今年もあと2ヶ月

2010年10月31日 | 健康・病気
日々の雑事にかまけて、自分の夢を棚に放り投げていると、
なんの進展もないうちに時がどんどん過ぎていく。
今年も残り2ヶ月になっている。
さあ、九想!いつまでサボる気なんだ。

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10月の九想話

10/1 気がつくと
10/2 秋刀魚がうまい      秋刀魚あり黙って焼いて食すだけ
10/3 吹奏楽           秋祭り吾トロンボーン吹いており
10/4 ひとり残されて…     レノン聴くなんだか泣けて秋うらら
10/5 一瞬の光          迷うほど心乱れる野分かな
10/6 乙女の密告
10/7 桂小五郎
10/7 あっぱれ!大沢親分  親分の野球人生大あっぱれ!
10/8 ふらりパンカーラ      秋ふらり北軽井沢に流れ着く
10/9 働かずに暮らせたら
10/10 アケビの思い出     子どもらを山のアケビは待っている
10/11 友からの電話       秋電話離れた友の声軽く
10/12 100人が挑む“禁煙”
10/13 チリ落盤 作業員救出
10/13 GONTITI in 軽井沢   秋色のギターが似合う軽井沢
10/14 ギターが欲しい      下手くそなアルペジオが似合う秋
10/15 神様は不公平
10/16 ハナミズキ
10/17 演劇祭           生き方にこんなのもあり猫じやらし
10/18 なんだか知らないが
10/18 肺がんと戦う魂の医師
10/19 明日東京へ行きます   軽井沢秋風連れて所沢
10/20 シントコ
10/21 明治神宮
10/22 ゴッホ展
10/23 息子の病気
10/24 秋の戸隠
10/25 いよいよ冬です
10/26 マーちゃん
10/27 寒い
10/28 通夜
10/29 告別式
10/30 野沢那智
10/31 今年もあと2ヶ月
    
         
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野沢那智

2010年10月30日 | 健康・病気
野沢那智さん死去=声優、DJでも活躍(時事通信) - goo ニュース

野沢那智が死んじゃった。
さびしいな。
テレビや映画の吹き替えで楽しませてもらったが、
(0011ナポレオンソロの「イリヤクリヤキン」やアランドロン)
おれとしては、なんといっても「金瓶梅」です。
金曜日のなっちゃんチャコちゃんのパックインミュージックだナ~。
おれの中学、高校と聴いていた深夜放送です。
たしか午前3時過ぎから始まった。
(パックインミュージックは1時からです)
毎週どきどきしながら「金瓶梅」の始まるのを待っていた。

今年は、いろいろ大物が亡くなっていますね。
若い俳優を知らない(ドラマを観ないので)、
テレビに出てくるタレントの3分の1が分からない。
おれも歳とりました。
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告別式

2010年10月29日 | 健康・病気
告別式に行ってきました。
いろいろ考えさせられました。

いとこの死因は心筋梗塞です。
いとこは23日、仕事から帰ってきて自分の部屋にいた。
仕事から帰ってきた奥さんが部屋に行って声をかけたが、
返事がなかったので寝ているのかと思ってそのままにしておいた。
7時になって夕食の準備が出来たので呼びに行った。
そのとき部屋に入ったらいとこは仰向けに寝ていた。
異常に気づき家族を呼んだ。
息子が119番に電話した。
助からなかった。

最近健康診断を受けたばかりで問題はなかったそうだ。
そんなんであっけなく死んでしまうなんて、やりきれないですね。
来年、結婚して30年になるのでどこかに旅行に行こうかと話していたと、
奥さんが話していた。
長男は現在大学院に、長女は希望の大学を目指して予備校に行っている。
残された家族が可哀相です。
子煩悩ないとこは、子どもたちの将来を見ていたかったろう。

落合斎場で、夏目漱石の葬儀火葬が行われた。
最近では、逸見政孝・赤塚不二夫が火葬をしている。
ネットで見ていたらそんなことが書いてあった。

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通夜

2010年10月28日 | 健康・病気
午後4時半、女房の家を出た。
朝から10月らしからぬ冷たい雨が降っていた。
清瀬駅までバスで行き、西武池袋線に乗る。
私は喪服の上にコートを着ている。
今日は、12月末の気候だとラジオの天気予報ではいっていた。
今年の天気はほんとにへんだ。いくらなんでもまだ10月です。
通夜をやる落合斎場までは1時間ほどで行けるかなと考えていた。
練馬駅で西武線を降り、都営地下鉄大江戸線に乗り換える。
大江戸線は、鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄というもので、
他の電車より小さい。
だから、対面する客との距離が短い。
前に20代の可愛い女性が坐っていて、へんに恥ずかしかった。
女性がミニスカートで脚を組んでいたからだ。

3つ目の中井駅で降りる。
大江戸線は深いところに駅があるとは聞いていたが、なるほど深い。
ものすごく長いエスカレーターに乗って地上に出た。
駅の外は相変わらず雨が降っている。
さぁ、駅出口に立って私は途方に暮れた。
ネットで地図をプリントしてきたが、分からない。
地図はスマートに小綺麗に描いてあるが、目の前の道と結びつかない。
ええいままよ、と左に行く。西武新宿線の中井駅にすぐ着いた。
戻る。大江戸線の中井駅を通り過ぎて歩く。
篠突く雨の中を通勤帰りの人混みと一緒に歩く。
大きな通りに出た。おそらく地図で見ると山手通りだろう。
これも右に行くか左に行くか分からない。
私の当てにならない勘で左に行く。
しばらく歩くと大きな交差点があった。
おそらく早稲田通りだと思う。
雨の中で地図を広げる。もう地図はびしょ濡れだ。暗い。
戻る。道路に地図があった。それを見ると落合斎場があった。
(えッこの道がネットの地図の道?こんなに細い道なの?)
その車1台すれ違えない道路をどんどん行くと斎場はあった。
時間は、通夜の始まる6時を7分過ぎていた。

落合斎場では三家の名前が書いてあった。
亡くなったいとこの名前があった。
傘を入口の傘立てに差して中に入る。
いとこが2人受付をやっていた。
この2人は、文京区の叔母の長男と新宿区の叔母の長男だ。
中ではお坊さんがお経を上げていた。
すでに親戚の人たちが坐っていた。兄もいた。
その中に坐っていて昔のことを思い返していたら涙が出てきた。
遺影が笑っている。54歳は若い。
親族の焼香の指名があった。
喪主の奥さんがして、叔母が焼香をした。
長男と長女が焼香をした。痛々しかった。

2階に会食の席があった。
ビール・酒・ウーロン茶それに寿司があった。
私の隣に坐っていた女性が誰だか分からなかった。
「ひさしくん?」話しかけられた。
「**子ちゃんですか?」と訊いた。
私が高校生のとき憧れていた人だった。
57歳の今でも充分美しかった。
現在は、埼玉でご主人と子ども3人とで暮らしているという。
子どもたちが結婚していないのが悩みだといっていた。
私は、今の我が家の状態を説明した。
息子たちは結婚して、1人には子どももいるということを、
自慢げに話している私だった。
そういう自分がちょっといやだな、と思いながらも、
これぐらいいいんじゃないか、と自分を納得させた。
私はこれまでいとこの中で何も自慢できるものはなかった。
みんな東京生まれだし(横浜もいる)、私は茨城生まれだ。
大学を出ているいとこが多いし、私は高卒だ。
いとこたちはそれなりの大きな会社に長く勤めている。
私は15回以上(?)、零細企業を転職している。
まぁ、かなりみっともない人生を歩んできた。
(転職した会社がかなり消滅した)
でも、息子たちだけは自慢です。
なので、少しだけ、息子たちのこと話してしまった。
でも、こういう男の話を私が聞いていたら、
鼻持ちならないだろうな、と思う。

1時間ほどで会食は終わった。
文京区のいとこが車に乗せてくれた。
まず、横浜のいとこ夫婦を高田馬場で降ろし、池袋で私が降りた。
このいとこは、子どものときリヤカーにみんなを乗せて遊んでくれた。
そのときのことが懐かしい。
まさか、年下のマーちゃんの通夜でみんなが顔を合わせるとは…。

池袋駅で準急に乗った。清瀬駅でバスに乗り、
降りるとき、もらった紙袋がないことに気がついた。
清瀬駅でトイレによったときそこに忘れてきたことに気がついた。
家に帰って駅に電話をしたら、あったという。
明日取りに行かなければならない。
明日の告別式は午前10時からだ。
その帰りにでも取りに行こう。
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寒い

2010年10月27日 | 健康・病気
じつに寒いです。
耐えられない。
寝ます。
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マーちゃん

2010年10月26日 | 健康・病気
朝、テレビを観ていて、逸見政孝の奥さんが亡くなったと知った。
逸見政孝が亡くなって17年、そして奥さんが他界した。
61歳だったそうだ。若いよな。
肺胞蛋白症という病気が死因だそうだ。
逸見政孝が亡くなって1年後に、子宮頸ガンが見つかり、
そのあと骨髄異形成症候群になり肺胞蛋白症になったという。
抗ガン剤の副作用で骨髄異形成症候群になることが多いらしい。
そして合併症で肺胞蛋白症になったようです。

朝、こんなこと観ていて人間なんてあっけないな、と思っていたら、
夜の8時9分、茨城の兄からケータイメールが送られてきた。
東京の中野の叔母さんから電話があり、
従兄弟のマーちゃんが心筋梗塞で他界したことを泣きながら話したという。
兄は、叔母を慰める言葉も見つからなかった、と書いてあった。
54歳だった。大学と高校の息子と娘がいる。
早いよな。早すぎる。

子どものとき、東京の従兄弟たちが毎年田舎に来た。
親父はきょうだいが9人いますので、私はいとこが多い。
マーちゃんもよく来た。素直でいい子だった。
叔父さんは、着物の紋を描くことが仕事だった。
収入が良くて、マーちゃんの家が羨ましかった。
茨城の百姓の我が家とは大きな経済の差があった。
しかし、マーちゃんの父親は10何年か前に死んでしまった。
その頃、彼も紋の仕事をしていたが、和服を着る人が少なくなって、
仕事がかなり少なくなってきていた。
紋の収入だけでは暮らしていけなくなり、
郵便配達のバイトをするようになった。
最近は、正職員になれたそうだ。

亡くなる前、なんの自覚症状もなかったらしい。
54歳か、私は58歳だ。
私のような不規則な生活をしている人間は、いつ死んでもおかしくない。

夏に杉並の叔父さんが亡くなったとき、私は職場に言えず告別式に行かなかった。
(この叔父さんは、着物の柄を描いていた。)

しかし、従兄弟のそれには行かなくてはと心に決めた。
なんとしても行かなくては…。
子どものときの思い出がいろいろよみがえってくる。
マーちゃん、なんで死んだんだ。
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いよいよ冬です

2010年10月25日 | 健康・病気

軽井沢の天気予報をネットで調べたら、明日の最低気温は2℃です。
今日の全国の天気予報で、
「明日は寒い。北海道では雪が降る。気温は3℃」といっていた。
ところが、軽井沢は雪は降らないが2℃ではないか。

まいりますね。
こんなにあっけなく冬になるなんて。
またあの寒さを味わうんですね。
うれしくて涙が出ます。

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秋の戸隠

2010年10月24日 | 健康・病気
今日、私は休日でした。
昨夜は仕事から11時20分に家に戻って食事をして、いそいで九想話を書いて寝た。
それでも1時にはなってしまった。
これまで私と女房が何処かに行くときは、だいたい昼前です。
なんとか今日は、早く家を出たいと考えたのです。
なにしろ高速道路に乗り、信濃町ICまで行かなくてはならない。
そこから野尻湖にちょっと寄って、戸隠へと行く計画だった。

信濃町ICには2時間ほどで着いた。降りてすぐ道の駅「しなの」に寄った。
女房は、道の駅が大好きです。あると必ず入る。野菜を買いました。
野尻湖は平凡な湖で、観光船があったが、乗る気もしなかった。
ナウマンゾウ博物館なんてのがありました。
そこから30分ほどで戸隠の奥社に着いた。すごい車の数だった。
私の車の前で奥社の駐車場が一杯になってしまった。
警備員に停められたのです。
その先の1キロほどはなれた駐車場に行った。そこも停められなかった。
焦りました。停められなかったら、そのまま帰るしかない。
奥社の駐車場に戻るとこんどは警備員が誘導してくれた。どうゆうわけだ?
とにかく私は駐車出来て安心しました。
戸隠は、春に来ている。水芭蕉を見にきたのです。だから道は分かる。
そのとき、秋にもぜひ来たいと考えた。絶対紅葉が綺麗だろうと思ったからです。





今日はあまりいい天気ではなかった。ずーっと曇り空です。
紅葉を見るにはまだちょっと早いかな、と感じました。
しかし、春にも感動しましたが、奥社の杉並木は素晴らしい。
上まで登ったが人があふれていた。お参りするのに1時間ほど待つようだった。
私たちは、春にお参りしているので諦めた。
杉の木のうろにしめ縄が張ってあった。中にはお金が沢山ころがっていた。
春にはそんなしめ縄なんてなかったし、中に入って写真を撮っていた。
ところが、JRの吉永小百合のCMでそうなってしまったようだ。
その前に女の子を立たせて写真を撮っているお父さんが、
「かまわネェから、中に入っちぃまえよ」と大声で叫んでいたが、
小学生の女の子はウジウジして入らなかった。
この大勢の人の前では入りにくいだろう。





杉並木から横道にそれて鏡池へと向かった。
腰に「熊よけの鈴」をつけている人が沢山いた。
あ、おれも持ってくればよかった、と悔いた。
軽井沢でつけていると恥ずかしいが、ここでなら“仲間”が沢山いた。
紅葉した木が綺麗です。

しばらく歩いて行くと鏡池があった。美しかった。
これを見て、ここまで来たことを喜んだ。
じつは、昨夜が私の入っている句会の投句締め切りでした。
九想話を書くのが限界で俳句は作れなかった。
戸隠を歩きながら俳句を考えていた。
なんとか作ったのでそれを句会をまとめている人にメールしました。





シャトルバスが走っていた。私たちも乗った。
奥社ー中社ー戸隠スキー場ー鏡池を巡回していた。
500円で乗り放題というので乗ることにした。そして中社まで行きました。
中社もすごい人でお参りするのに並んだ。
社(やしろ)の横にちっちゃな滝があった。
そこで写真を撮ろうとして行くと、
若いカップルが「シャッターを押して下さい」と私にいう。
私は喜んで承りました。
終わって、私が1人で滝の前に立ち、女房がカメラを構えると、
「ご一緒にどうですか?」とさっきのカップルがいう。
「私たちは、もういいんです」と女房が応えた。
カップルもまわりの人たちも爆笑した。私は2人にいった。
「ここ、笑うところではありません」

シャトルバスで奥社に戻った。
春に食べて美味しかった蕎麦屋に行くと店の前の予約の紙に沢山の名前が書いてあった。
一応名前は書いたが、かなり待ちそうなので名前を消して帰ることにした。
しばらく車に乗ってある蕎麦屋に入った。
まずくはなかったが美味しくはなかった。奥社の蕎麦屋で食いたかった。
蕎麦屋の脇に大きな長い滑り台があった。
上に登ると見晴らしがよかった。
滑り台、楽しかったです。童心に戻りました。
私は前の女房の写真を撮って滑りました。





バードラインを通って長野市に出た。市内が混んでいた。
長野ICに入ったのが4時過ぎになってしまった。
雨がかなり降ってきた。
帰りに小諸の温泉にでも入ろうと予定していたが、よした。
佐久市のユニクロ、ジャスコに寄って買い物をして軽井沢に帰った。
7時過ぎに家に着きました。250キロ走りました。疲れました。
私は、家の風呂を洗いお湯を入れ入った。
無事に家に帰れたことに感謝です。
8時、ニセビールで乾杯!
女房は明日、東京に帰ります。

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息子の病気

2010年10月23日 | 健康・病気
先週、息子が胃潰瘍だと医師にいわれ、
今週胃カメラを飲むことを女房からのメールで知った。
その夜、私は心配でKに電話した。
「もしもし、おれだ」
「なぁに?」
なにが「なぁに?」だ。
おまえの病気が心配で電話したんじゃないか。
「K、胃潰瘍なんだって?」
「あぁ…」
「健康診断とかで分かったのか?」
「痛かったから病院にいった。
 そしたら胃潰瘍だといわれ、胃カメラを飲むことになった」
「そうか、それじゃ結果が分かったら教えてくれ」
「あぁ…」
「おれも22・3歳のとき十二指腸潰瘍をやったんだ。
 それは失恋が原因だったけどな…」
よけいなことをいって電話を切った。
私はいつも一言多いんだよな。

東京の女房の家にいた火曜日の夜、女房と息子のことを話していた。
「Kはいつ胃カメラ飲むんだっけ?」
「確か、今日のはずよ」
「それじゃ、電話してみてよ」
「やだ、自分ですれば…」
(なんでおれが)と思ったが、息子の胃カメラの結果が早く知りたくて電話した。

「もしもし、おれだ」
「なぁに?」
いつもこうだ。
「今日は胃カメラ飲む日だったんだって」
「うん」
「どうだった?」
「軽い胃炎だって」
「治療とかするのか?」
「うん、薬飲む」
「そうか、早く良くなるといいな」
女房が、電話を代われという顔で私を見た。
「K、今、ママに代わるから」
私は、とっさのことで「ママ」なんていってしまった。
息子たちが中学生になってから、私は「ママ」なんて呼んだことはない。
互いには昔から名前で呼んできた。
女房がいろいろ細かいこと訊いていた。

私はとりあえず安心した。
胃炎だったらまだいい。
私だって7月の人間ドックで胃カメラを飲み、胃炎があることをいわれたのだ。
しかし、自分のはそれほど心配していないが、息子のは気にかかる。

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ゴッホ展

2010年10月22日 | 健康・病気

私は、ゴッホのことをどれだけ知っているのだろう?
おそらくほとんど知らないといっていいでしょう。
最初に知ったのは、いつだろう?

19歳のとき東京の駒込にあるアパートの3畳間で暮らしていたとき、
同じアパートの人と酒を飲むようになった。
その人は、山谷で日雇いの仕事を週1・2回して、あとは部屋で油絵を描いていた。
美大の受験に失敗して大学を諦め、独学で絵を描いていくんだといっていた。
彼のところに、美大の友人や漫画家崩れの人がやってきた。
金のない我々は、安酒を買ってきて、乾き物なんかで彼の部屋でよく飲んでいた。
いろんな人間がやってきた。
そこでは、まず絵画の話をした。絵のことをまったく知らなかった私も、
画集などを見せられ、絵が好きになった。
そのときゴッホの絵がいいなと思った。
小説や映画のこともよく話した。
そのアパートは、私を芸術的なことに導いてくれるところになった。

私が行ったデザイン学校の美術史の授業が好きだった。
講師がよかった。
スライドで絵を見せて、1つひとつ説明をしてくれた。
先生の絵画に対する熱い思いが伝わってきた。
その授業で私は絵画の画家の歴史を学びました。
あの先生にもう一度会って話を聞いてみたいものです。
その先生が、ゴッホが好きだった。

国立新美術館は六本木にある。
地下鉄千代田線の乃木坂駅で降りていくつもエスカレーターを登ると着いた。
チケット売り場で入場券を買う。
私は、職場に置いてあった二紀展の無料入場券を持ってきていた。
それを見せるとゴッホ展が割り引きになると書いてあったからだ。
ところが1500円が1400円にしかならなかった。
な~ンだという気持ちです。
長野から細心の注意をはらって忘れないように持ってきた券で100円の割引です。
そんなことを考えた私がアホなんですね。
でも、せめて300円ぐらい割引にして欲しかった。だって、
なんども忘れそうになったのを必死になって持ってきたのです。

持ってきた傘を傘入れに差し、トイレに入って、入場した。
平日なのになんでこんなに人がいるんだ、状態だった。
外にはそれほど人間が見えなかったので驚いた。
1つの絵の前には20人ほどいるだろうか。
絵の前に他人の頭がいくつもある。
私は執念深く粘って必ず前に行き、障害物がない状態で絵と対峙した。

いくつかの絵のあとに、「秋のポプラ並木」と「曇り空の下の積み藁」があった。
ゴッホが絵描きになった初期の頃に描いた絵と最晩年に描かれた絵が隣り合わせにあった。
(このサイトの写真の絵はかなり実物と色がちがいます)

ゴッホが影響を受けたミレーの絵が展示してあった。

「白い帽子を被った女の頭部」が好きだ。
この女性の真っ直ぐな純真そうな視線がいい。
「籠一杯のじゃがいも」も「じゃがいもを食べる人々」もいい。

「マルメロ、レモン、梨、葡萄」は、ゴーギャンが「黄色い静物画」といったらしい。
ゴッホは、かなり気に入っていたようで、額縁まで絵を描いていた。
スーラの「オンフルールの港の入口」の絵がよかった。
ゴッホは、スーラにも影響を受けていたんですね。
これまでスーラの点描画をそれほど評価していない私(生意気ですね)ですが、
この絵には心を動かされた。

「灰色のフェルト帽の自画像」この絵がいいですね。
オランダの田舎画家からパリの一流アーティストになった自負が出ていると、
説明の文に書いてあった。その通りだと思う。

「アルルの寝室」がよかった。
この明るさが好きだ。
ゴーギャンと一緒に暮らしていて楽しくてしょうがない、という感じだ。
絵の近くに、この寝室を実物大に再現した部屋があった。
これはいい企画だと思った。

今回、ゴッホ展の中で一番私が気に入った絵が、「ゴーギャンの椅子」だった。
これはゴーギャンの肖像画だと説明されていた。
ゴッホのゴーギャンに対する想いが伝わってくるようです。
この黄色い家で、ゴーギャンといろいろな確執があり、
ゴッホは自分の耳を切ってしまった。
去年私は、ゴーギャン展を見た。そしてゴーギャンに対する気持ちをあらたにした。
ゴッホとゴーギャンとの関係興味がつきません。

「サン=ミレの療養院の庭」と「アイリス」 も好きです。
私がこれまで馴染んでいたゴッホの絵はなかったが、
今回のゴッホ展はよかった。
「こうして私はゴッホになった」というゴッホ展のテーマは充分に伝わってきた。
ゴッホがどういう画家に影響を受けてきたかというのが分かった。
27歳で画家になることを決意し、37歳でピストル自殺をしたゴッホ。
生き急ぎ過ぎたゴッホを私はいとおしく思う。
私は、彼より20年も生きている。
これからゴッホのことを考えて生きていこう。

ゴッホ展を見終わって、隣で開催していた二紀展を見た。
“今”の絵画・彫刻があった。
いくつか気を引く作品がありました。
もし、私が中学生に戻れて絵画や彫刻のほうをやっていたら、なんて考えた。

 

 

 

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