広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ150505 米沢城趾 上杉伯爵邸2

2015-06-02 20:52:36 | 食べ物




せっかくなので、上杉伯爵邸でお茶くらいしようかと、入ってみることに。

ふかふかの絨毯だ。

通された所は大広間で、当時は謁見の間だったのだろうか?

電灯も和風だが、これは当時のものかどおかは不明。




http://hakusyakutei.jp/about.html
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ブログ150505 米沢城趾 上杉伯爵邸1

2015-06-02 20:39:11 | 食べ物




米沢城趾には第14代当主の上杉茂憲公が建てた伯爵邸が現存する。

お庭は自由に出入り出来、犬の散歩にも重宝されているようだ。戦前ではあり得ない光景とも言える。

しかも、伯爵邸は現在、レストランになっていて、ランチ、ディナー、カフェが楽しめる。

お料理の内容も米沢牛はもちろん、米沢郷土料理のお殿様料理を味わえるようだ。

まずは、庭から外観を堪能。
奥の方に仏間らしき場所がある。
実際に伯爵が住んでいた証拠だ。

謙信公も祀られていたのかな?

写真の最後は仏間。



≪上杉伯爵邸について≫
上杉伯爵邸は、明治29年、元米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵邸として建てられました。当時は敷地約5,000坪、建坪530坪という壮大な大邸宅でした。

しかし、大正8年米沢大火で類焼し焼失。大正14年に、胴板葦き、総ヒノキの入母屋づくりの建物と、東京浜離宮に依って造園された庭園が完成いたしました。

 設計者は中條精一郎、施工は名棟梁江部栄蔵による作品です。かつて、鶴鳴館(かくめいかん)と称され、皇族の御宿所ともなった、文化財的価値のある邸です。
設計は米沢出身の建築家・中條精一郎氏。鶴鳴館(かくめいかん)と称された。

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ブログ150505 上杉謙信祭り2 上杉謙信公と子孫達

2015-06-02 07:54:22 | 食べ物




米沢城趾には上杉謙信公の銅像などもある。
ただ、ちょっと気になるのは、上杉謙信公は米沢の地を踏んでいないと言うことだ。
ただ、上杉家開祖だからいいのかなぁ。
そのせいなのか、銅像はちょっと奥まったところに。

米沢は大河ドラマが好きな人なら周知のことだが、上杉家の前は伊達家の城下だったときもあった。

米沢の地を治めたのは上杉 景勝と直江兼続。
神社までのメイン通りに大河ドラマ記念の銅像も立てられていた。
もちろん、直江兼続は「愛」の兜を携えていた。

そして、道向かいには上杉鷹山公の銅像と石碑。
石碑には上杉鷹山公の名台詞「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」。やれば出来る、出来ないのはやらないからだ(意訳)。とやかく言う前に動け、ということだ。確かに出来ない理由を並べ立てるよりかはやってみた方が早いことも多い。

成せばなるは名言だが、上杉鷹山公の御言葉だったんだ。知らなかったU+1F4A6U+1F4A6

ジャンプでマンガになった「花の慶次」の歌舞伎者の前田慶次も関ヶ原以降は上杉家に仕えて米沢に暮らしていたと言う。

色々な逸材が集う米沢なんだなぁ。

ちょうど今、NHKで慶次が米沢で晩年過ごした頃の内容でドラマをやっているので興味がある方はどおぞ。



https://akiou.wordpress.com/2014/12/13/yonezawa-p2/

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E5%85%BC%E7%B6%9A

http://amoyoroshi.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
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