辰年が終わる

2024年12月31日 | 暮らし

今年は辰年、私の年でした。
それほど悪いこともなく、いいこともなかった。
いや、よいことはあった。
6月の膀胱鏡検査で膀胱がんの再発がなかった。
9月と12月に大学病院の泌尿器科の外来に行った。
尿の分析ではがんのことは分からない。
来年の1月末に膀胱鏡検査を受ける。
さあ、どういう結果になるでしょうか?

今年私は、お金をいただく仕事というものを1年間しなかった。
高校を出てから初めてのことです。
なんか不思議な気持ちでした。
年金というものをもらって暮らしてきた。
仕事をしていたときに、年金といわれるものを毎月天引きされて、会社に勤めていた。
毎月年金を払ってきたから当然のことなのですが、ありがたいです。
若いときは年金のことなどまったく意識になかった。
今となってはありがたいとあらためて思います。

もうすぐ今年が終わります。
私として来年は、小説を書きたいと思っています。
(こんなことをもう、何回書いていることか)
俳句も作ります。
ピアノ・ケーナ・尺八・ギターも練習します。
YouTubeもそこそこ投稿したいです。
そして毎日(?)九想話を書いていければな、と思っています。
私はあとどれだけ生きられるのだろうか?


最近飲んでいる酒で、3リットル970円ぐらいです。
高い酒は飲めません。

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12月の九想話

12/1   今年もあと1ヶ月
12/2   これからの民放テレビは?
12/3   今日は孫の誕生日
12/4   友が来る
12/5   淡路島から友が来た
12/6   ふてほど
12/7   桜が咲いた
12/8   龍彦の命日
12/9   わが家の食生活
12/10  小倉智昭さん死去
12/11  くたびれたスマホケース
12/12  ジムノペディ(2024 12 12)
12/13  乾門通り抜け
12/14  テレサ・テン
12/15  湯たんぽを買う
12/16  私の膀胱がん
12/17  膀胱がん予防と乳酸菌 シロタ株
12/18  昆虫の話なんだけど
12/19  布袋竹
12/20  野球帽
12/21  今日は冬至です
12/22  メチャセコイヤ
12/23  女房の一番好きなもの
12/24  俳人 奥坂まやさん
12/25  ささやかなクリスマス
12/26  年賀状やめます
12/27  ザ・ン・ネ・ン
12/28  門松を作る
12/31  辰年が終わる

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門松を作る

2024年12月28日 | YouTube

門松を作る

昨夜は動画編集疲れで、YouTubeへの動画の投稿を断念しました。
今日は10時頃から編集作業をし直し、
午後6時過ぎに動画編集を終え、さきほどYouTubeに投稿しました。

ひょんなことから竹が手に入り、それで門松を作りました。
かなり最初の思いから離れたものになりましたが、
女房は「かわいい!」といって喜んでくれた。
自分でもなかなかいい門松ができた、と思っています。



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ザ・ン・ネ・ン

2024年12月27日 | YouTube

YouTubeに門松を作った動画を投稿できなかった。
夕方からずうっと動画編集をしていたが、あるところで失敗した。
もう眠たいので寝ます。
明日、再投稿にチャレンジします。





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年賀状やめます

2024年12月26日 | 暮らし

去年、年賀状を1枚も書かなかった。
正月に年賀状をくれた人だけに返事を書こう、と決めた。
そして正月に5枚の年賀状が来た。
その人たちには返事を書いた。
今年もそうします。
ただその返事にはこう書きます。

 私都合で大変恐縮でございますが、
 本年をもちまして、
 年賀状のご挨拶を失礼させて頂きます。
 今後とも変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。

年賀状だけの関係の人とは、これでつながりが切れてしまうでしょう。
でも、それだけだったのですから、それを続けるのもどうかな、と思う。
たまに、ときどきとかに、話す人とつながっていきたい。
もう私の先は短いです。



 

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ささやかなクリスマス

2024年12月25日 | 暮らし

私の子どもの頃は、ほとんどクリスマスなんて関係なかった。
中学生のとき、吹奏楽部でクリスマス会をやったことがあった。
社会に出てからも私は、クリスマスの外にいた。
結婚して息子たちが生まれてから、家でクリスマスのまねごとをした。
それも子どもが中学生ぐらいになるとやらなくなった。
私が中軽井沢に住んでいたときは、近くの教会に行ってクリスマスの雰囲気を味わった。

2012年12月09日九想話「少し早いクリスマス

今の家で暮らすようになってからは、女房がクリスマス的なものを手作りして飾っている。

2015年12月01日九想話「クリスマス飾り

女房は今日まで仕事だった。
大学の食堂は昨日まで営業していて、今日は大掃除だけだったそうだ。
午後2時過ぎ、家に帰ってきた女房は身体全体で開放感を表していた。
私は心から「お疲れ様でした」と女房に言った。
それからいらなくなった布団・敷物や衣類を、町のクリーンセンターに捨てに行った。
家に帰ってから、昨日買っておいたケーキを食べた。
2・3日前からクリスマスには丸いケーキを買おうと、女房が言っていたのだが、
昨日スーパーでケーキを買うときに、
「高いから安いのでいいや」と女房がいい、2個360円のモンブランにした。
うまかったです。
このケーキを食べて、私の今年のクリスマスは終わりました。




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俳人 奥坂まやさん

2024年12月24日 | 友人

昨日、日曜日(12/22)に放送されたNHK俳句(NHK総合6:35~)の録画を観た。
NHK俳句の第4週は「語ろう!俳句」ということで句会をします。
参加者は、講師の俳人高野ムツオさん、俳人奥坂まやさん、俳人高山れおなさん、
エッセイスト・コラムニスト能町みね子さん、中西アルノさん(乃木坂46)の4人でした。

番組を観ていて私は、いつもとちがった気持ちになった。
私は、俳人奥坂まやさんという人に会ったことがあるのではないか、と思った。
奥坂さんのお顔を観ていて、私はこの人に絶対会ったことがあると思えてきた。
詩人清水哲男さんの集まりのときに、私は奥坂まやさんと会っているはずだ。
番組を観終わってから私は、2階の自分の部屋の本棚の本を調べた。
そして以前、俳人奥坂まやさんから送られた句集「妣の国(ははのくに)」を見つけた。

私は、ブログ九想話の右上の検索の欄に「奥坂まや」と入力して「このブログ内」を検索した。
すると次の3つの九想話が出てきた。

2012年06月03日九想話「余白句会100回記念会
2012年06月04日九想話「俳人奥坂まや
2012年06月05日九想話「句集『妣の国』

これらを読んで私は、奥坂まやさんとのことをいろいろ思い出した。
九想話「俳人奥坂まや」には、私が余白句会100回記念会に行って、
奥坂まやさんと出会ったことが書いてあった。
そこに行く前に参加者はそれぞれメールで事務局に俳句を投句していた。
その俳句が会場に張り出され、それを参加者が選句するということをした。
私の句は、天・地・人には入れなかったが、5点句ということで前に出て挨拶をさせられた。
このへんのことは、九想話「余白句会100回記念会」に書いてあります。
私は、隣に坐っていた奥坂まやさんと俳句やその他のいろいろなことを話した。
私はそのとき、奥坂まやさんという女性はものすごく素敵な女性だと思った。
私なんかでは、なかなか出会えない女性でした。
私は、次の日には軽井沢に帰らなくてはならなかった。
軽井沢で暮らしていたときに、奥坂さんから句集が送られてきた。
そのあとは、会うこともないのでいつの日か忘れてしまいました。
それが、その人を12年ぶりにテレビで観た。
眩しかったです。

増幅する俳句歳時記で取り上げられた奥坂まやさんの句

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女房の一番好きなもの

2024年12月23日 | 食べ物・お菓子

今日、女房の一番好きなものが分かりました。
それは干し芋です。
いや、これまでにもいろいろ彼女の好きな食べ物はありました。
アイスクリームは大好きです。
煎餅やクッキーやチョコレートのお菓子なども好きです。

一昨日の土曜日、スーパーで安いサツマイモを買ってきた。
袋には4・5本入っていた。
なんの気まぐれかあの人は、それで干し芋を作った。
サツマイモをふかして薄く切って干すだけですが、
その干している芋を食べてしまうと言う。
なので干し芋にならない、と私にブツクサブツクサ。
「誰が悪いんだァ~」とおれが訊くと、「ワタシ」と答える。
昨日も2本ほどふかして干し芋を作ろうとしたが、
「誰かが食べてしまうので、少ししか残っていない」と嘆く。

おれが生まれた茨城では、カンソイモ(乾燥芋)と言っていた。
おれが子どもの頃、お袋がたまに作ってくれた。
その頃どこの家も貧しくて小学生の小遣いは1日10円だった。
10円だとろくなお菓子は買えなかった。
なのでおれたちは、ベーゴマやビー玉やかくれんぼをしているときに、
柿・栗・ふかし芋などを食べていた。
干していた落花生を生のまま食べていたやつもいた。
父と一緒に百姓をやっていて忙しい母は、なかなかカンソイモを作る時間がなかった。
それでもたまに作ってくれた。
あのカンソイモの甘さが忘れられない。

女房は今日仕事から帰ってきてからも、干し芋を作ったという。
それでも食べてしまうので、干し芋にならないとおれに怒る。
おれに怒ってもしかたないだろう。
作って1日もしないうちに食べてしまっては、干し芋は完成しないだろう。
まだ女房は、干し芋のほんとうの甘さを知らない。




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メチャセコイヤ

2024年12月22日 | 植物・花

昨日の九想話を書いていて、1つ書かないことがあった。
それを今夜書きます。
マイあさ(NHK第一 5:00~)の5時台後半に聴いた「いきもの☆いろいろ」のことです。

マイあさ! 土曜5時台 ニュース・気象情報/たより高知・韓国/いきもの☆いろいろ

「いきもの☆いろいろ」は、いろいろな生き物のことを話すコーナーで、
尾崎煙雄さん(千葉県立中央博物館上席研究員)が樹木のメタセコイヤの話をしてくれた。
メタセコイヤは樹木の生きた化石なんだそうです。
日本では200万年前にあった樹木で、早い話が恐竜のような存在なんだそうです。
日本の三木博士が、1941年にメタセコイヤの化石の論文を発表したあとに、
中国で生きたメタセコイヤが発見された。
それは1946年のことだった。
その後、生きたメタセコイヤを研究調査したアメリカの研究者によって採集された種子や苗木が、
世界各地に配布された。
三木博士が作られた日本のメタセコイヤ保存会にも、苗木が100本ほど送られてきた。
そのメタセコイヤが日本中に配布され、育っているということです。

私が初めてメタセコイヤを見たのが2008年です。
そのときマンション管理人として勤めた、
東京江東区のツィンの超高層マンションの間にメタセコイヤがあった。
2009年に勤めた佐久市の佐久創造館にもメタセコイヤがあった。
私はメタセコイヤは、カナダあたりの針葉樹かなと思っていた。
それが生きた化石で、中国でその樹木が生き残っていたなんて知らなかった。
メタセコイヤは中国原産ヒノキ科の針葉樹で、高さ30メートル、幹の直径1メートルの
美しい立派な樹木で、私は大好きです。

私は、昨日の九想話を書いているときに、このメタセコイヤのことも書かなくてはと考えていた。
しかし、沢山話題があっても読んでいる方が疲れるだろうな、と思った。
私としても書くことが面倒だった。
それでこのことだけを書かないで、今日書くことにした。
おそらく日曜日には、九想話に書く話題はないだろうと予想したのです。
それで、このメタセコイヤのことは日曜日に書こうと決めた。
これって、〝メチャセコイヤ〟ですね。



 

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今日は冬至です

2024年12月21日 | ラジオ

朝5時に目が覚めた。
ラジオをつける。
NHKの「マイあさ!」が聴こえてきた。
今日は、「冬至です」とアナウンサーが得意げに言う。
私はいつのころからか、冬至が好きです。
明日から、日が伸びていくことがいい。

6時台のサエキけんぞうの「素晴らしき20世紀ポップ年末SP」で流れた次の曲がよかった。
マイあさ! 土曜6時台前半 ニュース・気象情報/20世紀ポップ年末特別版/何の日
「人生を語らず」吉田拓郎
この曲は1974年に発売されたLP「今はまだ人生を語らず」の中の曲です。
私が22歳のときで、よくギターを弾いて歌っていた。
マイあさ! 土曜6時台後半 ニュース/20世紀ポップ年末特別版
「アクロス・ザ・ユニバース」ビートルズ
ジョン・レノンの曲だそうです。
大好きです。
「天城越え」マーティ・フリードマン(ギター演奏)
マーティ・フリードマンのギターがよかった。

天城越え

今日は、サエキけんぞうがスタジオに来ていていつもとはちがって、
6時半からのラジオ体操を挟んで放送していた。

私は、6時25分から「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」にラジオのダイヤルを回す。
今日は、1967年12月のベストテンの曲を流していた。
1位は、研ナオコの「あばよ」だった。
中島みゆきはいい曲書きますよね。
そのときの徳光と女子アナウンサーの会話で、
「ジャンボ宝くじの歌は、ベートーベンの交響曲7番の第一楽章なんですね」
と話していた。
あァ~そうだったのか、私はどこかで聴いたことのあるメロディーだと思っていた。
私は、すぐスマートフォンで「ベートーベン交響曲7番」を検索して聴いた。
なるほど、あのメロディーが聴こえてきた。
私は、ジャンボ宝くじのCMを作った人はさすがだな、と感心した。
しかし、ジャンボ宝くじの歌にされてしまったベートーベンは、なんて思うだろう?

11時30分から私が乗っている車、ワゴンRの半年点検なのでディラーに行った。
もう来年で10年になる。
今はほぼ女房が毎日運転しているが、順調に動いている。

帰りに途中のスーパーに寄って、宝くじ売り場でジャンボ宝くじとロト6を買った。
先日、有楽町で買えなかった年末ジャンボ宝くじです。
6・7人並んでいたので、待っている間私の頭の中には、
「ベートーベンの交響曲7番の第一楽章」のあの旋律が流れていた。

【ベト7!】 ベートーヴェン 交響曲第7番・第一楽章 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィル Beethoven



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野球帽

2024年12月20日 | 暮らし

私はつば広帽子は持っているが、野球帽はなかった。
前から欲しいなと考えていた。
先日、ピオニーウォーク(商業施設)のスポーツ用品売り場で野球帽を見てみると、
3,000円~5,000円ぐらいだった。
高いものはもっと上があった。
とてもじゃないが、72歳のジジィには買えるものではなかった。
ウォーキングのときには、いつもつば広帽子を被っている。
でも、たまには野球帽を被りたいと思う。

先日、100円ショップのSeriaの中をブラブラ見ていると、野球帽があった。
そりゃ100円だから粗末なものです。
生地は薄いし、縫製も雑だった。
でも私はこれでいい、仕事をしていない年金暮らしの私には、お似合いだと思った。
女房にその野球帽を見てもらって、「買いたい」というと、
「やめなよ、あなたは、キャップは似合わないんだから」と言う。
たしかに私には帽子は似合わない。
でも、天気のよい日に太陽の光をよけるには必要だ。
いろいろ言いあった末に、なんとか買ってもらった。
わが家では、100円の帽子でも買うとなったら大騒ぎです。
私はこの野球帽を大切に使いたいと思います。



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