図書館で、浅田次郎の本を探していたら、同じ「あ行」の棚に並んでいた浅川純の『自分の人事は自分で決める』というタイトルに惹かれた。
そうそう、自分の人生、自分でプロデュースするんだ、と意気込み、この本を借りてきた。
その中の一編に、主人公が「気をつけよう、四十過ぎての懐古癖」という川柳に苦笑している場面がある。
なるほど…私も同じ、気がつくと思い出にふけっている。
そんな懐古の中で、時々思うのは、「ゴードー山」のこと。
私が通っていた飯田小学校は、東名清水インターから近い場所にある。
小学校の北側に「ゴードー山」はあり、遊び場の一つだった。
中学2年のときに、飯田学区を離れてからは、このあたりへ来ることもなく、山は私の記憶から長いこと消えていた。
結婚して再び、この地域の近くへ住むようになり、ゴードー山付近は生活圏となった。
そして、ふとしたときに、いつも思うのだった。
ゴードー山の「ゴードー」はどんな字を書くんだろう。
山には確か古いお堂もあったから、「合同」という新しそうな言葉の漢字を当てはめるのは違うような気がする。
なら、「ゴードー」というのは、地域の人たちか子どもたちがつけた山のあだ名のようなもので、本当はちゃんとした名前があるんだろうか。
気にかかりながら、誰かに尋ねてみようとか、調べてみようとはしなかった。
今朝、市の広報を何気なく開いたら、「庵原の古式古墳展~午王堂山古墳群と鏡~」という見出しが目に止まった。
さらによく見ると、(ごおうどうやま)とルビがふられている。
「ゴードー山ってこれだったんだ!」
思わず声を上げてしまった。
謎の答えが意外なところから解けた。
「古墳群」とあるのは、このあたりに神明山古墳、三池平(みいけだいら)古墳があるからなのだと思う。
市の埋蔵文化財センターで、6月17日(日)まで、古墳展が開催されているらしい。
近いうちに行ってみるつもりだ。
思い出の中から、こんな発見があり、好奇心や興味が湧くのなら、「四十過ぎの懐古癖」はそんなに悪いことばかりじゃないかもしれない。
そうそう、自分の人生、自分でプロデュースするんだ、と意気込み、この本を借りてきた。
その中の一編に、主人公が「気をつけよう、四十過ぎての懐古癖」という川柳に苦笑している場面がある。
なるほど…私も同じ、気がつくと思い出にふけっている。
そんな懐古の中で、時々思うのは、「ゴードー山」のこと。
私が通っていた飯田小学校は、東名清水インターから近い場所にある。
小学校の北側に「ゴードー山」はあり、遊び場の一つだった。
中学2年のときに、飯田学区を離れてからは、このあたりへ来ることもなく、山は私の記憶から長いこと消えていた。
結婚して再び、この地域の近くへ住むようになり、ゴードー山付近は生活圏となった。
そして、ふとしたときに、いつも思うのだった。
ゴードー山の「ゴードー」はどんな字を書くんだろう。
山には確か古いお堂もあったから、「合同」という新しそうな言葉の漢字を当てはめるのは違うような気がする。
なら、「ゴードー」というのは、地域の人たちか子どもたちがつけた山のあだ名のようなもので、本当はちゃんとした名前があるんだろうか。
気にかかりながら、誰かに尋ねてみようとか、調べてみようとはしなかった。
今朝、市の広報を何気なく開いたら、「庵原の古式古墳展~午王堂山古墳群と鏡~」という見出しが目に止まった。
さらによく見ると、(ごおうどうやま)とルビがふられている。
「ゴードー山ってこれだったんだ!」
思わず声を上げてしまった。
謎の答えが意外なところから解けた。
「古墳群」とあるのは、このあたりに神明山古墳、三池平(みいけだいら)古墳があるからなのだと思う。
市の埋蔵文化財センターで、6月17日(日)まで、古墳展が開催されているらしい。
近いうちに行ってみるつもりだ。
思い出の中から、こんな発見があり、好奇心や興味が湧くのなら、「四十過ぎの懐古癖」はそんなに悪いことばかりじゃないかもしれない。