雑誌「世界」7月号から経済同友会終身幹事の品川正治さんの連載が始まった。
「戦争を体験した者にとって――それも最前線での死闘を体験した者にいとって、『戦後』が終わることはない。」と、書き出している。
戦争の終わる1年前の1944年、京都の三高で生徒総代をしていたときに、京都師団長の査閲が行われ、軍人勅諭の暗誦を一人の生徒が、「我国の天皇は世々軍隊の統率し給う所にぞある」と。査閲官の「もう一度言え!」に、「天皇に名を借りて軍は一体この国をどこに連れていこうとしているのですか?」と。校長室で話し合われた席に生徒総代として同席し、「三高総代としての責任をとり直ちに退学し、陸軍の一兵卒として志願する。一は必ず最前線に送ってもらいたい」と発言。その後、中国大陸の最前線の送られたという。
敗戦後の中国の収容所で、河上肇の薫陶を受けた野口英一大尉のもとで、ガリ版刷りの雑誌を出し、その創刊号に@終戦――日本は二度と戦わない!」と題した一文を寄せた。
1946年4月の復員船で日本に着いた船の中で、日本国憲法草案の全文が収録された新聞を、野口大尉の「品川、大声で読め」との言葉に、読み始め、「9条を読み終わると全員が泣いた」と、9条との出会いを語っている。
これまで、九条の会などで2回ほど、お話を聞いたことがある。当然ながら憲法九条を中心にした話である。品川さんの九条を守れという原点を知った思いがする。
あらためて、財界人のトップの一人である品川正治さんの憲法9条と日本の政治に対する強い医師を感じた。