先日、初島でイタリアンレストランへ行ったときのこと。
私はつくづくナイフ・フォークの使い方が下手で苦手だと思った。
そして、いつもこういった料理を前にすると、太宰治の『斜陽』の冒頭部分を思い出す。
スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿(さら)の上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬(すく)い、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁(ふち)にかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕(つばめ)のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端(せんたん)から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。 ―太宰治『斜陽』より―
テレビなどの映像で、女優さんが食べ物を口にするとき、私はいつも気になる。
この人は、フォークやスプーンをどんな角度で口に運ぶのかと観察してしまう。
そして、「お母さま」のように、口と直角に運ぶ方が優雅だと思う。
真似しようと思うけれど、いつもできずにいる。
…で、先日もうまくできなかった。
これまでなら、「まぁ、いいか」と済ませていたけれど、今回は、なぜできないのかをちょっと考えてみた。
それはきっとうちの母のしつけと、我が家の食卓の狭さにあったのだと思う。
母は食事のとき、「肘を張らず、脇をしめて食べなさい」といつも言っていた。
脇を広げて食べるのはみっともないし、小さなちゃぶ台を家族5人で囲んでいるから隣に座る者にぶつかると言うのだ。
脇が開いていると、「行儀が悪い!」と肘をガツーンと叩かれたものだった。
ナイフ・フォークで肉を切るときは、ある程度、脇を広げないと力が入らない。
先日の伊勢エビは、殻から身をはがすのが、一苦労だった。
そして、『斜陽』のようにスプウンを口と直角に運ぶのには、脇をしめたままでは優雅に運べない。
脇にすきまを作ることにとても抵抗を感じる私は、「かず子」のようにフォークもスプーンも箸も横にしたまま口に持っていく。
あっ、それともう一つの要因にも思い当たった。
それは、スプーンならまだしも、フォークや箸の尖端が自分に向かってくるのが恐いのだ。
食事の作法としてはどうなんだろう。
やはり口と直角に持っていくものなんだろうか。
和の料理を食すときは、食器を手に持つから、脇が閉まっていた方がきれいに見えそうだ。
すると、箸を口と直角にするのには、少しばかり無理があるような気もする…。
氏には申し訳ないけれど、私にはこの冒頭部分の印象だけが記憶に残り、作品の細部のほとんどが欠落してしまった。
これを機に再読してみたいと思う。
私はつくづくナイフ・フォークの使い方が下手で苦手だと思った。
そして、いつもこういった料理を前にすると、太宰治の『斜陽』の冒頭部分を思い出す。
スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿(さら)の上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬(すく)い、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁(ふち)にかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕(つばめ)のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端(せんたん)から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。 ―太宰治『斜陽』より―
テレビなどの映像で、女優さんが食べ物を口にするとき、私はいつも気になる。
この人は、フォークやスプーンをどんな角度で口に運ぶのかと観察してしまう。
そして、「お母さま」のように、口と直角に運ぶ方が優雅だと思う。
真似しようと思うけれど、いつもできずにいる。
…で、先日もうまくできなかった。
これまでなら、「まぁ、いいか」と済ませていたけれど、今回は、なぜできないのかをちょっと考えてみた。
それはきっとうちの母のしつけと、我が家の食卓の狭さにあったのだと思う。
母は食事のとき、「肘を張らず、脇をしめて食べなさい」といつも言っていた。
脇を広げて食べるのはみっともないし、小さなちゃぶ台を家族5人で囲んでいるから隣に座る者にぶつかると言うのだ。
脇が開いていると、「行儀が悪い!」と肘をガツーンと叩かれたものだった。
ナイフ・フォークで肉を切るときは、ある程度、脇を広げないと力が入らない。
先日の伊勢エビは、殻から身をはがすのが、一苦労だった。
そして、『斜陽』のようにスプウンを口と直角に運ぶのには、脇をしめたままでは優雅に運べない。
脇にすきまを作ることにとても抵抗を感じる私は、「かず子」のようにフォークもスプーンも箸も横にしたまま口に持っていく。
あっ、それともう一つの要因にも思い当たった。
それは、スプーンならまだしも、フォークや箸の尖端が自分に向かってくるのが恐いのだ。
食事の作法としてはどうなんだろう。
やはり口と直角に持っていくものなんだろうか。
和の料理を食すときは、食器を手に持つから、脇が閉まっていた方がきれいに見えそうだ。
すると、箸を口と直角にするのには、少しばかり無理があるような気もする…。
氏には申し訳ないけれど、私にはこの冒頭部分の印象だけが記憶に残り、作品の細部のほとんどが欠落してしまった。
これを機に再読してみたいと思う。