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読売日響:第117回定期演奏会

2005-05-13 | 音楽 クラシック

読売日響:第117回定期演奏会

2005年5月13日 19時 東京藝術劇場

指揮:下野 竜也
読売日本交響楽団
■モーツァルト: 交響曲第29番 イ長調 K,201
■マーラー: 交響曲第1番 ニ長調 <巨人> 

パンフレットから開設を引用
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モーツァルト
交響曲第29番イ長調K. 201

人生の3分の1が旅であったというモーツァルト(1756-91) 。彼はヨーロッ パの音楽都市を渡り歩くなかで、各地の様々 なスタイルや新鮮な表現方法を吸収し、自らの語法として消化してゆきました。その豊かな経験の積み重ねは、彼の創作の進展のなかに確実に刻み込まれており、その意味でモーツァルトは、純粋培養型の神童でも、温室育ちの天オでもなく、大きな包容力をもったたくましい芸術家だったと言えるでしょう。ただそれでも、人生80年が当たり前の合日に生きる私たちにとって、モーツァルトの音楽すべてを35年という人生のなかでとらえるのは、めまいのするような感覚であって 、彼の音楽をどの切り口で切ってみても、この感覚から解放されることはないように思われます。

1 773年 3 月、 5 か月にわたるイタリア旅行から帰ったモーツァルトは、2か月足らすの閻に、イタリア風のスタイルを 取り入れた華やかな交響曲を4 曲 書き上げました。その年の7 月には約2か月のウィーン旅行を行い、戻った秋から翌年の間に、ウィーン旅行の成果と言うべき5 曲の交響曲が作曲されました。この 9曲は「ザルツブルク交響曲」と呼ばれ、モーツァルトの交響曲創作の節目を形成していますが、第29番はウィーン旅行後の新境地を示す曲であり、第25番卜短調とともにひときわ充実した傑作として輝いています。17- 1 8歳の驚くべき成長と成熟です。

両端楽章の主題が関連づけられていること、第1、第?2楽章に3つの主題が用いられていること、メヌエット以外の全楽章がソナタ形式で書かれ、コーダがついていることなどは、ウィーンで吸収した明確な特徴と言えますが、さらに対位法的書法の充実によってより精妙な表現が試みられている点が、第29番の注目すべきところでしょう。これもウィーンの室内楽様式に触発されたものとは言え、そこにはモーツァルトならではのすぐれた創意と表現の深まりが見てとれるのです。

第1楽章 冒頭音型を1 音ずつ上げてゆく第1 主題、その入念な声部書法は、この密度の高い楽章を象徴している。

第2楽章 巧緻な室内楽的書法による優美な音楽。呈示部の構成は第 1 楽章を反映している

第 3楽章 付点音符を生かしたメヌエット。

第4楽章 展開部の反復手法が印象的な、活気に満ちたフィナーレ。

マーラー
交響曲第1番二長調〈巨人〉
作 曲:1884 - 88年。
初 演:1889年11月20日、ブ ダペスト。

 ハイドンがその基磋を築き、モーツァ ルトが洗練された古典美のスタイルに高め、さらにベートーヴェンが飛躍的なス ケールでその姿を発展させた交響曲は、19 世紀後半のマーラー(1860- 1911) に到って、過熟の果実のような段階に達したと言えるでしょう。マーラーにとって交響曲は、「自分の世界すべてを、あらゆる技法を尽くして表現するもの」であり、そのきわめてパーソナルな 性格 づけは、ベートーヴェンまでの交響曲がもっていた普遍的様式性を内部から融解させているように思われます。マーラーは、従来の交響曲では用いられなかったような様々な手法を取り入れていますが、その特徴的手法の多くは、すでに第1 番のなかに現れています。例えば 、標題的な発想、自作の歌曲の取り込み、自然の音の描写、民謡風の素材、型破りな楽器法、そして葬送行進曲etc。とくにマーラーにとって交響曲と歌曲は、互いが分身であるような特別な関係にあり、第 1 番には〈さすらう若者の歌〉(1885) の旋律 がれ、若きマーラー自身のビ度の悲恋体験が底流でひそかに響き合っているのです。

4曲 から成るこの歌曲集は、旋律として入り込むだけでなく 、例えば 4 度音程ヘの執着となって第 1 番のなかに浸透し、その表現の意味を複雑に屈折させてゆきます。実のところ、第1 番の曲調それ自体は平易で親しみやすく、第4 番にも増してメルヘン的な趣があるのですが、第3 楽章までのそうした装いは、実は、傷つき苦悩する魂からさまよい出た追想の心象風景だったことが、第 4 楽章で明らかになるのです。

マーラーはこの曲の完成後、各楽章に手の込んだ標題をつけましたが 、何度かの大幅な改訂を経て出版された時に、それらはすべて削除されました。〈巨人〉というタイトルはその名残と言うべきもの で、ジャン・パウルの小説からとられているのですが 、これは当時の巨人主義や天オ主義を批判した教養小説だったらしく、むしろ反語的な意味合いが込められているのでしょうか。いすれにしても“巨人"のイメージをそのまま作品にあてはめるには無理があり、誤解を生みやすいタイトルではあります。なお参考までに、削除前の標題をかっこ内に示しておきます。

第1楽章(果てしなき春)カッコウが鳴き、角笛が響く印象的な森の夜明けで始まる。楽しげな第1 主題は、前述の歌曲第2曲〈朝の野辺歩けば〉の転用。むしろ反語的意味合いが込められている

第2楽章(帆に風をはらんで) 牧歌調のレントラー舞曲がユーモラスに描かれるスケルツォ。

第3楽章(座礁:カロの画風による葬送行進曲) 「ジプシーの楽隊を先頭に、死んだ森番の柩を運ぶ動物たちの葬列を描いた」カロの版画に着想を得たという。ティンパニとコントラバス独奏というきわめて特異な響きで始まる旋律は 、民謡〈マルティン兄さん(〉別名フレール・ジャック)で、カノンに展開される。中間部は、前述の歌曲第4 曲〈彼女の青い目が〉の終節。

第4楽章(地獄:深くつ傷いた心の突然の叫び)       嵐のような激情は、やがて勝ち誇った輝かしい歓喜の終結に向かい、地獄から天国へのドラマが描かれる 。

(つかだ れいこ・音楽学)

C席 5000円

 


自然豊かな野川

小金井市東町の南側を流れる野川。 国分寺崖線のはけの道に沿って。