クソまみれの九想車

1998年12月28日 | 車関係

 私の愛車ホンダLogoは、車の上にも、ウィンドウガラス、リアウィンドウガ
ラスにも鳥の糞がトッピングされている。
 これは、会社の駐車場がくぬぎ林の隣のせいです。
 カラスの糞かな、犯人を見たことがないので分かりません。
 ガソリンスタンドで、「窓ガラス拭いていいですか」といわれ、「いいよ」
と答えながら、拭くならきれいに拭けよ、といつも心で笑っている。
 女の子が必死になってガラスにこびりついた鳥の糞を拭けども拭けども、な
かなか取れない。なかには、まだ充分糞がついてても素知らぬ顔でやめてしま
う子もいる。
 今から、クソー車を洗います。正月を迎えるのに、クソまみれではLogoが可
哀想だ。4月まで、毎週山梨所沢を往復した可愛い奴です。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………

12月の九想話

12/1  さよなら冷蔵庫
12/3  冷蔵庫がやってきた
12/4  酔っぱらってます
12/7  プライベート・ライアン
12/10 五体不満足
12/20 いいわけがましく
12/20 元気のない女房
12/22 泣き言
12/23 ゆず湯
12/22 両親の引越
12/24 ナベジー
12/25 今日も
12/28 クソまみれの九想車

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今日も

1998年12月25日 | テレビ

 飲みました。
 生産管理の忘年会兼クリスマスという感じです。
 25歳の女の子と30歳の男だった。
 二人ともいいやつらです。
 居酒屋で飲んで、それからカラオケBOXに行った。
 話せば話すほど、広がる会話。なんて素敵なことだろう。
 少なくとも、あの二人と仕事ができることが嬉しい。
 あの二人を、私は大切にしたい。

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ナベジー

1998年12月24日 | 会社・仕事関係

 年齢は六十五、六か、うちの会社に契約社員の渡辺さんという人がいる。
 誰がいい始めたのか、陰で彼のことを会社の人たちは「ナベジー」という。
 背は、私(170センチ)より十センチぐらい低く、小太りとまではいえな
いが痩せてはいない。顔は四角く、長方形だった顔にバランスよく配置されて
た目、鼻、口が、正方形に押しつぶされたような顔をしている。笑うとかわい
いが、怒るとゴミ袋をかぶせて、生ゴミとして産廃のコンテナに放り投げたく
なる。
 私が入社した頃、いろいろつまんないことで怒鳴られた。なんでそこまでい
うか、というようなことまで、口から嵐のように唾を吐き出し罵倒してくる。
 他の社員からも嫌われていた。彼のいうことは正論だ。だけど、日々の仕事
の現実を考慮に入れると、彼のいう正論だけでは物事は進まない。
 私は、あるときこっぴどく罵られ、つくづく会社に行くことが厭になったと
きがある。ナベジーは、来年の3月で契約が切れる。そのときには、絶対、契
約更新しないように上司にいおうと思ってた。
 先週の月曜日、他の人の都合がつかなく、しかたなく私は彼の仕事を手伝う
ことにした。
 彼の担当は、パーツの発送と第四倉庫の管理だ。
 うちの会社でパーツといってるのは、交通事故などで割れたとき、補給する
ガラスのことをいう。これがけっこうある。
 普通のものは、ナベジー一人でも梱包出来るが、ワゴン車のリアウィンドウ
となるとそうもいかない。なにしろ大きいので、大きいダンボールに入れるだ
けでも大変だ。
 十二月の受注は四十二枚あった。私は、半日もあれば終わると考えてた。と
ころがなかなかめんどくさく、その上重いのではかどらなかった。
 午後から梱包始めて二時間ぐらいは、二人とも黙って作業していた。三時に
一服し、五時に休憩した頃からナベジーの口数が多くなった。私に心を許し始
めたか。
 私の会社は、来年で創立十周年になる。ナベジーは、何年前に入社したか知
らないが、かなり会社の裏の事情に詳しかった。そういう話を聞きながら、頷
くことが多かった。私は真剣にナベジーの話を聞いた。
 ナベジーは、自分の昔の話もした。北海道で生まれ、小樽の近くの会社に就
職し、何年かして関東に転勤になり、そこでその会社を退職した。それから、
寅さんがしていたような“テキヤ”を五十過ぎまでやっていて、うちの会社に
来たらしい。入社したときは五十を過ぎていたので、正社員になれなかったと
いう。
 話に夢中になり、ナベジーは手が疎かになることもあった。私は、手を休め
ず、いとおしい気持ちでナベジーの語るのを、聞いてた。
 その“語り”には、今の会社の愚痴あり、社会への苦言あり、人間への諦め、
愛があった。
 私は、ナベジーが好きになった。
 その日以来、ナベジーは私に対して、人なつこく話しかけてくる。少~し面
倒くさいが、それまでのナベジーに対する態度とは違って、私はあったかい気
持ちで、ナベジーの話を受け入れるようになった。
 今でも、ナベジーはみんなに嫌われている。それを知っているのか知らない
のか、彼は、態度を変えない。ある意味で偉いと思う。
 こうなったら私だけは、ナベジーのよき理解者でいよう。

 それにしても、あれだけリアウィンドウ(他のウィンドウガラスもだ)がパ
ーツとして注文があるということは、それだけ交通事故かなんかでガラスが破
損しているということだ。恐いことだ。
 昨日、ゆず湯にしたゆずは、このときもらったものだ。

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ゆず湯

1998年12月23日 | 暮らし

 今日が冬至だとばかり思っていた。
 冬至にはゆず湯だ、と心待ちにしていた。
 ゆずは先日、会社の所沢にある倉庫でリアウィンドウの梱包を、パーツ担当
のおじさんとしていたとき、倉庫の大家さんが、「庭の柚の木になったもんだ」
とスーパーの袋にいっぱい入ったのをくれたものがある。おじさんはいらない
といったので、私が全部もらった。
 しかし待てよ、と手帳のカレンダーを見る。22日が冬至と書いてあった。
 ま、いいか、1日遅れてしまったけど、昨日は残業で家に帰るのが遅かった
から、新しいお湯を入れてる時間がなかったので、沸かし直しのお風呂にした。
 女房は年末で忙しく、私より遅く帰宅した。それから食事の用意をしたので、
夕食は9時半頃になってしまった。UとKは、晩ご飯がかなり遅くなっても、
文句もいわずに黙っていつも食べてる。
 今日は、「ゆず湯、ゆず湯」と心で口ずさみ、私は6時半には家に着いた。
 家に入り、とにかく湯船の残り湯を流し、洗い、新しいお湯を入れた。
 お湯が入る間、私は米を研ぎ、洗濯物をたたんだりして待った。
 お湯が入ったのを、お風呂のコントローラで確認し、ゆずのまわりに包丁で
切れ目を入れた。いい匂いがする。
 3個湯船に放り込み、いそいそと裸になる。
 ああ…、待ちに待ったゆず湯だ。
 目の前のお湯に、切れ目の入ったでこぼこのゆずが浮かんでる。
 手に取ってみる。かなりの力でゆずをしぼる。かすかにゆずの香りが漂う。
3個ともしぼる。
 玄関の扉の開く音がした。女房が帰ってきたのだろう。
 私は大声で女房に「ゆず湯だぞ~」と、自慢したかったが、ゆずを小突きな
がら黙っていた。
 この幸せは、とりあえず私だけのものにしておこう。

     でこぼこを三個浮かべてゆず湯かな

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両親の引っ越し

1998年12月22日 | 暮らし

今日は、女房の両親の引っ越しの日だ。
 女房が小学生の頃から住んでいた、都営住宅の立て替えがあり、すぐ近くの
新築の都営住宅にいく。
 それまでの家は2Kの狭い家だった。女房と義弟は、その小さな家で育った。
 4、5年前から立て替えのため引っ越すことは決まっていた。女房の両親は
楽しみにしていた。まだまだ先のことと思っていたのが、ついに本日引っ越し
の日となった。
 私も女房も、会社があるので手伝いに行けない。ところがなんの風の吹き回
しか、息子たちが手伝いに行った。
 小学1年から昼間ずーと世話してもらったお礼のつもりかな。それとも…。
 女房の会社は、両親の家の近くで昼休み覗きに行ったそうだ。
 やっぱり、UとKはおじいちゃんから1万円、おばあちゃんからも「おじい
ちゃんには内緒だよ」と1万円をもらったという。
 夜、女房がお義母さんに電話していた。
「広くて(といっても2DK)、綺麗で、住みやすそうでとても気に入ってる
みたいよ」
 と女房がいう。
 あいつも両親の喜んでるのがとても嬉しいようだ。
 私だって嬉しい。

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泣き言

1998年12月22日 | 会社・仕事関係

やっぱり私は、どうしょうもない奴です。
 そんなに不幸な暮らしはしていないと思うけど、心がどんどん落ちていく。
 生活に満足できない。
 やることやってないからな。
 すべて自分がわるい。
 なさけない。
 土曜、日曜も会社なんかに行ってると、曜日感覚がなくなる。
 明日も会社だ。祭日は休みたいなぁ。
 こんなこと書いてることが、ハズカシイ。

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元気のない女房

1998年12月20日 | 健康・病気

 先週の水曜日から、女房が風邪をひき会社を休んでいる。
 土曜日は、仕事がたまってるからと出勤したが、やはり具合が悪く今日はご
ろごろしていた。
 私は会社に出勤し、その後、友人たちの劇団の公演に行ってて家にいなかっ
た。 しかし、女房の元気のない顔はツライ。
「昨日の忘年会で、歳のあてっこをしたら、おれのこと35歳という人がいた
よ」
 と私がいうと、
「よかったね」
 と力無く女房がいう。いつもだったら、
「お世辞なの分かんないの。ヒサシ君が35だったら、私は30歳だっていう
の。笑わせないでよ」
 と切り返す彼女なのだ。
 木曜日のフラメンコの練習にも行かなかった。なにがあってもフラメンコに
は死んでも行く人なのに…。
 健康が一番ですね。

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いいわけがましく

1998年12月20日 | テレビ

1週間ほど九想話を休んでしまいました。
 毎日、書かなくちゃと思いながら、ずるずると今日になってしまった。
 いろいろありました。いつか九想話に書こうと思います。
 今の仕事は、月初めと15日以降が忙しい。
 私の会社は毎月棚卸しをしていて、月初は、大きな棚差が出たら(ほとんど
毎月出てしまう)、その原因の究明に明け暮れる。
 15日頃、お客様の車のメーカーから、来月の出荷予定が来て、それをもと
に来月の生産計画を立て、素板(ガラス)を親会社に、その他の部材はそれぞ
れの業者に注文しなければならない。
 先週は、まさにそれらをしなくてはならないときで、昨日も今日も出勤した。
メーカーの生産台数は少ないのですが、それなりに生産計画を立てるのに苦労
します。
 夏頃は、4台すべての成形機が24時間稼働していた。9月頃から、受注が
少ないので、1号機は3勤24時間フル稼働ですが、2号機3号機は、2台で
3勤、つまり2号機が2勤だったら、3号機は1勤ということになった。こう
することによって、12、3人の人員整理をした。思えばひどい話だ。
 4号機は、リアウィンドウなどを成形する大きな成形機で、これは現在毎日
2勤だ。夏までは24時間動かしていた。
 この状態で、12、3種類のガラスの成形予定をメーカーへの搬入日に合わ
せて生産計画を立てている。
 1月は、少し受注が増えて生産枚数が多い。しかし、会社の方針としては人
は増やさないので、これまでと同じ体制でやるという。その上、12月は、日
々計画枚数に達しないときが多く、月末の予定在庫数が少なく、1月の計画が
どう考えてもたたない。もう、2号機3号機それぞれ2勤でなくては出荷に対
して満足のいく数字が出ないのです。
 それでも、上司は人を増やす考えはない。親会社にいつももみ手している彼
らは、収支さえあってればいいのだ。こいつらのせいで、ボーナスが少なかっ
たんだ。チキショー
 そんなこんなで、先週はいつも帰宅時間が遅く、家でビールを飲むと、なに
もしたくない私でした。

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五体不満足

1998年12月10日 | テレビ

 今、この「五体不満足」の著者が、私の頭の中にいつもいて、ことあるごと
に私を叱咤激励する。
 まだ本は読んでいない。ラジオで知った。
 先週の土曜日、NHKの「7時のニュース」に彼が出ていた。
 「障害は、不便だけど不幸ではない」という言葉が彼の文章にあるそうだ。
 彼の明るさには、ただ頭が下がるだけです。
 この本のこと知らない人に説明すると、この著者は、「先天性四肢切断(で
いいのかな)」という状態でこの世に生まれてきた。現在、早稲田大学3年生
です。
 本の一部を朗読で知っただけですが、すばらしい生き方をしている、と感じ
入ってます。
 それに比べ、私なんかみっともなくて、穴があったら入りたいです。
 彼が自然に美しい生き方をしているのは、それ以上にゆったりと豊かな人生
を送っている両親がいるからだろうな、と思います。
 彼が生まれたとき、医師は母親が驚いて具合が悪くなってはいけないと考え、
1ヶ月後に対面させたそうです。
 それで、みんなが心配しながら母親と赤ちゃんの彼を会わせた。
 赤ちゃんを見て、お母さんは「まあ、可愛い」といったらしい。
 私はそのエピソードを聞いて、涙が出てしまいました。
 本も読んでないのに、こんなこと書いてはいけないですね。
 正月休みにでも買って読みたいです。

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プライベート・ライアン

1998年12月07日 | 映画

 土曜日、「プライベート・ライアン」という映画を観た。スピルバーグ監督
の映画だ。
 ノルマンディに上陸しようとするアメリカ軍の若い兵士が、つぎつぎに機関
銃に撃たれ、爆弾で手足が吹っ飛び、それでもドイツ軍に突進していく。
 映画の最初から、その戦闘シーンが20分か30分続いた。
 新聞である人が、「なぜあれだけの戦闘シーンが必要なのか」と書いていた
ことを思い出した。
 私もそう感じながら、瞼を半開き状態で観ていた。そのうち掌でスクリーン
をときどき覆わなければ観ていられなくなった。
 戦闘シーンが終わって、ほっとした。
 アメリカの、ある片田舎の家の中にいる女性が写った。この女性が、ライア
ン兄弟の母親だ。そしてまもなく、4人息子のうち3人の戦死の知らせが…。
 軍の偉い人(役職名を書けないのが情けない)が、「末息子は死なすな」と
命令を出す。その任務を受け、8人(だったかな)が、残った息子を捜しに行
く。
 その後は、書くのをよします。これから観る人のために…。
 スピルバーグは、これでもかこれでもかと戦争のむごたらしさ、みじめさ、
むなしさ、をスクリーンいっぱいにあらわした。
 つくづく戦争は厭だ、と思った。
 自分もそうだが、息子たちも戦争というものに行かなくていい時代に生まれて
よかった。
 しかし、地球上ではまだまだ…。
                               
 映画が終わってから、あの戦闘シーンは必要だ、と思った。

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