疲れた

2002年02月28日 | 暮らし

3月1日締め切りの小説をやっと書き上げた。
やはり、常日頃から書いてないといけませんね。
書いて書いて書かないとだめです。
疲れました。
寝ます。

句会への投句が出来なかった。

………………………………………………………………………………………………………………………

2月の九想話

2/1  日がのびた
2/2  酒と煙草とケーナ
2/3  コンおばニオン
2/4  睡眠時間
2/5  くたびれ親父と息子たち
2/6  言葉の少ない歯医者
2/7  入籍記念日
2/8  カレーライス
2/9  札幌のケーナの人
2/10 駐車違反
2/11 パァーパ、パァ~パ
2/12 ネット利用率53・6%
2/13 パチンコ
2/14 バレンタインデー
2/15 涙の中高年
2/16 新しいケーナ
2/17 遠隔操縦
2/18 睡眠時間
2/19 聴導犬
2/20 BCG
2/21 1月の句
2/22 京都のかあちゃん、しだれ桜
2/23 あっ
2/24 水無月試演会
2/25 ソルトレーク冬季五輪
2/26 初ライブの練習
2/27 再び「今日の女房」
2/28 疲れた

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再び「今日の女房」

2002年02月27日 | 家族

今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」http://www.1101.com
の「今日の女房」に、
また、私のものが載った。
こんなことでしか、
自分を表現出来ない今の九想です。

2/23の私の「今日の女房」は
「今までの今日の女房」の中の、
「その6」の3つめにあります。

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初ライブの練習

2002年02月26日 | 音楽

Sさんから連絡があり、
今日、新所沢の公民館に行った。
3月30日土曜日にやる
ライブの練習をやろうといわれたからだ。

ライブは、Sさんの友人のヴォーカルと
Sさんのギターとブルースハープがメインだが、
そこに楽家の常連でギターと歌をやるS根さんと
ケーナの私、それにマスターも歌で参加する。

今日は、SさんとS根さんと私が集まった。
S根さんは、全部自作の曲をうたう。
その歌をうたってくれた。
それに合わせてSさんがハープ、
私がケーナを吹いた。
S根さんは、ケーナを初めて聴き、
これはいいとよろこんでくれた。

私もケーナで2曲やることになっている。
それもSさんのギターと合わせた。
Sさんがきちんと
CDからギターの伴奏をコピーしていてくれたのに、
おれがめちゃくちゃ吹いてしまった。
反省。

終わって、当然のように楽家に向かった。
楽家では盛り上がった。

さて、あと1ヶ月、
私は真面目に練習しなければならない。
他人とひとつの曲を一緒やるこになった。
自分一人で吹く自由がない。
がんばってみよう~かな。

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ソルトレーク冬季五輪

2002年02月25日 | スポーツ

ソルトレークのオリンピックが終わった。
私としては、盛り上がらなかった。
メダル争いをするような選手が、
少ないのがさびしかった。
審判の採点や判定への不信感も、
なんかこの大会をつまらなくした。
といってもそれなりにはテレビを観て楽しんだ。
一所懸命競技に打ち込んでいる姿は美しい。

前回の長野冬期オリンピックを、
私は山梨で一人観ていた。
単身赴任のときだった。
あれから4年たったのか。

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水無月試演会

2002年02月24日 | 演劇

今日は、大宮(今は、さいたま市)の、
水無月稽古場に行った。
「演劇集団 水無月」の試演会を観てきた。
以前にも書いたけど、
この劇団の前身のとき、私も参加していた。

やったのは、
「中原中也を巡って」
別役 実 作「太郎の屋根に雪降りつむ」より
構成:菅谷 弘
というものだった。

昨日行こうと思っていたのだが、
九想話を書いていて遅れてしまい、
そのうち所沢の友人から電話で誘いがあったので、
飲みに行ってしまった。
芝居が終わってからの飲み会が楽しいのです。
残念。

むかし、私が聴いていた友川かずきの曲が、
“主役”といっていい芝居だった。
私が独身だった20代の前半の頃、
中原中也の詩に、
友川かずきが曲をつけたレコードをよく聴いていた。
それを劇団主宰者の菅谷さんが覚えていて、
こんどの芝居にうまくつかった。
私は正直、芝居よりも、
友川かずきの音楽が流れてきて、
涙がとまらなかった。
独身時代、東京駒込でのアパート暮らしを、
いろいろ思い出してしまったからです。
いや、別役実の戯曲もよかった。
役者もいい演技をしていた。
いい時間を過ごしました。

芝居がはねてから、男1をやったNが、
「こんど営業に回されたんです。
 夜10時過ぎまで毎日仕事です。
 もう、会社を辞めたくてしょうがない」
と私にいう。
彼はそれまで、トラックで配送の仕事をしていた。
Nの会社に対する想いが私は分かる。
辛いだろうな。
今日の彼はいい役作りをしていた。
会社に行けなくて、
毎日軍隊の行軍の練習をしているという男1に、
Nはなりきっていた。
そうか、そういう背景があったのかと思った。

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あっ

2002年02月23日 | テレビ

今日は休日出勤だった。
土曜日まで女房を起こしてはわるいので、
自分で朝飯を用意した。
だた、ご飯に卵と納豆をかけただけだ。

テレビをつけた。
いきなり長嶋有さんが出た。
芥川賞受賞のインタビューに答えていた。
久しぶりの彼の動く姿だった。
はにかんだ表情があいかわらずだった。

彼は、NHKのテレビに出ていて、
おれは零細企業に出勤するために、
朝飯を食っている。
この差を意識しよう。

「ほぼ日刊イトイ新聞」http://www.1101.com
を見たら、
「今日の女房」というところに
投稿していたものが載っていた。
ちょっぴりうれしい。

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京都のかあちゃん、しだれ桜

2002年02月22日 | 旅行

「いろり端」に、
京都の思い出を書く、なんて書いてしまった。
そのときのことが書いてあるかなと思って
日記帳を見た。
何冊かのうちの1冊をなにげなくとった。
大学ノートの表紙に「一人言 3」と書いてある。
'78.4/12~'80.1/13までの日記だ。

なんとその一番最初のページに、
京都に行ったことが書いてあった。
しかし、「いろり端」に書いた京都の思い出とは
違うときのことだった。
母と兄と3人で行ったときのことが書いてあった。
このことを私はすっかり忘れていた。
私が25歳のときのことだ。

日記に書いてある順に、行ったところを記す。
京都タワー、東本願寺、三十三間堂、清水寺、
平安神宮、八坂神社、円山公園、祇園、二条城、
金閣寺、竜安寺、嵐山、銀閣寺
兄が母と2人で行く旅行だったが、
私がそれについていった。

円山公園のしだれ桜が綺麗だったと書いてある。
思い出した。
あの夜、花見の人混みの中を
おふくろと兄と3人で歩いたことを。
そのあと、祇園でうどんすきを食べた。
> 兄が泣いた。母がトイレにいってるときに。
> 「こんなにかあちゃんが喜んでくれるんなら、
> もっと早くつれてくるんだった」
こんなことが日記に書いてある。
ほんとうに兄は“おふくろ思い”だ。
今でも兄は、毎日「ひだまりの家」に行っている。
先日電話で話したら、
最近は、
兄のことも母は分からなくなってきたらしい。

翌日、母と兄は奈良に行った。
私は仕事を3日もさぼれないので、
東京に帰ってきた。

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1月の句

2002年02月21日 | 俳句・短歌

今月も自分の句への想いを書きます。
兼題は、「短日」「寒の水」「目」でした。
句の横にある数字は、選句してくれた人の数です。
合計12点で9位でした(参加者17名)。
各題に対して1人1句投句して、
各題の句の中からそれぞれが5句選句するというルールです。

 短日やフォークリフトの鍵を抜く   6 
冬至の頃は、午後4時半ぐらいでも真っ暗になってしまう。
車のウィンドウガラスになる
素板(ガラス)の載っているパレットや、
製品になった完成品が入った台車を移動し重ねるのに、
フォークリフトを使用する。
暗いところでフォークを操作するのは怖い。
無事、事故もなく一日が終わるとほっとします。

 寝る前に喉をうるおす寒の水     3 
私は蒲団に入るまでアルコールを飲んでいる。
九想話を書き上げてUPするのはいつも深夜です。
歯を磨いて、
換気扇の下で煙草を吸って一日を振り返る。
そして台所でコップ一杯の水を飲む。
うちは5階で、
台所の小窓から駅に向かう交差点が見える。
まばらに車が通る。人も歩いている。
明日もがんばるかー。

 七草や食すよろこび目でかわす    3 
今年、うちでは七草粥を食べなかった。
これまでは七草とはいかないが、
2、3種類の草を入れたお粥を食べていた。
子どもたちが大きくなると、
季節の行事をさぼってしまいます。

自分でも今月の句でいいと思うのがない。
9位になれたのだ不思議なくらいです。
毎月のことですが、
時間をかけないでバタバタと作っている。
もっと時間をかけなくてはと反省してるのですが、
同じことを繰り返しています。

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BCG

2002年02月20日 | 健康・病気

今でもあまり好きではないが、
子どもの頃は特に注射が嫌いだった。

小学生のときいろいろな予防接種の注射をされた。
なかでももっともイヤだったのが、
ツベルクリンの注射だった。
この注射はそれほど痛くはないのだが、
その結果として打つBCGが痛かった。
ツベルクリン注射をして
何日目に結果を見るか忘れてしまったが、
私はいつも赤くならずかならずBCGを打たれた。

ツベルクリン反応の結果を見られる前に、
みんなはそれぞれ
注射を打ったところが赤くなるように“努力”をした。
口で吸って赤くしたり、
指でシッペをして赤くしたり、
しかしそれらは無駄だった。

私の左腕はいつも白かった。
よほど結核菌に嫌われたのだろう。
なかには少し分けてもらいたいほど、
腕全体が赤くなる子がいた。
女房に訊いたら、
「私はそうよ。もうこれ以上いいというほど赤くなって、
 BCGは一度も打ったことない」という。
そういうひとがあの頃羨ましかった。

女房がいうには、
BCGが注射だったのは低学年の頃だけで、
その後、「はんこ」みたいのになったそうだ。
ああ、ここでBCG“文化”が途切れてた。
あのBCG注射の痛さがあってこそ、
ツベルクリン反応の結果に一喜一憂するのだ。

小学4年まで私は分校に通っていた。
ツベルクリン反応が陰性の子は分校でBCGを打つ。
陽性の子は、6、7キロ離れた本校まで歩いて行って、
レントゲンを撮らなければならなかった。
BCGを打つのも痛くてイヤだが、
レントゲンを撮るために、
本校まで歩いて行くのもみんないやがった。
4年生のときだったかな、
私は中途半端に赤くなり、
痛いBCGも打ち、
本校まで歩いて行ってレントゲンも撮ったことがあった。
私は子ども心に、
(ああ…、なんておれは不幸なんだ)
と嘆いたものだ。

今日の asahi.com の「社会」に、
「BCGの接種は1回だけ、WHOが「日本向け」に勧告」
という記事があった。
>  BCGは子どもの重い結核を防ぐ効果があり、
> 日本では大半の子どもが2回以上受けているが、
> 複数回接種すれば効果が高まるのか疑問視されていた。
ええーッ、そうなの。
>  会議では、BCGを乳幼児期の1回接種だけにした
> 韓国とシンガポールがそれぞれ
> 「患者数が増えたという統計は出ていない」と報告した。
そんなのありかよ。
小学校のすべての学年でBCGを打ってきた
私の“苦痛”はどうしてくれる。

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聴導犬

2002年02月19日 | テレビ

今日の夕食のときにテレビをつけた。
NHK教育にすると、
「にんげんゆうゆう 聴導犬が大活躍!
 聞こえない母の子育て」
という番組をやっていた。

テレビを観て最初は盲導犬かな、と思った。
そのうち聴導犬ということが分かった。
主人の耳のかわりをする犬だ。
聴導犬という名前を初めて知った。

聴導犬の持ち主は、
幼い子どもが2人いる素敵な女性だった。
生まれつきの聴覚障害者ではないようで
話すことは普通に話せた。
想像するに、
耳が聞こえないひとが育児をするということは、
大変なことだと思う。

赤ちゃんが泣いてもそれに気づかない。
幼稚園の女の子は、
母親が聞こえないということが、
まだよく分からないようだ。
自分のいってることを聞いてもらえないことは、
さびしいだろう。
母親は、子どもの口元を見て話すことを理解する。
しかし、口の形が似た音と間違えることもある。
子どもにテレビゲームを使って話すことを教えていた。
そのゲームを自分でやって、
場面場面でどんなことを喋っているかを、
ご主人に確認していた。

女の子は、最近では家にかかってきた電話に出て、
しっかり話して母親に伝えてる。
この親子は母親が耳を使えないだけで、
他の五感を使って
素晴らしいコミュニケーションをしていた。
母親の耳のかわりは聴導犬がしている。
(メモしてなかったのでこの犬の名前を忘れた)
美音(みお)っていったかな。自信ない。
家族の一員として可愛がられていた。

先週のプロジェクトXは、
日本で最初に盲導犬をつくったひとだった。
「盲導犬は自分の欲望を抑えて、主人に仕える」
これは犬しか出来ないことらしい。

こういうひとたちを見ると、
自分の生き方を反省してしまう九想です。

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