風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

Shimizu 六本木ヒルズ

2007年05月28日 | 清水ともゑ帳
今から25年ほど前、私がまだOLをしていたころ、多いときで週に2~3回、同僚と通っていたおでん屋さんがある。
店の名前は「ふみ子」といって、おでん屋さんが軒を連ねる「千歳おでん街」の中にあった。
OLの給料でも、仕事帰りにおでんをつまみに一杯飲んで…いやいや、一杯じゃすまないほども飲めた。

それから20年も経って、そのおでん街の近くに住むことになろうとは思ってもいなかった。
引越ししたら、真っ先に「ふみ子」へ夫と飲みに行こうと決めていたけど、名前の違うのれんが出ていた。
他の店へはなんだか足が向かず、おでん街の前の道を通るだけでさらに5年が過ぎている。
紫色の地に「千歳おでん街」の白抜き文字の看板を、時々仰ぎ見ることはあるものの、だんだん当時のことは思い出すこともなくなり、そこは私の生活の場にあるごく自然な風景の一部となっていった。

昨日になって、初めて気がついた。
おでん街の看板が、「Shimizu 六本木ヒルズ」と変えられていることに。
え~! なぜ、六本木ヒルズ?
建物は、私がOLだったころのほとんどそのまま。
看板のすぐ下には、黄色のパトランプもくっついているから、そのうち黄色の光がくるくる回り出すかもしれない。
西日の差す道を歩きながら、久しぶりにあのころを思い出した。

私は「ふみ子」へ行くとなぜか、『誰か故郷を思わざる』という古い歌を歌いたくなった。
当時のカラオケはまだ8トラとかいうものだった。
そのころ母はまだ生きていたけど、母がよく口ずさむ曲を歌ってみたかった。
日ごろ母には、猛反発していたのに……。
今思えば、女将のふみ子さんのおでんが母の味と似ていたからのような気がする。
だからこそ、母が他界して何年か後に、ここへ引越してきたとき、「ふみ子」以外の店でおでんを味わう気持ちにならなかったのだと思う。

女将さん、今も元気かな。
新しく掛けかえられた看板をもう一度見上げた。



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