですから下界でこの子が出会う人々は

 余分に手をかける必要が生じるでしょう

 この子は走ることも、笑うことも、遊ぶこともないかもしれません

 何を考えているかわからないように見えるかもしれません

 なじめない事がたくさん出てくるでしょう
  
 この子は障碍児と呼ばれることになるのです

 ですから送り先には十分注意しなければなりません

 この子の人生を満ち足りたものにしてやりたいのです

 主よ、お願いです、あなたに変わってこの特別な任務を
 
 きちんと果たす親をみつけてください

 彼らは自らに託された大事な役目に

 すぐには気づかないかもしれません

 でも、主によって送られるこの子どもがいれば

 信仰はより強く、愛情はより豊かになるでしょう

 そして、この天の賜物のめんどうをみるうちに

 与えられた栄誉にきづくはずです

 彼らにゆだねられる、おとなしい子は

 天から授けられた特別な子どもなのです」

 


この詩をはじめて知った時、涙がでてしまった。 

私はこの特別な任務をきちんと果たしているのかな?

いいところ応援計画

2006-07-08 17:54:03 | 発達障害・アスペルガー症候群
長男の高校の親の会で「いいところ応援計画」という講演会がひらかれた。講師は所沢教育委員会の阿部利彦先生。以前地域の親の会がNPO法人としてスタートする時、記念講演として阿部先生がきてくださったのだが、残念ながらその時聴講することができなかった。とにかく各セミナーで大評判の先生という事で今回は絶対見逃したくないという思いから、電車は怖いけど・・・行ってきた。

講演内容は所沢・軽度発達障碍児を支援する会「よつばくらぶ」さんに詳しく書かれているのでご参照ください。

いいところ応援計画

講演の中で子供のいいところを探すところがあるのだが、それが人よりも優れているところではなくていろいろな良いところ、それを探すために「心のストライクゾーンを少し広げる」つまり、固定概念(もう中学生なのにとか。。。できて当たり前なのにとか。。)を変えていくというところがよかった。

たとえば、「朝ごはんを毎朝たべる。」でもいいのだ。
「明日の準備をたまにしかしない。」のであれば「明日の準備をたまにすることがある」と肯定的にするわけである。こうしてどんな小さな事も徹底的に良いところとして肯定化するのだ。

また、学校などでの彼らの問題行動、課題の多くが環境との相性が悪さから来ているものなので、「悪者探し、原因探しをするより対処法探しを」というのはうなずける。

そして、いいところをふやし、他者に貢献する喜びをおしえ、適切に援助を求める能力をそだて、苦手な人とでも過ごせる能力を育て子供達を導いていくのである。

また、しかる時のかかわり方も考えさせられた。

*より適切な行動へ導くためであって凝らしめるためにしからない。
*一部の行動で全人格を決め付けない。
*しかる時はメリハリをつけ強く短く、プライドをきずつけない。
*子供にとって大切な存在でなければ(信頼関係ができてなければ)、しかっても効果はない。

気をつけているようでも出された例などで実はやっているところもあった・・・。長男いわく「お母さんの説教は長すぎる!」だからね。。。

最後に、親にゆとりがない場合、子供のいいところ探しもできない。そこで「子供をほめ、認め、支えるために、母親休業日などを設けてリフレッシュするのもよし、大人が人生を楽しむモデルになる。」と付け加えてくださった。

阿部先生のお話はユーモアたっぷりでとても楽しく勉強になった。その後のパーティで阿部先生とお話しする時間があったのだが、やはり私達の地域ではまだ発達障碍の子供たちを支援するに体制には至ってないらしい。それもそのはず、現に親の間では特別支援の欠落地域とまでいわれているのだから。でも隣町に阿部先生のような方がいらっしゃるのなら、こちらの地域にもいい影響が出てくるかな・・・。

今日は電車の中でもなんともなかったし、行って良かったと思える講演会だった。

うちの植物博士

2006-06-05 12:15:35 | 発達障害・アスペルガー症候群
アスペルガー症候群(自閉症)の子供は何かしら強い興味を持っていて、それについてのたくさんの知識があったりする。きょうはアスペの長男ネタ。

植物好きのうちの長男、今度はカンナを育てると張り切っている。いそいそと種、天然肥料などを買いに行った。

彼にガーデニングを教えたのは私。長男が小学校3年の頃、極度の不安が高まるとパニック状態になり、体が動かなくなるということがたびたびあった。本当に何とかしてやりたいと思うほどかわいそうだったので、気休めでもリラックスできる何かを見つけてやりたかった。私自身、土いじりをしている時が気が休まるためなんでもいいからと花の種を植えさせたのがきっかけだったのだ。

最初は大変。長男には自分ルールがあるのでそれから外れた事があると大騒ぎ。芽がでないと悔しがり、水をやりすぎたり、肥料をやりすぎたりで結局育たなかったりで、失敗のほうが多かった。しかし、飽きもせずそれからはまってしまったのか、やれ、何とかの原種の花を咲かせるだとか、やたら派手な、またはやたら地味な花を咲かせると一生懸命になり、いろいろ失敗しながらもルピナスなどの立派な花を咲かせる事ができた。

もともと植物は好きな子で自然科学の本、図鑑ばっかり眺めているような子だった。彼が小学1年の時だ。帰宅予定時間をだいぶ過ぎても戻らない。「誘拐」の二文字が頭に浮かんで青くなっていた私のところへやっと戻ってきたので何でこんなに遅くなったのかと問い詰めたら、この辺には西洋タンポポが多いから関東(日本)タンポポがあるのかどうか、タンポポのガクを調べていたのだという。それで時間がたって帰宅するのが遅くなってしまったようだった。(西洋たんぽぽのガクは反り返るが、日本タンポポのガクは上向き。)

そんな子どもだったのでガーデニングにはまるのはとうぜんかもしれない。いまも植物図鑑や植物の科学の本を読みあさり、植物の名前はもちろんのことラテン語の学名まで覚え、どの地域に生育しているのかほとんど把握している。最近では園芸講座、植物医講座の通信教育で勉強したり。(といってものんびりしているのでもうそろそろ課題を出せといわなければやらない。)

そんな長男と一緒にテレビ映画を見ている時だった。
場面はマフィアの隠れ家がシチリア島にあり、そこに人質を連れて行くシーン。

「ここはシチリアじゃないよ。あの辺に生えている木はcoast live oakでカリフォルニア沿岸にしか生えないから、ここはカルフォルニアだよ。」淡々と語る息子。

あああぁ・・・映画のイメージが・・・。私には木なんてどうでもいいのよ。。。イメージをくずさないでくれいぃぃぃ!映画見ても木が気になるのかいっ!


さて、長男のこの植物の知識どういかそうか・・・。得意な分野を伸ばしてあげたいと思うが、アスペのこういう特徴を就職に生かすのは難しいとセラピストにいわれたことがある。うまく管理する人間がそばにいてはじめて仕事としていかせるのだといっていた。うまく管理ねぇ・・・。う~ん・・・・。来年は高3だから、受験か、就職か・・。悩むところだ。本人はのほほんとしているのにね・・・・。

ABCニュースから・・・

2006-04-01 12:22:00 | 発達障害・アスペルガー症候群
長男がBS放送でABCニュースを見ていた。(奴は絶対ニュースかドキュメンタリーしか見ないのだ。)仕方なく私もニュースを見ていると学習障害についてのニュースがやっていて思わず身を乗り出して聞いてしまった。

ニュースで取り上げられた問題はこのようなものだった。アメリカのSAT(大学入試能力適正標準テスト)は学習障害、注意欠陥多動障害の診断書があればその支援として最長2時間延長できる。これを悪用し、医師にお金を払って偽の診断書を書いてもらいこの恩恵を受ける人たちがいるというのだ。ハーバード大学やプリンストン大学などのアイビーリーグ(アメリカ北東部にある名門8大学)、他のエリート校、の激しい受験競争を勝ち抜くため、時間を延長の恩恵にあずかり、パーフェクトに近いスコアを取るのが目的だという。ある人はこれを金持ちの子供達の抜け道と読んでいるそうだ。

アメリカ人はよく「It's not fair!」というが、これこそそうじゃないの?
発達障害に対するサポートを知らない人に説明する時、よく、「目の悪い人にめがねをかけるように」の「めがね」としてたとえられる。めがねをかけてこそ他の人が見えるのと同じように見えるのだ。また英語で障害者をしめすHandicapped Personの「Handicap」はゴルフをされている人ならピンと来るかもしれないが、お互いの力をfair(公平)、もしくはeven(平等)にするためにつけるものだ。そのevenにするためにあるサポート制度が悪用されているのである。

学習障害などの発達障害は脳の機能障害である。左右の脳の統合がうまくいかないと情報処理の問題にかかわってくる。聴覚言語機能をつかさどる左脳の働きが弱ければ、国語の内容が理解できなかったり、数学の文章問題ができなかったりする。また、空間認知、図形の認知等の視覚情報の処理機能、音楽の理解機能をつかさどる右脳、または左右の脳の働きが悪い場合は国語での書字障害、読字困難があり、数学では図形が苦手、図画では描画がうまくできない等の問題がおこってくる。

だから、発達障害のある人は普段なんでもないように思われることにもできなかったり時間がとてもかかったりしてしまうのだ。だから試験時に時間の延長というサポートがつくのである。(他のサポートとして大勢ではなく別室で1人で受けたり、読字困難症の人は字が飛んで見えたり、絡まって見えるためテープを聞いての試験が許される。

そうした学習障害などの研究、サポートのあり方はアメリカは日本より20年~30年先に進んでいるという。長男を通して知ったそういう子供達に対するサポート制度は本当にすばらしいものであった。(ちなみに長男はアスペルガー症候群が主訴であるが、ADHDの要素もあり、学習障害を併発している。)

アメリカで障害が立証されると個人プログラム:IEPが作られる。自尊心を持つことが何より大切にされ、その子の持つ長所は徹底して生かして自信をつけさせ、苦手な部分は1対1で無理せず勉強。必要ならばエイドと呼ばれる介助員がたった1人のためにつくのである。

日本に帰国して残念だったのはこういったサポートが「えこひいき」や「特別扱い」という否定的なニュアンスでとられるということだった。日本では昨年の12月に発達障害者支援法ができたけどね。20、30年以上も先を進んでいるといわれるアメリカでさえこうしたサポート制度を悪用する人がいるのだから、やりきれなくなってくる。日本の支援法が形になってくるのはまだまだこれからだけど是非、こうしたアメリカの失敗から学んでいいサポート制度を形作ってもらいたい。

悪用した彼らは「そんなのフェアじゃないよ。私達にもその制度利用させなよ。」と思っているのだろうか?それにしてもゲームでもするようにこういうことをする輩がわりといるのだそうだ。ちょっと、ちがうんでないかい?それだけ発達障害には特別なニーズが求められるということなのよ。

悪用する人間も信じられないが、お金をもらって診断書を書く医者、どうなってんの?

本当に「アンフェアなのは誰か?」である。

春の嵐

2006-03-17 14:22:46 | 発達障害・アスペルガー症候群
昨日、今日とすごい風。さっき外へ行ったら砂利が風に巻き上げられて顔に当たって痛かったよ。春の嵐なんだって。

こんな日はアスペの長男はとてもハイになる。今日は長男ネタだよ。

「うちの鉄塔男」、「うちの電車男」、「うちの昆虫博士」、「うちの植物博士」とアスペ特有のこだわりや、限定された興味をとことん追及するため、家でよばれる肩書きはたくさんある。

そして「うちの気象予報士」もそのひとつである。
思えば赤ん坊のころからそんな兆候があったな。

大風が吹くと、超ご機嫌、「あ~、う~」などと手足をばたばたさせて喜んでいる。っというより興奮している状態。大風でこんなに喜ぶ赤ん坊も珍しいとおもった。

幼児のころは、台風、雨、雪、の日は必ず窓に張り付いていたものだった。

学童期の彼は、雷、雹を伴う嵐がお気に入り。
嵐の日には「サンダーストームだぁ~!!」(このころはアメリカに住んでいたので)と外に出て行って、しばらくたたきつけるような雨の感触を楽しみ雲の形、流れ方、色を観察し、びしょびしょになって帰ってくるのだった。

サンダーストームから、竜巻、ハリケーンと興味はどんどん広がっていき、歴代のハリケーンの名前、コースまで丸覚えだった長男。誰もが、将来は気象予報士かトルネードチェイサーになると思ったほどだ。


「雷雨好き」、「台風好き」は16歳になった今でもかわらない。夏の雷雨の時などはマンションの最上階の階段の踊り場まで行き、雲の様子を見て楽しんでいる。

しかしマンションの最上階の住人にはどうも不審者だと思われたらしく怪訝そうな顔つきで「あの~ここにお住まいなんですか?」といわれてしまったことも・・・。

昨日などはあの雨と風の中「散歩に言ってくる」といって隣町まで歩いて帰ってきた。「面白かった」といって。

今でも気象情報のチェックは欠かさない。
そんな彼の気持ちもわからないわけではない。というのも、私も雷は大好きだ。雷鳴や稲妻、稲光など見ていると不思議とわくわくして気分がすっきりしてくる。やっぱり、この親にしてこの子あり?なのかも。。。

星の降る日に生まれた子

2006-01-04 08:18:26 | 発達障害・アスペルガー症候群
1月4日は長男の誕生日だ。今年で16歳になる。最近はティーンエイジャーらしくだいぶ生意気を言うようになったが、全体的には穏やかで素直な子にそだってくれた。

また、この日はしぶんぎ流星群(りゅう座流星群)が極大になる日でもある。3大流星群のひとつで3日から5日にかけてピークになる。

文字通り、星が降るこの日に誕生した愛すべき長男だが、彼には広汎性発達障害がある。

この障害は自閉症連続体の高機能自閉症、アスペルガー症候群などの総称で彼の場合、主訴になるのはアスペルガー症候群であり、注意欠陥多動障害、学習障害も併せ持っている。

ではどんな障害なのか。詳しく知りたい人は日本自閉症協会東京支部の「アスペルガー症候群を知っていますか?」をご覧あれ。http://www.autism.jp/l-00.htm

一般に言われるアスペの特徴と彼の特徴をあわせるとこうだ。中には成長とともに幾分かマイルドになっている箇所もある。

人と交わる方法や相手の考えや気持ちを理解することが困難。
しばしば自然な会話が困難。(興味のあることを一方的に話してしまう。)
特別に興味のある分野に強い執着もち、専門的な知識がある。
不器用。
騒がしい場所がきらい。
予定外のことが起こるとパニックをおこす。
2つ以上の指示がはいらない。
不注意。
正直すぎる。思ったことを考えないでそのまま言ってしまう。
落ち着きがなく衝動的。

こういう特徴から「変わっている」といわれ、学童期の集団行動を基本とするようなところではしばしば周りに合わせる事ができず対人関係のトラブルが発生した。
知能的な問題がなく、また、言葉での障害がない彼を見ているとそれだけ障害という言葉が当てはまらない、だから「自分勝手、わがまま、トラブルメーカー」等の相当な誤解を生じ、いじめの対象ともなる。

自閉症連続体のひとつだが自閉的ではない自閉症といったほうがわりやすいかもしれない。そして、アスペは軽度の障害と思われがちだ。しかし本人は持てる知識とできないこととのギャップに苦しみ、周りとのギャップ、先の見えない将来への不安と常に戦っているのだ。本人にとってはかなりのつらいことでけして軽い障害というものではない。

また親のしつけがなっていない、愛情が足りていないというご意見もあった。情けないことだが私は自分のプライドもあってトラブルがあるたび怒りをぶつけ言葉で我が子を傷つける最低な母親であった。愛したいのに愛せない、自己嫌悪、罪悪感、すべて手探り状態、そんな混沌のなかで聖書のこの御言葉を知った。

「私の目にはあなたは高価で尊い。」(旧約聖書イザヤ書43章4節)
神様にとって1人1人が特別であり高価で大切な存在なのだ。

また、ヨハネの福音書9章1~3節ではこういっている。

イエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問していった。

「先生。彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

イエスは答えられた。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」

障害を持った人をかわいそうと思ったり、不幸な星の下に生まれたといったり、因果応報に結び付けたがったりするが、聖書はそれをまったく否定している。

そしてこうもいっている。

「神は知恵あるものを辱めるために、この世の愚かな者を選び、強いものを辱めるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世のとるになりない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、あるものをないもののようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは神の御前で誰をも誇らせないためです。」(新約聖書Iコリント人への手紙1章27~29節)

神様を知ってからまったくこの世の価値観が変わってしまった。
神に選ばれた人といったら「きれい事を言うな」と言う方がいるかもしれない。
だが、事実、この子がいなかったら発達障害の子の持つ素直さ、正義感、おもいのほかに豊かなその世界を知ることはなかった。

お互いの違いを理解しあうということをこの子を通して学んだのだ。長男のような発達障害を持つ子供達にはこの世の価値観を打ち崩す、特別なミッションがあるのではないだろうか。


困難を抱えて生きているがそれは不幸なことではないと思う。かわいそうといったらそれはこの世の中でマイノリティとしてに一生懸命生きている彼に対して失礼だ。神様の御手の中で彼らしく生きる道を見つけ出せるようにと私はいつも祈っている。

美しい星も、壮大な宇宙、そして長男も神のすばらしい作品のひとつだ。そして障害も彼の個性のひとつなのだ。いつかアメリカ人の友人がこういってくれたことがある。「彼は strange ではなくて special なんだよ。」- 高価で尊い特別な存在。
16年を振り返りながら、16年前に長男をこの世に生み出そうとしていた時間帯の夜空を眺めながら、ふと、そんなことを思った。
(残念ながら、シーイングが悪くて流れ星はみられなかったよ・・。)