>真美子さん大谷翔平多忙で“孤独な臨月”を助ける「3人の先輩」
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ドジャースの大谷が父親リストに入り、3日間試合に出ないと今朝のニュースにあった。
私の息子たちが生まれた1980年7月3日の朝の6時半頃、「お子さんが生まれました」と、
女房が入院している東京都新宿区の病院から電話があった。
そのとき私は、板橋区の高島平団地に住んでいた。
私はそれから病院に行き義母と会って、息子たちと対面した。
あとで聞いたことだが、その病院の助産師は素晴らしくて、
逆子の息子たちを自然分娩で取り上げたという。
双子の息子たちは未熟児で生まれたので、保育器の中に入っていた。
私はそれから板橋にある会社に出勤し、8時30分からいつものように働いた。
ただその一日は、嬉しさ一杯で仕事が楽しかった。
仕事をしているとき私は、息子たちの名前を考えた。
そのときの私の仕事は、シルクスクリーンでデジタル時計のガラスに印刷をしていた。
それまで女房と子どもの名前をいろいろ考えていた。
妊娠が分かった頃は、「ニコチン」なんていっていた。
双子だからニコチンです。
でも、いつまでもニコチンではまずいと思って、それからいろんな名前を考えた。
長男が未熟児網膜症だということで、1週間ほど退院が遅れた。
女房が病院に入院してからも、退院しても、私は毎日仕事をしていた。
私のそのとき勤めていた零細企業には、子どもが生まれるときに休めるなんて決まりはなかった。
大谷の奥さん、無事に元気な赤ちゃんを産んでほしいです。