今朝4時5分からのラジオ深夜便は、<師匠を語る>「松崎しげる、西田敏行を語る」だった。
松崎しげるが西田敏行のことを話していた。
ちょっと九想話の手を抜くために、こんな新聞記事を見つけた。
ラジオ深夜便で話したことがこの記事にありますので、これを読んで下さい。
ラジオ深夜便で話した西田敏行と松崎しげるの出会い、売れてなかった頃の二人の暮らし、
西田敏行の葬儀のことなどが書いてあります。
西田敏行がテレビドラマで売れ始め、松崎しげるが歌う「愛のメモリー」がヒットし、
「噂の刑事トミーとマツ」でも売れるようになったときに、2人はリオのカーニバルに行った。
そこで渡辺貞夫に出会ったことも話していた。
ぜひ「ラジオ深夜便の聴き逃し」を聴いて下さい。
松崎しげると西田敏行はいい友だちだったんだな、としみじみ思った。
私には、そんなに長くつきあった友人はいない。
ボクサーを目指していた龍彦は23歳で死んでしまった。
その頃、龍彦と一緒によく飲んでいて、山谷で日雇いをしながら絵を描いていたIさんとは、
彼は山梨にいるので、もう20年近く会ってない。
東大生協で20代の前半のときに、よく飲んで人生を語ったUくんは、32歳で亡くなった。
そのときに一緒に飲んでいたI氏とは30代ぐらいまで将棋をよく指していた。
彼は、東大生協書籍部の店長までやったのにドロップアウトしてしまい、
40代後半の頃、私と会いたくないと言って去っていってしまった。
私が50歳前後の頃、所沢の居酒屋「らくや」で素敵な人たちに沢山出会った。
そこで会った人たちとは、私が所沢から離れたので今はつきあっていない。
私は20回以上転職をしてきた。
そこで何人かの素敵な人たちとの交流もあったが、会社を辞めると途絶えた。
私が19歳のとき、お茶の水の予備校に行くために本郷三丁目にある試薬会社に勤めた。
私が、地方の大学に試薬を送るために郵便局に行くと、受け付けてくれた奴が予備校にいた。
彼はまじめに予備校に通い、早稲田大学に入学した。
私は、勉強についていけなくて、9月に予備校に行かなくなった。
それでも彼とは、ときどき酒を飲む関係になった。
彼が早稲田大学で作っていた同人誌に、私の書いた小説を何度か載せてもらった。
彼は小説家になると言っていたが、もう20年は会っていない。
松崎しげると西田敏行は、50年以上も付き合ったという。
うらやましいです。