今年もあと半分

2011年06月30日 | 健康・病気

今年が始まったと思ったらもう半分が過ぎてしまった。
私はこの半年、何をしてきたのだろう?
職場の仕事は、それなりにしてきた。
しかし、自分の夢には熱心ではなかった。
これからの半分、夢に熱くなりたい。

もう、おれはいつ死んでもおかしくない歳になっている。
才能のないおれだって、少ない才能を目一杯つかわなくっちゃ死んでも死にきれない。


6月の九想話

6/1  手荒れ
6/2  八日目の蝉
6/3  診療逃避
6/4  遊戯三昧
6/5  女房の料理
6/6  草の雨
6/6  どれほど歩いたか白根山
6/7  ハーモニカ
6/8  手荒れのその後          梅雨晴間はしゃぎどうしの妻帰る
6/9  女性学
6/10 ニセビール
6/11 津軽平野                なんだかな疲れた吾に草の雨
6/12 サマーコンサート        梅雨晴間音洪水の中に吾
6/13 径書房                  焼酎や水道橋のヨッパライ
6/14 ガンバレ!!阪神
6/14 夫婦の会話
6/15 冷やし中華       郭公の産んだ卵は親知らず
6/16 高齢者の運転
6/17 一進一退
6/17 ロト6の5等
6/18 法然と親鸞
6/18 吉行淳之介
6/19 小説が読める
6/19 父の日         父の日はなんの日なのかと父想う
6/20 増俳15周年句会          銀河系星になれずにカブトムシ
6/21 ウィンブルドン
6/22 初練習
6/22 うさぎ
6/24 苦役列車
6/24 地デジ難民
6/25 リベンジの「追憶」
6/26 きことわ
6/27 反省
6/28 掌蹠膿疱症
6/29 久しぶりのカホン
6/30 軽井沢レイクガーデン
6/30 今年も半分
 

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軽井沢レイクガーデン

2011年06月30日 | 健康・病気

昨夜、アールクルーの練習が終わってから7時半頃パンカーラに行った。
SAY1さんは、8時半にパンカーラにやってきた。
今度のワイワイガヤガヤではどんな曲をやるのかとか話した。

「6月のはじめに軽井沢レイクガーデンに行ったけど薔薇が咲いてなかったので、
 中に入らなかったんですよ」というと、
「明日来てくださいよ。今は薔薇が沢山咲いてますよ」とSAY1さん。
なので今日、じん芥処理場にゴミを捨ててから10時半に行きました。
車を駐車場に置いてレイクガーデンに歩いて行くと、
SAY1さんが駐車場案内係の制服を着て立っていた。
「あ…、こんなとこにいたんですか?」女房がいうと、
「2人ともちっとも気づいてくれないんだもん」と寂しそうなSAY1さん。
「まさか、そういうかっことしているとは思わなかった」と私。
軽井沢レイクガーデンはSAY1さんのいる会社がが運営しているんだと初めて知った。
忙しいときには、車の誘導などもしているようだ。

軽井沢レイクガーデンのことをあらためてSAY1さんが説明してくれた。
今は、薔薇が沢山咲いているけど、各季節にいろんな花が咲くように植えてある。
メタセコイヤと落羽松(らくうしょう)の話、池にいるのは草魚ですなどと説明してくれた。
私たちは、SAY1さんと別れてレイクガーデンを歩いた。

今は、とにかく薔薇・ばら・バラです。
いろんな沢山の薔薇が咲いていました。
中には薔薇以外の花もありましたが、ほとんど薔薇でした。
花のところにネームプレートがあるのですが、中にはないものがあり、
あれはナナミズキかな?と思いながらも確信が持てないのがツライ。

最後に、カフェでアイスコーヒーを飲んで行こうと入ったが、
客が多いせいかなかなか注文をとりに来ないので、飲むのを諦めて店を出た。
女房はどうしても飲みたいというが、私としては600円ものアイスコーヒーは飲まなくてもよかった。
花一杯の軽井沢レイクガーデンには満足しました。

  

  

  

  
 
   

最後の写真は、「ラプソディ・イン・ブルー」という薔薇です。
ステキですね。

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久しぶりのカホン

2011年06月29日 | 健康・病気

よりによってこんなに暑い日に女房が軽井沢に来た。
なんといっても〝避暑地軽井沢〟をこよなく愛するあの人なんです。
私は今日、車のオイル交換をした。
女房は高速バスで11時過ぎ中軽井沢に到着する予定だった。
私はオイル交換を終え11時前に家に帰ってきていた。
バス停まで車で迎えに行こうと車に乗り駐車場を出ようとしたら、彼女が歩いてきた。
予定より早くバスは中軽井沢に来たようだ。
私としてはバス停まで車で迎えに行ってそのままツルヤまで行って買い物をしようと考えていた。
昼飯の食材を買おうと思って。
「昼ご飯は、パンカーラで食べようか」女房がいう。
それで決まった。

パンカーラの駐車場に車を停め、ミルク村にうさぎたちを探しに行く。
しかし、いなかった。
パンカーラに入ると「九想さん」と呼ぶ声がした。
アールクルーの2人がいた。
「どうしておふたりがここに…」と私が訊くと、
今日の夜、アールクルーの練習をするという。
「それじゃ、私も行っていいですか?」といってみる。
「あ…、いいですよ」といってくれた。
私は、少しElite1768さんと練習が出来たらいいな、と思っていた。
「九想さん、カホン叩いてもらえますか」とElite1768さんがいう。

夕方5時半、私はカホンを車に載せて1人北軽井沢に向かった。
女房は疲れてしまって家にいるという。
アールクルーのリーダーの別荘で練習はやっていた。
私が別荘に入ると3人は練習をしていた。
そして私はカホンでその練習に参加した。
カホンとは、ペルーの木製の打楽器です。
アフリカからペルーに連れてこられた黒人の奴隷が、タンスから作った打楽器だといわれている。
現在はなぜかフラメンコになくてはならない打楽器になっている。

楽しかった。
私は、土曜日アールクルーのメンバーとしてカホンを叩くことになった。
(アールクルーのオーディションに合格したようです)
Elite1768さんと「追憶」と「津軽平野」の練習も出来た。
さぁ、7/2の土曜日が楽しみです。
がんばります。

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掌蹠膿疱症

2011年06月28日 | 健康・病気

今日、皮膚科に行ってきた。
現在の私の症状はずいぶん良くなっていると思う。
寝る前に薬をぬったときは、ポリ手袋をしている。
朝になるころには無意識に暑いせいか外してしまうが、
皮膚がしっとりとしていて薬の効果があるようです。
昼、ぬって手袋をしていても仕事がしずらいので難しい。
そんなことを繰り返してきて、良くなってきている。
足がまだひどいですね。

今日から飲み薬がミノマイシンという抗生物質にかわった。
胃を傷めるというのでガスター10も一緒に飲む。
ぬり薬も少し強いものにした。
さあ、これでどう変わるか。

しかし、ネットで掌蹠膿疱症を見てみるといろいろ書いてある。
「ビオチン不足」
「扁桃の病気が原因」
「喫煙が原因」
「掌蹠膿疱症のほとんどの人は、骨の病変がある」
今のところ私はこういうこととは関係なく、飲み薬とステロイド軟膏で治療している。
現在の私としては、今治療を受けている医師を信頼するしかない。
今日までとしては、良くなってきているのだから。



  

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反省

2011年06月27日 | 健康・病気


昨日、9年前に私の伴奏をギターでしてくれたSさんにメールした。
土曜日、パンカーラで「追憶」を吹くことを書いた。
するとさっそく今日返事が来ました。

> こんど試しに目を開けたまま吹いてみてはどうでしょうか?

そうです。目をつぶって吹くのは私の癖なんです。
ひとりで吹くときはいいでしょうが、伴奏してもらうときはいけませんね。
今度の土曜日は、目を開けて吹きます。
Sさんありがとう。

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きことわ

2011年06月26日 | 健康・病気

「きことわ」(朝吹真理子著)を読了。
苦労して読みました。
何も知らなくてこの小説を読み始めたら、
2ページいかないところで読むことをやめただろう。
ただ、芥川賞を多くの選考委員から圧倒的評価を受けて受賞した作品というので仕方なしに読み続けた。
読み終わって、いったいこの小説は何が書いてあったのかと考えた。
何も私の心に残っていない。
永遠子と貴子が、生きている生身の人間として感じられなかった。

おまえの感性も読み方もお粗末なんだよ、といわれれば何もいえない。
だから小説を書けないんだよ、と罵声を浴びせられても、
私は薄笑いを浮かべて黙って聞いているしかないでしょう。
この小説よりはまだ「苦役列車」のほうが、
どうしょうもない人間でもそれなりに描かれていた。

選考委員はどんなことを書いているのかな、と「芥川賞選評」を読んだ。
その結果、〝圧倒的評価を受けて受賞した作品〟という印象は受けなかった。
各選考委員の選評をここに書きたいが、
私の取り上げ方で誤解を受けたら申し訳ないのでやめます。
私としての感想は、第144回芥川賞には大いに不満です。

ぜんぜん関係ないのですが、
昨日、朝8時5分からNHKラジオ第一でやったラジオ文芸館
「さがしもの」(【作】角田光代【朗読】内藤裕子)のほうが心をえぐられた。
これは〝文学〟でした。

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リベンジの「追憶」

2011年06月25日 | 健康・病気


来週の土曜日(7/2)、パンカーラでのコンサートで吹く「追憶」は、
じつは、9年前にシントコのブロックヘッズでやったライブで演奏した曲です。
私は、ライブの前日、仕事中に左手の人差し指を潰してしまった。
そのことは2002年3月29日の「がんばれ薬指」に書いてあります。
そして30日にライブをやった。
私として一所懸命練習した「追憶」を失敗してしまった。
そのことは31日の「失敗の『追憶』 」に書いた。
悔しかったですね。

そのこともあって、今回は絶対失敗できないのです。
私は、真剣勝負です。
でも、こんなに堅くなってはいけませんね。
もっとリラックスしなければ…。
Elite1768さんだけが頼りです。
ゆったりとしたElite1768さんのギター伴奏に乗っかり、
のびやかな気持ちでケーナを吹きたいと思います。
ケーナで歌う気持ちで吹きます。

しかし、9年前はまいりました。
前日に指をケガしてしまった。
今度は、そんなことのないように1週間気をつけて生活します。

追憶 (バーブラ・ストライサンド)

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地デジ難民

2011年06月24日 | 健康・病気

地デジ未対応なお51万世帯 完全移行まで1カ月(朝日新聞) - goo ニュース

早いもので、アナログ放送もあと1ヶ月で終了ですね。

> 総務省の推計では、移行を最大1年延期する東日本大震災の被災3県
> (岩手、宮城、福島)を除き、5月末時点で全世帯の1%強にあたる
> 51万世帯でアンテナなどの対応ができていない。
>「地デジ難民」の発生は避けられそうにない。

現在私のテレビ受像器はアナログです。
このまま7月24日を迎えると私も〝地デジ難民〟ということになります。
私の今の気持ちとしては、地デジ対応のテレビを買うことが面倒です。
この会社の寮のアンテナは地デジが観られるそれになっている。
最近、地デジ対応テレビが安くなっていると報道されている。
32インチが4万円ほどで売っているとか…。
その昔、1インチ1万円という時代があった。

大きな液晶テレビで観たらきれいでしょうね。
テレビ大好きな私はずーっと観ているかも知れない。
それが怖い。
やっぱり私は地デジ用のテレビを買わずに〝地デジ難民〟として生きよう、
なんて思ったりもします。

悩みます。
なにしろテレビ大好き人間ですから…。

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苦役列車

2011年06月24日 | 健康・病気

第144回芥川賞受賞作「苦役列車」(西村賢太著)を読んだ。
正直なところこれが芥川賞か、という気持ちです。
まず、主人公北町貫多に魅力がない。
父親が性犯罪を犯し、地元に住めなくなり離婚した母親と姉と引っ越す。
中学を出て、母親から十万円の現金を強奪するようにしてむしり取り、
鶯谷の三畳のアパートを借り仕事を探す暮らしを始める。
中卒ではまともな仕事にも就けず、昭和島の羽田沖に面した冷蔵の物流倉庫で日雇いの労働を始める。
そこで一日働いて、五千五百円もらう。

> ともかくあすこに行って数時間、牛馬のようにこき使われれば、夜には日当を得て、
> その中から千円だけ安ソープランドにゆく為の積み立て貯金にとっておく他は、
> 残りの金でまともな飯を腹一杯に食べて取りあえず酒も飲める。

貫多の生きる姿勢はこんなもんです。
向学心もデカイ男になろうという志もない。

貫多には友だちもいない。
唯一、同じ職場で働く専門学校の学生の日下部という友だちが出来る。
しかし、結局日下部をひがんで彼に捨てられ一人になってしまう。
こんな志の低い主人公の生き方についていくことに疲れてしまった。
性の扱いかたも低級な感じだ。はっきりいって下品です。
なんか〝汚い〟という印象を受けた。

私は二十歳の頃、山谷の職業紹介所に行き日雇いの労働をやった経験があります。
南千住駅で降り6時半までにそこに行き、シャッターがゆっくり開くときに、
身体を低くして30センチほど開いたシャッターから身体を滑り込ませる。
そして、窓口の上にぶら下がった仕事の条件を書いたものを見て、仕事を探した。
職業紹介所のまわりには、手配師がいた。
公的な職業紹介所の仕事にあぶれた者たちは、条件は悪くなるが手配師に頼るしかない。
何回か私も手配師の仕事に行ったことがある。

私は、この作者の小説の書き方が嫌いです。
でも、そんなことをいってもこの人は芥川賞をとってしまった。
ワタシよりエライ人です。
でも、私はこの人の作品を認めない。


昨夜、この九想話を途中まで書いたが寝てしまいました。
1日遅れでUPします。

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うさぎ

2011年06月22日 | 健康・病気

 

 

本日、ワイワイガヤガヤコンサートのための練習をしに北軽井沢に行った。
私と一緒にやっていただけるElite1768さんとパンカーラの駐車場で待ち合わせした。
午後5時に待ち合わせたのですが、お仕事で少し送れるとメールがあった。
私は休日だが、Elite1768さんはお仕事でした。申し訳ありません。

それじゃうさぎはいるかな?、と思った。
あたりを見回しても影もない。
Elite1768さんが来るまでうさぎを探してみようと考えた。
ミルク村に行ってみた。
上のほうまで探したがいなかった。
パンカーラに戻ろうとしたときにあのうさぎたちを見つけた。
見つけたときに胸が熱くなりました。
おまえたち生きていたのかよ、という思いです。
うさぎさんたちはけなげに生きていました。

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