夜の11時過ぎて、今日の九想話に書くことがないな、と思った。
書こうと思えば書くことはある。
兵庫県知事のこと、阪神の選手のこと、政治のこと、日々の暮らしのことなどなど、
しかし、イマイチのらない。
10年前の九想話を読んでみた。
2014年12月03日九想話「孫の誕生日」
あ…、今日は長男の息子の誕生日だった。
今日で12歳になったので、今は小学6年生ということになるのかな?
今年の正月に会ってから見ていないので、現在がどんなになっているかわからない。
少年になったのだろうな。
下の女の子は8歳で小学3年になるのかな?
おしゃまになっているのだろうな?
2人に会いたいな。
管理人(マンション)/柔軟なシフト制/70代・80代シニア世代活躍中/若葉駅
今日の夜も、世界野球プレミアム12、ベネズエラ・日本戦を見ながらスマホを見ると、
こういう求人広告があった。
若葉駅は、家からバスと電車で30分ほどで通えるところだ。
ちょっと興味を持った。
膀胱がんが落ち着いてきたようで、体調はよい。
やれる仕事があるのならやってみたい、と思う。
女房に「こんなのがあった」とスマホを見せた。
しばらくスマホの文章を見ていた彼女がいった。
「なにも今更、仕事をしなくてもいいんじゃない」
「いや、おれでもやれるならやってみようかな、と思ったんだ」
「いいよ、やらなくて」
女房は働いている。
おれは1日中ぶらぶらしている。
といっても、家のことでやれることはしている。
朝のゴミ捨て、庭・花壇の草取り、植木の剪定、家の補修、その他おれのやることはある。
しかしおれに、少ない年金はあるが、現金収入はない。
心のどこかに女房に対しての負い目がある。
彼女も70歳になったら仕事を辞めるというが、どうも申し訳ない気持ちがおれにはある。
女房は、4月から今の大学の食堂の仕事を始めてずいぶん慣れたという。
かなり仕事の中心になっているようだ。
自分で車を運転して通勤していることもあり、それなりに今の仕事に満足しているようです。
昨日テレビで、東京駅のヤエチカ(八重洲地下街)には、
おいしいものを食べさせてくれるところが沢山あると紹介していた。
それを見ていて「こんどヤエチカに行ってみようか」と女房がいう。
おそらく12月には行きそうだ。
先日宇都宮に行ったのも、その2・3日前に女房がいったので決まったことだった。
時間があるときにいろんなところに行きたいね、と女房がいう。
来年の大学の冬休みと春休みには、どこかに旅行に行こう、とあのひとはいっている。
21歳と26歳で知り合って2週間で同棲して、結婚式も挙げずに籍を入れただけの夫婦。
双子の息子たちは、それぞれの家族と幸せに暮らしていると思う。
明日の晩メシは何食べよう。
いや、おでんということには2日前には決まっていた。
今日はカレー鍋でした。
うまかった。
先週火曜日(10/15)に私が女房の迎えに家を出るときに、うちの裏の家の人が庭仕事をしていた。
私はその人に挨拶をした。
郵便受けを見ると手紙があった。
女房を職場から車に乗せて家に帰った。
女房が玄関を開けたときに「鍵がかかってない」と怒っていう。
私は、女房との約束の時間に遅れてはいけないと思いながら、
裏の人に挨拶をし、手紙があったことも話した。
そんなことで、玄関の鍵を閉めることを忘れてしまったのです。
(このことを私は、深く反省しています)
それを話しても、それから彼女は怒って私と口をきかない。
水曜日(10/16)の朝私としゃべらず、早めの時間に徒歩で職場に行った。
歩いて行けば30分弱で職場に行けるはずだ。
家に帰ってからも女房は口をきかない。
木曜日(10/17)、あの人は車を運転して職場に行った。
久しぶりに車を運転する女房が心配だった。
その日、彼女は無事に家に帰ってきた。
でもそれからずうっと自分で車を運転して職場に行っている。
もうかなり車の運転には慣れたようだ。
昔私が軽井沢に住んでいたときに、女房の運転で高速道路を東京に帰ってきたこともあった。
ひょんなことから私のアッシー君の仕事は終わり、完全な無職になりました。
(今女房は、怒っていません)
>試合結果 阪神、5連勝でストップ 投手陣が乱調
(サンケイスポーツ)
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/sanspo-_sports_baseball_npb_5HJUTBU6SNHGZED2L4KP3FJQVE
>(セ・リーグ、DeNA9ー6阪神、21回戦、10勝10敗1分、20日、横浜)阪神はDeNAに敗れ、
>連勝が5でストップした。投手陣が誤算だった。先発の西勇輝投手(33)は二回に2点
>先制を許すと、三回にはオースティンに3ランを浴びて5失点で降板。六回からは5番手
>で先発として8勝を挙げたジェレミー・ビーズリー投手(28)が今季初めて中継ぎで登
>板したが、七回に筒香の2ランなどで3失点を喫した。打線は0-5の四回に前川右京外野
>手(21)の4試合連続打点となる適時打などで4点を返し、五回にも1点を加えるなど粘
>りを見せた。八回にも2死満塁のチャンスを作ったが、中野が右飛に倒れて得点できず。
>最後まで逆転することはできなかった。勝利した首位巨人とのゲーム差は3に広がった。
今夜は、BS-TBSで野球中継があったので、私は観た。
関東のテレビ局で阪神の野球中継があると、私がテレビ中継を観ていると、阪神は負けちゃうな。
なんてだろう?
私にそんな力はないとは思うのだが、私がテレビ中継を観ていると、阪神は負けちゃう。
そんなことを考えると、これから私は阪神の野球中継を観られないではないか。
どうしたらいいんだろう?
>大谷 立ちっぱなし会見は本人の希望ポスト
>大谷翔平、“立ちっぱなし会見”は「本人の希望」 伝説の51-51…謙虚さ光った11分間
(Full-Count)
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/fullcount/sports/fullcount-1621642
>敵地で行われた51-51会見、大谷の椅子も用意されなかった
>【MLB】ドジャース 20ー4 マーリンズ(日本時間20日・マイアミ)
> 伝説の1日も謙虚な大谷翔平は変わらなかった。マーリンズ本拠地のローンデポ・パーク
>で行われた「51-51」会見。前人未到の大記録を樹立したスーパースターはウィル・アイア
>トン通訳と立ったままだった。
大谷選手、おめでとう!!
阪神は今夜、負けてしまった。
明日はがんばれ。
カマキリの死
9月3日、庭で変な動きをしているカマキリがいた。
私はそのカマキリを、時間が許す限り撮影することにした。
すると私には予想できないことになっていった。
このようにカマキリが死んでいくということを、私は知らなかった。
私は自然界の片隅を、ちょっと覗かせてもらったような気持ちです。
今日、YouTubeに「カマキリの死」という動画をアップしました。
9月12日まで、女房の勤める大学の食堂の夏休みだった。
それで今日からあの人は、仕事に行った。
「あの人は、仕事に行った」と言っても、職場までは私が車で送って行った。
そんなわけで、今日から私は妻の〝アッシーくん〟を勤めます。
あの人が自分で車を運転していけばいいのだが、運転が怖いという。
〝運転が怖い〟という人に、車の運転はさせられない。
私は何もしてない人間です。
なので今日から私は、女房の専属運転手をします。
女房の仕事は午前10時に始まるので、9時35分に家を出た。
大学までは2キロほどで7分ぐらいで着いてしまう。
それで今日は午後1時半で終わるというので、その時間に迎えに行った。
明日の土曜日は、月曜日の仕込みがあり、祝日の月曜日も大学は授業があるので女房は出勤です。
女房は、昨日はものすごく落ち込んでいた。
「あ・・・、夏休みが終わってしまう」と。
これからは冬休みを楽しみに生きる、と言う。
しかし、冬休みは短いと嘆く。
春休みも2週間ほどだと私に文句を言う。
「私は、来年の夏休みを楽しみに生きよう」と嬉しそうに言う。
この人は、何のために仕事に行っているのか?
それは、うちの家計を少しでも豊かにするためです。
それを思うと、仕事をしていない私は何も言えません。
ただ、女房に感謝して〝アッシーくん〟をするだけです。
映像の世紀バタフライエフェクト「9.11 あの日が変えた私の人生」
<9/9(月) 午後10:00-午後10:44>をNHK+で観た。
>2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ。3千人の犠牲者の中には、
>24人の日本人もいた。息子を失ったふたりの父親のその後の人生をたどる。
>息子が殺された理由を知りたいと、テロの首謀者・ビンラディンへの手紙を
>携えアフガンに渡った父親。テロの記憶を風化させまいと567ページもの
>アメリカ政府の報告書を10年がかりで翻訳した父親。深い悲しみを抱えつ
>つ、憎しみの連鎖を断つために踏み出した人々の23年の記録。
(番組紹介の文章)
テロの首謀者・ビンラディンへの手紙を携えアフガンに渡った父親の姿に心を打たれた。
なぜ息子は殺されたのか。
父親は、テロの首謀者ビンラディンに手紙を書き、
直接話がしたいとアフガニスタンへ向かった。
ビンラディンとの面会の手がかりを探す中で目にしたのは、
アメリカの攻撃によって傷ついた子どもたちの姿だった。
アフガン訪問の目的は子どもたちへの支援に変わった。
「小さな子どもが銃を持ってジハードといっている
そういう子どもたちが大きくなったら
うちの息子のような犠牲がまた出てくるんではないか」
もう1人の父親のことも紹介していた。
Sさんの息子はワールドトレードセンター80階にある日本の銀行で働いていた。
Sさんはすぐにニューヨークに駆けつけ行方不明の息子を捜した。
「泣くのは死を認めることになるから泣かない。
お祈りすることは彼が遠くに行くことを認めることになる。
テロの記憶を風化させまいと567ページにわたる、
アメリカ政府の出した報告書を10年かけて翻訳出版した。
良い番組でした。
久しぶりにアメリカ同時多発テロのことを考えた。
あれを計画して実行した人、あのときの犠牲者のこと、その家族のこと、アメリカのこと、
私の頭では、考えても考えても考えようがありません。
2001年09月11日「アメリカで同時テロ」という九想話を書いてました。
23年前は、所沢の家で暮らしていて、大学生の息子がいたことを思い出した。
この花たちは、私が朝のウォーキングのときに出会った花たちです。
名前を知っている花もあれば、知らない花もあります。
これらの写真を私は女房にLINEで送った。
私が写真を送ったときは、女房はまだ東京に着いたころだろう。
>綺麗だね。
と返事がきた。
今日私の妻は、千葉の施設にいる母親に会いにいっている。
女房は朝6時過ぎに家を出た。
千葉の施設まで電車で2時間以上かかる。
毎月1回は行っている。
義母は93歳で、女房と毎日電話で話している。
施設の近くにいる義弟は毎週日曜日に行って、世話をしてくれている。
今日は、親子3人でいろいろ楽しい話をしたのだろう。
今日は、22年前の九想話をブログに書き直していた。
私は2001年からホームページ「九想庵」に「九想話」を書いていた。
その九想庵がいろいろな事情でなくなり、
そのホームページ形式の九想話をブログに書き直していたのです。
2002年の私の生活が書いてありました。
私が50歳のときです。
まだ息子たちも家で暮らしていた。
私があっと思ったのは、女房がフラメンコを踊っていたことです。
そうだあの頃女房は、夢中でフラメンコを練習していた。
昨年、膝蓋骨骨折をして現在ゆっくり歩いているあの人が、フラメンコを踊っていた。
あのとき新所沢パルコにあったフラメンコ教室で習っていた。
そこの先生が所沢駅でライブをするというので女房と私は行った。
本来の予定では生徒が何人か来てライブをするはずだったが、雨が降ったので中止になった。
でも先生が1人でもやるというので私たちは所沢に行った。
2002年09月22日九想話「雨の中のライブ」
ギターの男性と先生だけでフラメンコのライブを丸井の前でやった。
そのとき女房も普段着で参加して踊った。
楽しい思い出です。
踊っているのは22年前の女房です
今朝8時45分、女房をワゴンRに乗せて家を出た。
今日は女房が入院する日です。
コロナ禍のおかげで、入院・手術に家族はいらないことになったので私は家にいる。
昨年9月に膝蓋骨骨折をしてしまい、その治療のために膝蓋骨にワイヤーをつけた。
そのワイヤーを取り除く手術を受けます。
ワイヤーはそのままにしておいてもいいそうだが、何年か後に痛むときもあるという。
女房は、ワイヤーを取り除くことを選んだ、私もそのほうがいいと思う。
私は、38歳のときに交通事故に遭い、右脚の膝の靱帯を切断した。
そのときの医師が、普通の人は靱帯を切断したままでも問題ない、といった。
しかし私は、それから右脚を引きずるように歩くようになった。
この歳になると歩くときに右脚を高く上げていないので、
段差のない道路で転ぶときがあります。
あのとき靱帯をつないでおけばよかった、と後悔しています。
明日の手術は11時半からだと女房からLINEが来た。
私は、そんなわけで病院にいられない。
なんでも手術が終わったら私に病院から電話が入るから、
>昼寝しないでいて
と女房からLINEが入った。
明日私は、昼寝をしないで女房の手術の終わったことの連絡を待ちます。
しかし今日も暑かった。
「ゴゴスマ」(TBS系 月~金曜・午後1時55分)を観ていたら、
今日の日本で一番暑いところを紹介していた。
庭に育つ植物はかわいそうです。
鳩山町は5番目でした。
鳩山町がこれから気温が日本一ということはないだろう。
私は、わが庭にいるいろいろな動植物を観察したいと思っています。