「サイモン&ガーファンクル・イン・セントラルパーク」
というライブを金曜日のBSで観た。
息子のグリークラブの定演で、
彼らの数曲を聴いたばかりなのでタイムリーだった。
二人が解散する前の曲よりは、
ソロ活動をしてからの曲が多くうたわれたように思う。
スカボロー・フェア、ボクサー、明日に架ける橋
を聴くとさすがに胸が熱くなる。
サウンド・オブ・サイレンス
はアンコールで演奏した。
この辺は憎い。
私の高校生の頃が蘇る。
といったって、たいしたものではないが。
Uにやってるよと女房がいっても、
それほど感心を示さない。
さびしい息子なんだよな。
それにしても、
ポール・サイモンのギターがすごい。
今日の午後1時半から鳩山中学校吹奏楽部の「ふれあいコンサート」が、
町文化会館ホールであった。
鳩山中学校吹奏楽部は昨年、東日本吹奏楽大会で3年連続金賞を受賞した。
私はぜひ、鳩山中学校吹奏楽部の演奏を聴いてみたいと思っていたので行きました。
1時25分に会場(定員460人)に入ったのですが、3分の2は客席が埋まっていた。
私は最初、あまり人の坐っていない前のほうの席に坐った。
第1部が終わってから私は、後ろのほうの席に移った。
演奏は素晴らしかったです。
音が綺麗でアンサンブルもよかった。
私は、中学・高校と吹奏楽部にいた。
今日の演奏を聴いたら自分のことが恥ずかしくなった。
でも、吹奏楽部に所属していた自分のことをいろいろ思い出した。
思い出して、涙なんかも出てきてしまった。
吹奏楽部はいいです。
第1部 オリジナルステージ
1 マーチ「春の道を歩こう」 佐藤 邦宏 作曲
2015年度全日本吹奏楽コンクール課題曲
2 アウローラⅡ~朝陽に満ちて 八木澤 教司 作曲
3 アルセナール J.ヴァン=デル=ロースト 作曲
4 無事の祈り 奇跡の一本松~再び海へ~ほんとうの幸福
<東日本学校吹奏楽大会 金賞受賞> 樽屋 雅徳 作曲
第2部 アンサンブルステージ
1 打楽器六重奏 6人の打楽器奏者のための「ターラ」 西村 朗 作曲
2 木管八重奏 哀歌~「佐渡情話」の物語によるバラード 松下 倫士 作曲
3 ユーフォニアム・テューバ四重奏 シカゴシティ 八木澤 教司 作曲
第3部 ポップステージ
1 ジブリメドレー
2 「ルパン三世」のテーマ
3 ひまわりの約束
4 おジャ魔女カーニバル
5 アイネクライネ
6 わたしの一番かわいいところ
7 銀河鉄道999
今日午前9時55分~10時15分まで放送された「弾き語りフォーユー」(NHK FM)は
次の曲が演奏された。(2025年3月19日(水)午前10:15配信終了)
「美しい十代」(三田明が歌った)作曲 吉田正 (正しくは吉の上は「土」)
「旅立ちの日に」作曲 坂本浩美
「春なのに」作曲 中島みゆき
「卒業-GRADUATION-」作曲 林哲司
その中の「旅立ちの日に」が心にしみたので、今日の九想話に書きたいと考えた。
先日、NHKラジオで合唱の「旅立ちの日に」を聴いた。
それを聴いていて、いい歌だな、と思った。
この歌は、次のようなことで日本中で歌われることになったようです。
>卒業式の定番曲「旅立ちの日に」は埼玉県秩父市の中学校で生まれた曲です。
>生徒たちのために当時校長先生だった小嶋登さんが作詞、音楽の先生だった坂本浩美さんが作曲。
>最初はそんなパーソナルな歌でしたが感動を呼び、やがては全国で歌われる合唱曲となりました。
(小原孝pianoチャンネルより)
秩父の中学校の校長先生と音楽の先生が作った「旅立ちの日に」、
校長先生は、その歌詞を書いた年度で定年退職したようです。
旅立ちの日に/作曲:坂本浩美 ピアノ演奏&arrange:小原孝(ピアノCOVER) #卒業式の定番曲 #埼玉県秩父市 #小嶋登 #坂本浩美 #合唱曲
【合唱曲】旅立ちの日に / 歌詞付き / 歌唱練習 / 卒業ソング #合唱 #クラス合唱 #卒業ソング #合唱コンクール
今朝、ラジオ深夜便3時台のリクエストコーナー
「みんなの子育て☆深夜便▽みんなの音楽」(2025年3月7日(金)午前4:00配信終了)を
たまたま目が覚めて聴くと、吉田拓郎の「春を待つ手紙」が流れてきた。
私は、拓郎の歌でこの歌が一番好きです。
ものすごく得した気持ちになりました。
YouTubeにいっしょにある「外は白い雪の夜」も大好きな曲です。
吉田拓郎 17th single 春を待つ手紙 c/w 外は白い雪の夜
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2月の九想話
2/1 女子アナ
2/2 恵方巻き
2/3 妻の検診
2/4 昼飲み
2/5 パナソニックを解散・再編へ
2/6 劇的大逆転のロコ・ソラーレ
2/7 「保」の字のこと
2/8 図書館歴史講演会
2/8 入籍日
2/9 「原」という字
2/10 藤井王将、最年少で通算400勝達成!
2/10 六本木青春物語
2/11 梅の花が
2/12 平泉成さん
2/13 町民吹奏楽団
2/14 今年も福寿草が咲いた
2/15 タコ焼き
2/16 薬は毎日飲む
2/17 七人の侍
2/20 菊池寛の短編2つ
2/21 母校が消えそう
2/22 高齢者は機嫌良く
2/23 私のふるさと桜川市
2/24 雛を飾る
2/25 志ん生の「粗忽長屋」
2/27 サプリメント
2/28 春を待つ手紙
先週のいつだったか、トロンボーンを吹いてみたい、
吹奏楽団のハーモニーを味わってみたいな、と思った。
そうだ、鳩山町に町民吹奏楽団を作ればいいんだ、と考えた。
私は30歳の頃、埼玉県富士見市に住んでいた。
そこの住宅公団の2DKに、東京の高島平団地の1DKから引っ越した。
子どもが2歳になると1人と数えられてうちは4人家族となり、2DKに移れる権利が生まれた。
それで高島平団地から東武東上線の鶴瀬駅の近くにある富士見市の公団住宅の2DKに移った。
富士見市に引っ越して市民吹奏楽団があることを知った。
それで私は、そこに入ることにした。
市民吹奏楽団を指導していた人は、そのとき東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の
テューバ奏者だった大澤健一さんだった。
現在は、亜細亜大学吹奏楽団常任指揮者、東海市吹奏楽団正指揮者、
ハーツ・ウインズ音楽監督をしている。
私が富士見市にいたのは、もう40年前です。
あのときは毎週水曜日が、市民吹奏楽団の練習日だった。
トロンボーンは3人いて、毎週日曜日に公民館でパート練習をしていた。
富士見市民吹奏楽団は、年1回定期演奏会をしていた。
そのほかに弦楽器の人たちとオーケストラを作ってコンサートもしていた。
私は中学・高校と吹奏楽部に入っていた。
もし鳩山町に町民吹奏楽団ができれば参加したいと思う。
鳩山中学の吹奏楽部は、3年連続で東日本学校吹奏楽大会で金賞を獲得している。
中学校を卒業した楽器経験者も大勢いるだろう。
しかしこの年齢で、私が今から町民吹奏楽団を作るための活動はできない。
それだけの体力がない。
私はやはり、へたなピアノ・ギターを弾き、尺八・ケーナを吹いていきます。
ラジオ深夜便 午前1時台 【謎解き歌ことば アンコール】1/9(木)前半、1/10(金)後半を聴いた。
シンガーソングライター伊勢正三に日本語学者金田一秀穂が、フォークグループ「かぐや姫」・
フォークデュオ「風」のことや伊勢正三の歌づくりのことなどを訊いていた。
私は、伊勢正三のつくった歌が好きでした。
伊勢正三は私より1歳上です。
私が恋をしてそれを失ったとき、何回彼の曲を聴いて、ギターを弾いて歌ったことか!
「22歳の別れ」と「なごり雪」が私の心の底にずーっとありましたね。
ラジオで話していたことをここに書こうと思いましたがやめます。
ぜひ「聴き逃し」を聴いて下さい。
【謎解き歌ことば 前半】1月9日(木)午前1:05放送(2025年1月16日(木)午前2:00配信終了)
【謎解き歌ことば 後半】1月10日(金)午前1:05放送(2025年1月17日(金)午前2:00配信終了)
22才の別れ
イルカ / なごり雪 (with 南 こうせつ・伊勢正三) 「イルカ with Friends Vol.10 (2014)」
私のギターです
「名盤ドキュメント テレサ・テン生誕70年ベスト アジアの歌姫は何を歌ったのか」
今夜、NHK-BS 7時半から放送されたこの番組を観た。
テレサ・テンは、1953年1月29日生まれだから、日本でいうと私と同じ学年です。
私はこの人が活躍しているときは、あまり知らなかった。
彼女が42歳で亡くなってから、この人の歌をCDでたくさん聴きました。
テレサ・テンの歌は好きです。
歌がうまいですね。
この番組を観て、もう少しテレサ・テンのことを知りたくなりました。
テレサ・テン-别れの予感
昨日、理髪店で髪をカットしてもらっているときに、店に流れていた音楽が、
「ジムノペディ 第1番」(作曲:エリック・サティ)になった。
それを聴いていて気持ちよくなった。
理髪店の人(20代の青年)に、「この曲を今おれは練習しているんですよ」と言った。
「え、すごいですね。私は曲名も知りませんよ」
「いや、まだまだヘタでどうしょうもないですよ」
(あ…おれは最後まで弾けるようになるんだろうか?)と思った。
ジムノペディ(2024 12 12)
「3ヶ月でマスターするピアノ」(NHK)の
「ジムノペディ 第1番」を10月から練習しています。
むずかしいですね。
毎日練習しても手が動きません。
70代になってピアノを始めることはたいへんです。
これからもたまにここに載せたいと思います。
それを目標に練習します。
本日配布された「広報はとやま」12月号を見ると、鳩山中学校吹奏楽部が、
東日本学校吹奏楽大会で3年連続金賞を獲得したと書いてあった。
素晴らしいです。
私も中学生のときに、吹奏楽コンクールに出たことがありました。
茨城県警察音楽隊の隊長が、私たちが夏休みのときに来て教えていただいた。
それなりに練習はしたが、顧問の先生があまり音楽的には普通の人で、
まったくコンクールはダメでしたね。
高校3年のときに、茨城大学を卒業したばかりの音楽教師が、吹奏楽部の顧問になった。
先生は、茨城大学吹奏楽団でフルートを吹いていて、指揮もしていた。
私が2年までの顧問は、武蔵野音大のピアノ科を卒業した先生で、吹奏楽部のことは知らなかった。
なので吹奏楽部の指導はせず、生徒たちで適当にやっていた。
吹奏楽部の活動は、高校野球の応援ぐらいだった。
私が高校に入学して吹奏楽部に入ったとき、吹奏楽部は創部して3年目だった。
私と同じ中学の吹奏楽部の2年先輩が、高校に入って作った吹奏楽部です。
吹奏楽部としては低いレベルでした。
しかし、3年のときに顧問になった先生の指導は衝撃的だった。
なにしろそれまで吹奏楽部顧問は、練習に来たことがなかったのに、
新しい顧問は毎日来て指揮をしてくれた。
楽器というものは、音楽はこういうふうに演奏するんだ、と分かりやすく教えてくれた。
私としてはそれまで、そのような画期的な吹奏楽の指導は受けたことがなかった。
そして先生は、夏に開催される吹奏楽コンクールに出ると言う。
私たちは前の年まで、野球の応援のための行進曲と歌謡曲ぐらいしか練習していなかった。
5月か6月だったか、コンクールに演奏する曲を探しに東京に行くと先生が言う。
先生と部員5・6人はある日、ヤマハ銀座店に行ってコンクールで演奏する楽譜を探した。
私たちはまったく、コンクールでやる曲のことなど分からない。
先生はおそらく事前に決めていたのだろう。
私たちは、「ディメンション」という楽譜を買った。
夏休みの合宿には、茨大吹奏楽団の人たちが5・6人きてパート練習のときなど指導してくれた。
練習はきびしかったが、夜は大学生がいろいろ話してくれて楽しかった。
そういうことがあって私たちの吹奏楽部は、初めて出場した吹奏楽コンクールで銅賞を取った。
私は吹奏楽部の部長をしていたので、銅賞の賞状をいただくことになった。
そのときに賞状を授与してくれた人は、
中学のときに指導してくれた茨城県警察音楽隊の隊長だった。
隊長は私のことを覚えていてくれて、「おめでとう」と話しかけてくれた。
あのときはうれしかったです。
酒と泪と男と女「河島英五」 歌詞付き
なんか今夜は、日本酒を飲んでこの歌を聴きたくなった。
20代の頃、安酒を飲みながらよくこの歌をギターを弾いて歌っていた。
河島英五とおれは同じ歳です。
彼は4月生まれでおれが5月だ。
河島英五は48歳で亡くなった。
おれは哀しかったな。
今夜は、むかし入っていた陶芸の会で焼いた茶碗で飲んでいる。
相変わらず安い日本酒です。