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吉田拓郎作品集

2025年04月15日 | ラジオ

今日の朝食のときに女房が私に訊いた。
「今日4月15日は、何の日?」
これはよく私が女房に質問することだ。
だいたい女房はいろんな私たちの記念日のことを忘れていた。
一瞬私は、頭の中が空っぽになったが、すぐ思い出した。
「**さん(妻の名前)の誕生日だよ。あぶねェ、忘れるところだった」
「忘れてたでしょう」
「いや違うよ。おれは昨日の『goo blog終了』の知らせで、
 今のところそのこと以外を考えられないんだ」
それはホントだった。
「goo blog終了」は、かなり私を打ちのめした。
それはそれとして、気持ちを立て直して今日の九想話を書きます。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………

4/14(月)ラジオ深夜便の午前3時台〔にっぽんの歌こころの歌〕<4月21日(月)午前4:00配信終了>は、
ジャパニーズ・ポップス:吉田拓郎作品集だった。
私はこれをらじる・らじるの聴き逃しで聴いた。
(4月から〔にっぽんの歌こころの歌〕を聴き逃しで放送してくれるので嬉しい)
私が二十歳の頃は、ギターで歌うときは拓郎か陽水の歌が多かった。
23歳で亡くなった龍彦と、駒込のアパートでよく酒を飲んで歌った。
拓郎の曲を聴いていると、泣きたくなってしまう。
どの曲も胸を熱くして聴きました。

【ジャパニーズ・ポップス:吉田拓郎作品集】
結婚しようよ
イメージの詩
今日までそして明日から
春だったね
リンゴ
旅の宿
落陽
シンシア(吉田 拓郎 かまやつひろし)
襟裳岬
人生を語らず
明日に向って走れ

♫ 春だったね ♫ 吉田拓郎

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三波春夫作品集

2025年04月10日 | ラジオ

4月9日のラジオ深夜便の3時台の〔にっぽんの歌こころの歌〕は、
昭和歌謡・往年の名歌手:三波春夫作品集でした。(4月16日(水)午前4:00配信終了)
私が子どもの頃、三波春夫の歌がよくラジオから流れていた。
なので三波春夫の歌のメロディーは、ほぼ覚えています。
しかしこの歳で、「チャンチキおけさ」の歌詞をあらためて聴くと涙が出ます。
            ↑(ここをクリックすると歌詞が出ます)

三波春夫の晩年の頃、永六輔との交流があったようです。
そのことを永六輔のラジオ番組「土曜ワイドラジオTOKYO」で、よく話していました。
三波春夫さんと永六輔さんのこと」(←ここをクリックして下さい)

……………………………………………………………………………………………………………………………

昭和歌謡・往年の名歌手:三波春夫作品集
チャンチキおけさ
船方さんよ
雪の渡り鳥
大利根無情
一本刀土俵入り
東京五輪音頭
(長篇歌謡浪曲)元禄名槍譜「俵星玄蕃」
明日咲くつぼみに
世界の国からこんにちは


三波春夫「チャンチキおけさ」

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さだまさし

2025年04月04日 | ラジオ

4/2(水)午前3時台〔にっぽんの歌こころの歌〕(4月9日(水)午前4:00配信終了)は、さだまさし作品集だった。
これまではラジオ深夜便の音楽番組の、らじる・らじるの聴き逃し放送はなかったが、
NHKの方針が変わったのか、この放送はある。
このことは、私はうれしい。

さだまさしは4月10日で、私は5月で73歳になります。
私は、20代のときから彼のことに注目してきた。
私と同じ歳のさだまさしの活躍を見続けてきた。
私は彼の作品が好きです。
…………………………………………………………………………………………
【午前3時台】
ジャパニーズ・ポップス:さだまさし作品集

雨やどり さだまさし
無縁坂 グレープ
案山子 さだまさし
関白宣言 さだまさし
親父の一番長い日 さだまさし
防人の詩 さだまさし
BIRTHDAY さだまさし

案山子/さだまさし(まさしんぐWORLDコンサート「カーニバル」)

コメント (4)
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金子みすゞ

2025年03月27日 | ラジオ

ラジオアプリの「らじる★らじる」の聴き逃しで「ラジオ深夜便▽絶望名言アンコール」を聴いた。
<3月24日(月)午前4:05放送 2025年3月31日(月)午前5:00配信終了>
文学紹介者 頭木弘樹さんが、童謡詩人金子みすゞを紹介してくれた。
私は、金子みすゞが童謡の詩を書いた人ということは知っていたが、
それ以外のことはほとんど知らなかった。

1903年4月11日に生まれて、1930年3月10日に26歳で亡くなったそうです。
いくつかの詩を紹介しながら、金子みすゞの生い立ちを話してくれた。
金子みすゞが詩を書き始めたのは1923年の二十歳のときだった。
家が本屋さんで店番をしていてまわりに沢山の本があって、詩人の西条八十の童謡に感激して、
自分も童謡を書くようになる。
当時童謡が流行っていた。
その頃、「赤い鳥」「金の船」などの児童雑誌が沢山発刊された。
それらの雑誌に金子みすゞは自分の詩を投稿していた。
そして自分の詩が雑誌に載るようになり、店番をしている本屋に届くのが楽しみになった。
ところが残念なことに童謡ブームが去って行き、第二次世界大戦前で戦時色が濃くなり、
児童雑誌が廃刊になっていき、金子みすゞが投稿する雑誌がなくなっていった。
その上私生活でも大変なことになった。
周囲の勧めもあって書店員の男と結婚するが、この夫が遊郭に遊びに行ってばかりいる。
金子みすゞは26歳で、夫からうつされた淋病で入院する。
その頃抗生物質はなく、女性は重症になったらしい。
夫が浮気をして性病をうつされて自分が重症になるというのは、これはひどい話です。
その夫は、病気の自分をおいて女のところに遊びに行く。
この夫がひどい男なんですね。
結局、夫とは離婚することになり、そのとき娘を夫に取られることになる。
そのことで金子みすゞは自殺を決意する。
3月9日に写真館に行って、子どものために自分の姿を残したいと思って写真を撮る。
その夜桜餅を買って帰る。
娘とお風呂に入り、桜餅を食べて娘の寝顔を見て、「かわいい顔して寝ちょるね」
という言葉を残して2階に行き、睡眠薬を大量に飲んで亡くなった。

今日、図書館で次の本2冊借りてきた。
「金子みすゞ作品鑑賞事典」(詩と詩論研究会 編 勉誠出版)
「金子みすゞ美しさと哀しみの詩」(詩と詩論研究会 編 勉誠出版)
金子みすゞの詩をこれから読んでみようと思います。




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高齢者は機嫌良く

2025年02月22日 | ラジオ

2月20日(木)のラジオ深夜便の4時台は、〔わたし終いの極意〕「老いを学びながら生きる」
(2月27日(木)午前5:00配信終了)シスター鈴木秀子さん(93歳)の話でした。
「高齢者は機嫌良く生きましょう」
機嫌良く生きている人には、人が寄ってくる、というようなことから話は始まった。

私は若いときから、納得できないことがあると機嫌が悪くなった。
ただ、自分に自信がないのであまりその気持ちを外に出さなかった。
それが年を取ると、それなりに生きてきた自分に自信があるので、すぐ機嫌が悪くなる傾向がある。
そういう自分に、後味悪い気持ちになった。
そう思いながら、また納得できないことに遭遇すると、機嫌が悪くなる。
老いても私は、きちんと成長していないんだな、と鈴木秀子さんの話を聴いてしみじみ反省した。
これからは、できるだけ〝機嫌良く〟生きていこうと思った。
生きているといろいろあるが、とにかく〝機嫌良く〟生きていこうと、私は決めました。

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菊池寛の短編2つ

2025年02月20日 | ラジオ

2/17(月)午前1時台の〔ラジオ文芸館〕は、菊池寛の短編「形」・「極楽」でした。
朗読:田中秀喜アナウンサー(福岡局)
私は、菊池寛の小説はまったく読んだことがなかった。
それでどんな小説かな?と興味がわいて朗読を聴いた。
「形」は、戦国時代の話だった。
〝槍中村〟と呼ばれた中村新兵衛が、主君の子どもの初陣に羽織と甲(かぶと)を貸す。
〝槍中村〟の羽織と甲の姿は、近隣の武将から恐れられていた。
主君の子どもの初陣に「羽織と甲を貸してくれ」と新兵衛は頼まれたので貸した。
別の羽織と甲で出陣した中村新兵衛は勝手が違った。
そして・・・。

「極楽」
夫に先立たれ、極楽往生を願って生きてきた信心深いおかん。
安らかに息を引き取った彼女は、極楽に続く道だと信じて薄闇に続く道をひたすら歩いて行きます。
極楽には、先に亡くなった夫がいた。
それから明るく平和な毎日が続く。
5年・10年・20年・30年・・・。

どちらの小説も面白かったです。
ぜひ、「聴き逃し」で聴いて下さい。(2025年2月24日(月)午前2:00配信終了)
「極楽」がYouTubeにありましたのでここに載せておきます。

『極楽』作:菊池寛 朗読:窪田等 作業用BGMや睡眠導入 おやすみ前 教養にも 本好き 青空文庫

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平泉成さん

2025年02月12日 | ラジオ



今朝のラジオ深夜便の4時台は、「明日へのことば」で俳優の平泉成さんが昨年、
80歳にして初主演した映画「明日を綴る写真館」のことなどでインタビューを受けていた。
私はこの俳優が好きです。
平泉成さんはケーナを作っているということでも私は興味があった。
平泉さんは愛知県の山奥の高校を出て、名古屋のホテルに就職した。
半年ほどホテルの仕事の研修を受けてから、ホテルのベルボーイの仕事をさせられた。
平泉さんとしては、フロントの中の仕事がしたかったそうです。
しかし、フロントの中の仕事は、大学の英文科を卒業した人じゃないとできなかったそうだ。
そのときに平泉さんは、学歴のことを考え落ち込んだそうだ。
ホテルの同じ寮の人が、大映の市川雷蔵を知っているから紹介すると言ってくれた。
それで紹介してもらって、大映の俳優募集があり、応募すると採用された。
最初のときは仕事がなく、通行人などをやらされていたそうだ。
しかし、なかなかいい役につけなくて、多くの俳優の人が辞めていったそうだ。
俳優になってもなかなかいい仕事はないようです。

平泉成、80歳で映画初主演「この仕事がすごく好き」俳優キャリア60年で貫いてきたこと
「日テレ NEWS」というサイトがありました。
インタビューの動画がありますので見てみて下さい。
あらためて私は、平泉成さんが好きになりました。


 

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「保」の字のこと

2025年02月07日 | ラジオ

   

2月5日「ふんわり」(NHKラジオ R1)
吉田照美さんが担当した歌手のヒット曲集♪ 10時台」を聴いていたら、
吉田さんが伊東四朗さんと文化放送でやっているラジオ番組でのことを話した。
「伊東さんは、漢字にもうるさくて。『保』という字は、口の下が『ホ』が正しいのに、
 今は『木』になっている、といって怒っている」という。
もともと漢字の「保」の字から、カタカナの「ホ」の字は出来たという。
(「ふんわり」聴き逃しのラジオ番組の残り8:47あたりで、そのことを話しています)
私は図書館に行って、分厚い漢和辞典で「保」の字を調べてみた。
何冊か見てみたがどれも「保」の字だった。
ネットで「保の字の正しい書き方」で検索したら沢山ありました。
どれも同じ答えですので見やすかった「贈る言葉情報館」を見て下さい。
結論は、「木」でも「ホ」でもいいということでした」
でも、もともと中国では「ホ」のようです。
それを知った私としては、口の下は「ホ」にしてほしい。

 

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コンプライアンス違反

2025年01月29日 | ラジオ

生島ヒロシ“セパ制覇”でラジオ即降板の衝撃 中居正広“女性トラブル”が引き金となった好感度アナの裏の顔

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-1114024


>《この番組は私のライフワークでもありましたが、この度、TBSラジオから
>コンプライアンス違反があったとのご指摘を受け、降板になった次第です》

> 名物ラジオ番組からの突然の降板を発表したのが、フリーアナの生島ヒロシ(74)。
>中居正広の女性トラブルに端を発したフジテレビの問題で、テレビ各局が“身体検査”
>を行った結果、生島のセクハラ、パワハラが通告された。27年間パーソナリティーを
>務めてきたTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食」「生島ヒロシのおはよう一直線」
>の降板を言い渡され、降板は事実上の引退と捉えられている。
 (日刊ゲンダイDIGITAL)

私はこの番組を1998年から聴いてきた。
それ以前は、榎本勝起の「三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん~!」を聴いていた。
私は朝早く目が覚めたときは、5時までNHKのラジオ深夜便、5時からは「マイあさ」を聴き、
6時ぐらいからTBSラジオにダイヤルを変えている。

1月27日(月)6時台、生島ヒロシ氏と森永卓郎さんの会話を聴いていたのに、
その夜、ネットのニュースで生島ヒロシ氏の番組からの降板を知り私は驚いた。
>生島のセクハラ、パワハラが通告された
と書いてあるが詳しいことは分からない。
おそらく、
>中居正広の女性トラブルに端を発したフジテレビの問題で、テレビ各局が“身体検査”
>を行った結果、生島のセクハラ、パワハラが通告された。
ということなのだろう。
中居正広氏のことがなかったら、テレビ各局の“身体検査”などはなく、
生島氏は番組を続けていられたかも知れない。
人間の裏側を知ってしまうことはイヤですね。

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今日は冬至です

2024年12月21日 | ラジオ

朝5時に目が覚めた。
ラジオをつける。
NHKの「マイあさ!」が聴こえてきた。
今日は、「冬至です」とアナウンサーが得意げに言う。
私はいつのころからか、冬至が好きです。
明日から、日が伸びていくことがいい。

6時台のサエキけんぞうの「素晴らしき20世紀ポップ年末SP」で流れた次の曲がよかった。
マイあさ! 土曜6時台前半 ニュース・気象情報/20世紀ポップ年末特別版/何の日
「人生を語らず」吉田拓郎
この曲は1974年に発売されたLP「今はまだ人生を語らず」の中の曲です。
私が22歳のときで、よくギターを弾いて歌っていた。
マイあさ! 土曜6時台後半 ニュース/20世紀ポップ年末特別版
「アクロス・ザ・ユニバース」ビートルズ
ジョン・レノンの曲だそうです。
大好きです。
「天城越え」マーティ・フリードマン(ギター演奏)
マーティ・フリードマンのギターがよかった。

天城越え

今日は、サエキけんぞうがスタジオに来ていていつもとはちがって、
6時半からのラジオ体操を挟んで放送していた。

私は、6時25分から「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」にラジオのダイヤルを回す。
今日は、1967年12月のベストテンの曲を流していた。
1位は、研ナオコの「あばよ」だった。
中島みゆきはいい曲書きますよね。
そのときの徳光と女子アナウンサーの会話で、
「ジャンボ宝くじの歌は、ベートーベンの交響曲7番の第一楽章なんですね」
と話していた。
あァ~そうだったのか、私はどこかで聴いたことのあるメロディーだと思っていた。
私は、すぐスマートフォンで「ベートーベン交響曲7番」を検索して聴いた。
なるほど、あのメロディーが聴こえてきた。
私は、ジャンボ宝くじのCMを作った人はさすがだな、と感心した。
しかし、ジャンボ宝くじの歌にされてしまったベートーベンは、なんて思うだろう?

11時30分から私が乗っている車、ワゴンRの半年点検なのでディラーに行った。
もう来年で10年になる。
今はほぼ女房が毎日運転しているが、順調に動いている。

帰りに途中のスーパーに寄って、宝くじ売り場でジャンボ宝くじとロト6を買った。
先日、有楽町で買えなかった年末ジャンボ宝くじです。
6・7人並んでいたので、待っている間私の頭の中には、
「ベートーベンの交響曲7番の第一楽章」のあの旋律が流れていた。

【ベト7!】 ベートーヴェン 交響曲第7番・第一楽章 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィル Beethoven



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