私は、朝日新聞の月曜日のこの記事を興味深く読んでいる。
11月27日は、山田太一だった。
読みながら、(へぇー、山田太一のお父さんはそんな人だったんだ)と、ち
ょっと意外な感想を抱いた。私の想像としては、かなりの教育者か、それなり
の会社で、それなりに出世した人ではないのか、という思いを勝手にしていた。
私は、「シナリオライターで誰が一番好きか?」と訊かれたら、「山田太一
です」と答えます。小説はイマイチですが、シナリオはピカイチです。
それはそうとして、私のおやじのことを書いちゃいます。
私の親父は、茨城の百姓です。
あまり熱心な百姓ではなかった(トオモウ)。
二十歳の頃、東京の浅草あたりのタクシーの運転手をしていたらしい。たし
か親父は明治の最後の年に生まれたと記憶している。情けない話だが、今でも
父がいくつで死んだか知らない。誕生日も知らない。たしか…、2月…、分か
りません。
よく、吉原の女性を乗せた、と聞いたことがある。
あるとき、事故を起こして、それで逃げるようにして田舎に帰ってきた、と
これも誰かに聞いた。
親父にそんなことを、酒を飲みながらゆっくり訊こうと思っているうちに10
年前に死なれちゃった。
歌が好きな人だった。夏の部落の盆踊りには、いつもやぐらの上で唄をうた
っていた。
踊りおーどるな~らー、しなよ~く、こりゃ、踊れよー
しなのーよ~いこーはー、あれさなー、嫁にーとるよ~
これは、「日光和楽音頭」という唄の歌詞です。節は、北海盆唄に似ていま
す。
無学な親父は、私に生き方について何もいっていない。どうこうしろなんて
なにもいわれなかった。
私にとってこの唄が、私に対する親父の気持ちのような気がしている。
踊るなら品(シナ)よく踊れ父の唄
これは、轟亭さんの句会に8月に投句した句です。
生きるなら、しなよく、生きろ
そう、親父は私にいっている、と思って、私は生きてます。
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11月の九想話
11/1 元気づけられたテレビ
11/3 ひだまりの家2
11/8 ねつ造
11/10 ある女性たちの会話
11/11 女房のわがまま
11/13 落ち込み中年の自慢話
11/28 親父の背中