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6月の九想話
6/1 山田 航
6/2 けんきょ 謙虚さを素直にみとめる麦の秋
6/3 阪神首位陥落
6/5 戸隠に熊出没
6/5 ケーナのこと
6/6 ふたりのいい女
6/8 ラジオ文芸シントコの仲間館
6/9 みじめなライブ
6/10 居酒屋店主・中村重男
6/12 囲碁
6/14 紙飛行機
6/15 句会の結果
6/16 「舟を編む」読了
6/17 ハエ取り紙 カッコウの鳴き声遠く午睡かな
6/19 倒れたカラマツ
6/21 体調不良
6/22 物理学者 米沢富美子
6/24 映画「炎の人ゴッホ」
6/26 久しぶりの大リーグ観戦
6/28 酒よ・・・追伸
6/29 シントコの仲間
今日は、東京に来ています。
6月で初めての2連休です。
めずらしいことに土日が休みでした。
新所沢の友人たちは、土日しか会って飲んでいないという。
私は、水曜日の前後が休みで、いつもはそのときに東京に来ている。
土日には東京に来られない。
なので私が所沢にいたときに、楽家とかで飲み、陶芸をやっていた仲間とは会えなかった。
今回、土日が休みなので先週の日曜日に、Mさんにメールを打った。
> 奇跡的に土日が休みになりました。会いたいです。
それで今日、みんなと会えることになった。
友人たちと飲んで、私もシントコに住んでいるような気持ちになった。
まったくみんなと違和感なく話せるのです。
ありがたいことだな、と思います。
今日の午前9時過ぎから、ヤンキース・レンジャーズ戦(NHK総合)を観た。
黒田とダルビッシュが先発投手だった。
それにイチローも2番右翼で出ていた。
ダルビッシュは6回1死までで3本塁打を許し7安打3失点、
黒田は7回2死までに5安打3失点でそれぞれ降板した。
ともに勝敗は付かず今季8勝目はならなかった。
久しぶりに大リーグのゲームを観るので私はかなり盛り上がっていたのだが、
2人が降板してしまって気持ちがなんか落ち込んできた。
外には雨が降り続いているせいか、部屋も暗い。
ゲームを観続けることも時間の無駄かなと考え、前々から計画していた押し入れの整理をし始めた。
あるものを探したかったのです。
そのときに別なものが見つかった。
そのことを書くと話が長くなるのでやめます。
3-3で迎えた9回裏にイチローが打席に入った。
とうぜん、イチローが打席に入ったときには押し入れの整理は中止です。
そして、イチローはホームランを打った。
ホームベースに帰ってきたイチローは、チームメイトにもみくちゃに祝福された。
イチローのメジャーでのサヨナラホームランは2度目だそうだ。
最近、テレビでスポーツ観戦をしていて、こんなに気持ちの晴れたことはなかった。
カーク・ダグラス主演の「炎の人ゴッホ」(1956年)を観た。
17日に軽井沢図書館で借りてきたDVDです。
軽井沢図書館のDVDコーナーは、いつ見ても「貸し出し中」の札がついている。
ここで映画のDVDを借りることは絶望的です。
17日に行ったときに、たまたまこのDVDだけ札がついていなかった。
それで私は借りてきました。
正直なところ古い映画はこうなのか、バックの音楽がうるさかった。
それでも私はがまんして映画を観ました。
25歳でゴッホは、炭坑町へ司祭として赴任する。
しかし、挫折する。
弟テオの援助で絵の勉強をする。
従妹の寡婦ケイに求婚したが拒否されてしまう。
彼女を追ってハーグへ出た彼は、
とある酒場で貧しい中年の女クリスティーナと結ばれる。
無知で、子持ちで、売春がおもな仕事とする洗濯女、
お互いに傷ついた身から生まれた愛情だったが、結果は女の無理解による破綻。
パリに行って、いろんな画家と交流する。
アルルでゴーギャンと一緒に暮らす。
ケンカしてゴーギャンが去る。
ゴッホが自分の耳を切る。
精神病院に入る。
ピストル自殺をする。
私が知っているゴッホの人生を映画はなぞってくれた。
それだけでしかなかった。
ゴッホとゴーギャンが暮らしていたときのシーンを観ていて、
私は、十九歳のとき駒込で暮らしていた高瀬荘のことを思い出した。
I さんがいつも部屋で絵を描いていた。
でもアルトリコーダーを吹いているときのほうが多かったかな?
私が会社から帰って、彼の部屋へ一升瓶を持って行きよく酒を飲んだ。
画家や小説家の話や映画や小説のいろんな話をした。
I さんといつも芸術とか文学の話をしていた。
彼の友人もいろいろ来た。
美大の学生、漫画家の卵、一流企業に勤める女性、水商売の女、種々雑多の人間がやってきた。
高瀬荘は、茨城の田舎からポッと出てきた無知な私の“大学”でした。
龍彦もその中にいた。
I さんと私の高瀬荘のあの頃を、ゴーギャンとゴッホの暮らしに思った。
ずいぶんレベルは違うのでしょうが…。
過去にゴーギャンとゴッホのことを書いた九想話です。
ゴーギャン展(2009年8月12日)
また、ゴーギャン(2009年8月19日)
ゴッホ展(2010年10月22日)
21日の4時過ぎに目が覚めて、ラジオ深夜便の〔オトナの生き方〕アンコール
「人生はいつでもチャレンジ(後半)物理学者 米沢富美子」を聴いた。
1938年10月生まれだから75歳ですね。
慶応大学の名誉教授だという。
理論物理学者なんですね。
3人のお子さんを育てて、現在は95歳の母親の介護をしている。
それをしながら、物理学の勉強は今でも現役で本も出版している。
今年日本で出版した物理の本を、海外向けに出版するための仕事を今はやっているそうだ。
母親に、「100歳まで生きてね」といったら、
「私はあと6年しか生きられないのか」と怒られたそうだ。
言葉はむずかしいですね。
現在の私が「100歳まで生きてね」といわれたら、悪い気はしないだろうが、
94歳のひとがそういわれたら……、複雑ですね。
このひとは生きていくモットーが5つあるという。
1、あっけらかんと挑戦する。
2、やってしまったことは途中であきらめない。
3、めげない。
4、優先順位をつける。
5、集中する。
こんなことを話していました。
これは、同じ番組を聴いていた旗坊さんからいただいたメールを参考にしました。
61歳ぐらいで弱音を吐いてはいけませんね。
夢に向かって生きていこう。
今週の火曜日午後から木曜日の午前ぐらいまで私は下痢になっていた。
現在もお腹の具合はあまり良くありません。
火曜日の夜から水曜日一日中は、2時間おきぐらいにトイレに行っていた。
辛かった。
昨日の午後は仕事に行ったのですが、なんとか大丈夫で、
夜の11時過ぎに家に帰り、九想話も書かずに早めに寝ました。
いろいろ原因を考えた。
先週末から毎日飲んでいる薬の中で“血糖を下げる薬”が変わった。
それをネットで調べたら、副作用というところに、「空腹感」「便秘」「脱力感」があった。
「下痢」というのはないのでこの薬のせいではないだろうと思う。
車に乗ると必ずガムを噛む。
煙草をやめてからこれは習慣になってしまっている。
そのガムを先週替えた。
甘みの強いフルーツ味のものにした。
ネットで調べるとキシリトールも取りすぎると下痢になると書いてあった。
しかし、車に乗って噛むガムはせめて一日4コぐらいだ。
これまでもこのぐらいは毎日噛んでいた。
食事は、先週土曜日に来た女房と同じものを食べていた。
私を心配しながら水曜日に東京に帰った彼女は元気だった。
あと考えられることは“ストレスなどの精神的なもの”ぐらいだ。
私は、生きていることだけでストレスを感じてしまう人間だが、
それはいつものことで、それだったら毎日下痢でもおかしくない。
昨日も下痢が続いていたら、かかりつけの内科の医師に診てもらおうと考えてた。
健康はいいですね。
昨日は、しみじみそれを思った。
2時間おきくらいにトイレに駆け込まなくてはいけない状態は辛かった。
今回は、尾籠な話題ですみません。
これから仕事に行きます。
おととい(17日)、湯川ふるさと公園を歩いてツルヤに行ったときに、カラマツが倒れていた。
「こんな倒れていた木があったっけ?」と女房に話すと、「なかったと思う」と女房。
根本の土を見ると、最近倒れた感じではなかった。
草も自然に生えていた。
「ちょっと待って」といって女房が、携帯電話の中の写真を探した。
彼女は、その辺を通るときに毎回写真を撮っていた。
そのあたりの景色が好きだと常々いいながら、ケータイのシャッターを押していた。
「5月に撮ったときにはこの木はあったわ」という。
私の記憶では、こんなに傾いてはいかなった。
昨日、通ったときにそのカラマツを見ると、もっと傾いていた。
ここ何日かの雨で傾いたようだ。
さすがにこれだけ傾いていると、カラマツの枝葉が道をふさいで歩きずらいな、と思った。
そんなことを女房と話した。
今日、ツルヤに行くためにそこを通ると伐られていた。
軽井沢町の仕事は早い。
私は、ちょっぴりさびしい気持ちになった。
傾いたカラマツを、もうしばらく見ていたかった。
でも、あの倒れたカラマツはじゃまですね。
私は、ハエ取り紙を昨夜(とはいっても6/18 午前4時頃)台所に移動した。
テレビの置いてある部屋では、ハエが引っかからないと考えたのです。
そのときハエ取り紙を落としてしまい、拾ったとき、手に糊をしこたまつけてしまった。
そんなことにはめげないで、ハエ取り紙を台所へと場所を替えた。
しかし、ハエは、ハエ取り紙に目もくれなかった。
肥さんへのコメントを書き終えたときに、台所にいた女房が叫ぶ。
「ハエが、ハエ取り紙に捕まった」
私がそのハエ取り紙を見にいくと、なるほどハエが張り付いていた。
「ヘェ~、ハエはハエ取り紙にくっつくんだ」と感心した。
女房が、「ハエを外に逃がして」という、
「私にまとわりつかれるのは迷惑だからヤだけど、ハエ取り紙にくっついたハエが可哀想だ」という。
しかし、こうなったらハエをハエ取り紙からはずすことは難しい。
私は、そのハエごとハエ取り紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
私だって、そのハエに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
土曜日の夜から来ている女房が、ハエがうるさいという。
女房が台所で仕事をしていると、1匹のハエが彼女にまとわりついているらしい。
今日は私の仕事が休みでした。
「夏に着るTシャツが欲しいと思っていた」と女房にいうと、
「それじゃ、アウトレットにでも買いに行こうよ」となり、11時頃に出かけた。
その前にゴミをじん芥処理場に持っていって、
南軽井沢まわりで軽井沢プリンス・ショッピングプラザに行った。
さすがに月曜日には人が少なく、ゆったりと駐車場に入れた。
いくつかのショップをのぞき、L.L.BeanでTシャツを2枚買った。
(ハイ、現在の私の体型では何を着ても、みっともないことは知っています)
午後1時に家に帰って、女房が天ぷらを揚げ、素麺を茹でてくれた。
私は、ニセビールを飲む。
休日のサイコーな気分のひとときです。
揖保の糸ではなかったが、うまい素麺だった。
竹輪と玉葱の天ぷらが美味かった。
食べて、私は昼寝をした。
カッコーの鳴き声を聴きながらの昼寝は心が落ち着きます。
今日は朝から、カッコーがよく鳴いていた。
午後4時に目覚めた。
2時間ほど熟睡してしまった。
それから図書館に行った。
「囲碁」「炎の人ゴッホ」(カーク・ダグラス主演)というDVD2枚。
「赦す人」(大崎善生著 新潮社刊)、
俳句界4月号、新潮5月号、別冊文藝春秋7月号(2012)を借りた。
いったん家に本を置き、湯川ふるさと公園を散歩する。
ツルヤで食材を買って家に戻った。
今日、私は志賀高原のほうにでもドライブしようと考えていた。
女房にそれをいうと、「家の近くでのんびりするのもいいんじゃない」という。
やはり、61歳になった私には、このような休日のほうがいいのかも知れない。
ところで1匹のハエをなんとかしなくてはならない。
私は、ハエ取り紙があることを思い出した。
2・3年前、この家にハエが大量に発生し、
困ったときにホームセンターで見つけて買ったものだ。
心当たりのところを探すとあった。
それでこのように部屋の真ん中にぶら下げた。
最初、台所に下げたが、女房が台所にいないとハエもいない。
それで食事をする部屋にぶら下げたのです。
しかし、ハエは夜になり飛ばなくなってしまった。
まだ、ハエを捕まえていない。