落語「文七元結」

2024年04月17日 | 落語

ラジオ深夜便4/14(日)午前1時台は、
〔話芸100選〕落語「文七元結」春風亭柳好(初回放送2015.12.31)
解説:金原亭馬生(落語家)きき手:中川緑アンカー
でした。
この放送を昨日、花壇の雑草を取っているときに「らじるらじる」の聴き逃しで聴いた。
20数分の噺です。
ぜひ聴いてみて下さい。
心があたたかくなる落語です。
(2024年4月21日(日)午前2:00配信終了)

2015年02月20日の九想話に「文七元結 古今亭志ん朝」を書いた。
このときはYouTubeで古今亭志ん朝の「文七元結」を観ました。

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伊集院光

2023年08月16日 | 落語

伊集院光「ノイローゼで通院」落語家を辞める原因となった人物を告白

> 伊集院光が13日放送の日本テレビ「行列のできる相談所」に出演。
>若いころに自信を喪失して落語家をやめる決定打となった「人生を変え
>た人物」を明かした。

> 落語家になった当時を「器用だったから、自分でうまいと思い込んで
>た」と振り返った。しかし、そんな折に立川談志さんが自分と同じ20
>歳くらいだった時のテープを、師匠の三遊亭円楽さんが貸してくれたと
>いう。

> 「聞いた時の、もう同じものとは思えない。ここが違うとかあそこが
>違うとかじゃない」と、すぱっと落語家を辞めた理由を明かした。

私は20歳のとき、立川談志に「弟子にして下さい」という手紙を書いてだした。
とうぜん返事は来なかった。
茨城にいた私は、どうしたら落語家の弟子になれるかわからなかった。

伊集院光という人間は面白いと私は思っている。
高校を中退して三遊亭円楽(そのときは楽太郎かな?)の弟子になっている。
彼の「100分de名著」(NHK-Eテレ 8月は「覇王の家」司馬遼太郎)という番組が好きです。

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文七元結 古今亭志ん朝

2015年02月20日 | 落語

文七元結 古今亭志ん朝

いい落語です。
歌舞伎にもなっています。
最後には私なんざ涙を流してしまいました。
1時間18分ほどの噺です。
いや、長いなどと思わぬうちにあっという間に終わってしまいます。

本所達磨横町に住む左官の長兵衛は、腕は立つのだが、無類のばくち好き、仕事もせずに借金を抱えている。
年の瀬も押し迫るある日、前夜の負けがこんで、身ぐるみ剥がれて半纏一枚で賭場から帰されると、女房のお兼が泣いている。
聞くと、娘のお久がいなくなったという。
お久は、吉原の佐野槌(さのづち)に行っているという。
長兵衛が佐野槌に行くと、父に改心してもらいたくて身を売って50両作ったと女将がいう。
女将は、返済が来年の大晦日を一日でも過ぎたら女郎として店に出すという。
そんな大切な50両を持って吾妻橋を通りかかると、身投げをしようとしている男にでくわす。
訳を聞くと、白銀町の鼈甲問屋近江屋の奉公人文七で、
さる屋敷へお使いを頼まれて集金した帰りに50両の大金をすられてしまい、死んでお詫びをしようというところだった。
長兵衛は文七を助けようとする。
しかし、どうしても文七は死ぬ感じがするのです。
長兵衛は、娘お久が身を沈めて手に入れた50両をしかたなく文七にやる。
そうしないと文七が死ぬ。
お久は、女郎に身を落とすが死ぬわけではないと自分にいいきかせる。
ところが、その50両が…?

いい噺です。
ぜひこの動画を観て下さい。

 

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最後の大舞台

2002年08月02日 | 落語

7/30 の深夜、NHKスペシャル
「桂米朝 最後の大舞台」の再放送があった。

正月に、大阪のサンケイホールで
毎年独り会をやっている。
そのときに七番弟子の桂歌之助が死んだ。
枕にそのことを話そうかよそうか迷っていた。
正月のめでたいときに
人が死んだ噺はよくないのでは…。
噺が始まったら、歌之助のことを話していた。
独り会が終わってそのことを訊かれたとき、
「われわれは、自分のことも話すのが芸、
 不自然さを感じさせたら客は離れる」
といった。

前座が15分の噺を
客に受けていたので20分やってしまった。
それを桂ざこばが若い前座に怒っていた。
むかしは、米朝が怒ったらしい。
「師匠は、甘なってきてる」
とざこばは尖っていっていた。

米朝は、歌舞伎座で独演会を最後にするという。
一番弟子の桂枝雀をなくして三年。
自分の体調が悪かったら、
枝雀に代わりをやってもらえると思っていた。
それを亡くし、独り会をやめることにしたらしい。
最近は、めまいがあり、夜ねむれない。
眠るために焼酎の助けを借りるそうだ。
私と同じだ。

「百年目」を演(ヤ)る。
途中、あるところを飛ばしてしまう。
弟子の吉朝がそれに気づく。
客に分からないように米朝は巧みに噺を戻す。
これが“芸”だな、と感じた。

しかし、米朝はすごい。
自分の失敗を取材されて、
それを放送することを許している。
隠そうと思えば隠せる。
なにしろ人間国宝なのだ。
55年も噺家をやっている。
えらいな。

しかし、米朝がヘビースモーカーとは知らなかった。
インタビューを受けていたとき、
ほとんど煙草を吸っていた。
苦しそうに吸っていた。
あれは吸いたくて吸っている感じがしなかった。
やむにやまれず煙を吸っていた。
私も煙草を吸っていたとき、
そういうときがほとんどだった。

あの煙草を吸う姿を見ていて、
米朝がよけい好きになった。
ちょっと見には大学の教授のようで、
近寄りがたかったが、
あの苦しそうに煙草を吸っていた米朝が好きだ。

1ヶ月ほど前かな、
永六輔が土曜ワイドラジオ東京で、
高石友也とナターシャセブンの京都でやった
「よいよいやまコンサート」のことを話していた。
そのとき桂米朝が来ていて、
「歌で、客席と掛け合うのがあるが、
 私もああいうのをやってみたい」
そういって、
「向こうの丘に囲いが出来たってね~」
と米朝が大声でいうと、
「へエー」
と3000人の客が応えてくれたそうだ。
また米朝が、
「向こうの丘に、塀が出来たそうだ~」
というと、
「カッコイイ」
と客席から返ってきた。
それが絶妙なタイミングで永は感動したという。
そういうところに私もいたかった。
米朝の落語、機会があったら聴きたい。

 

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