おおみそか

2001年12月31日 | 暮らし

いよいよ2001年も残り少なくなりました。
(現在、21:20)
観るテレビもないので、コタツで寝ていたら、
女房が電気を消した瞬間に目が覚めて眠れない。
ひにくなものです。
女房としては、寝やすいように明かりを消したのだろう。
女房は今日の夕方から、
やにわにいろんなところの掃除を始めた。
私と息子たちが、
夕食に年越しそばを食べてるときにも、
がさこそ音を立てながらやっていた。
なにも、1年の最後の食事ぐらい
一緒に食べればいいものを、
この神経が私には分からない。
思い立ったらなんとか、というやつです。
こういうところが女房にはあります。
昼間寝てないでやればいいのにな。
いや、女房は今日、
仕事場に行っていた。
少なくとも今日は昼間寝ていなかった。
女房の名誉のためにこれは書いておこう。

9時半からテレビ東京でやった
「海の上のピアニスト」を観た。
素敵な映画だった。

なにわともあれ、
九想話をこれまで読んでいただいたことを
感謝します。
来年も書き続けますので、
よろしくお願い致します。

………………………………………………………………………………………………………………………………

12月の九想話

12/1  ハリー・ポッター
12/2  「うらやましい」
12/3  あと1分で起きる
12/4  ある派遣社員との会話
12/5  ひとまず安心
12/6  三味線
12/7  阪神の監督は?
12/8  ハンガーマップ
12/9  涙の中高年
12/10 イカがタコになったわけ
12/11 おなら
12/12 ある会社の閉鎖
12/13 息子の雇い主
12/14 営業マンだった私
12/15 営業マンだった私2
12/16 営業マンだった私3
12/17 営業マンだった私4
12/18 ロト6で当選
12/19 星野阪神
12/20 フラメンコ舞踊団誕生
12/21 誰もいない楽家
12/22 バイバイ、ガンジーさん
12/23 あさのバロック
12/24 クリスマスイブ
12/26 旅人3000人
12/26 更新サボってしまった
12/27 職場のいじめ
12/28 仕事納め
12/29 冬休みの初日
12/30 楽家の忘年会
12/31 おおみそか

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楽家の忘年会

2001年12月30日 | Weblog

今夜、6時から楽家の忘年会だった。
6時20分頃、私はいった。
カウンターは最後の1席が残っていて、
私はそこに坐った。

しかし、私なりに今日の忘年会に期待していたのだが、
はっきりいってつまらなかった。
こういうことは、なにかの期待をしていると
つまらないことが多いものだ、と思った。

こういうときは、早く家に帰って寝る方がいい。

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冬休み初日

2001年12月29日 | 暮らし

昨夜3時頃寝たのに、朝6時過ぎに目が覚めた。
FMNHKの「あさのバロック」を聴く。
バッハの無伴奏のヴァイオリン曲だった。
こころが深いところに落ち着く。
8時、TBSラジオで歴史家の加来耕三が、
今の時代で考えなくてはならない人は、
山中鹿之助だという。
くわしく書きたいが、メモをとってないのでやめる。
すばらしい人のようだ。
年賀状を書こうと思ってパソコンをいじっていたが、
中途半端に終えた。
なかなかいい年賀状にならなかったので。
普通のタイヤから、スタッドレスタイヤにした。
今年は、12月に雪が降ってあせった。
夜、パソコン仲間の忘年会だった。
わいわいみんなで集まって、キムチ鍋をつくった。
話題がいろんな方向に広がり楽しい。
ギターを弾き、ケーナを吹いた。
こんなふうにして今年も終わっていく。

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仕事納め

2001年12月28日 | 会社・仕事関係

本日で、会社の今年の仕事は終わった。
ロッカールームで作業服から私服に着替え、
駐車場まで歩いているとき、
開放感が体中に充満した。
車に乗り煙草をくわえ火をつける。
さあこれから1月6日までおれは自由だ。
これまでの、日々の鬱屈した労働からおれは解放された。
1月6日の夜の憂鬱はすぐにやってくるが、
今、それは忘れよう。
つらい単調な肉体労働から、知性のない人間関係から、
とりあえず離れられる。
今はそれをよろこぼう。

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職場のいじめ

2001年12月27日 | 会社・仕事関係

いつも働いている
第二工場で生産する製品の受注が少ないので、
先週までの12月の3週間、
私は第一工場の支援メンバーとして働いた。
そこで、いじめを知った。

Hという30歳を少し過ぎた男は、
仕事が遅く、ミスも多いと以前から噂は聞いていた。
その彼が、いじめの標的になっていた。
私が働いた1勤の班は、
班長が34、5歳で、
1人11月に入社した39歳のひとを除いて、
みんな若かった。
正社員が4人、派遣社員が4人。
派遣の一番年上が35歳、下が19歳。
Hは、正社員はもちろん、派遣社員からも
いじめられていた。
入社したばかりの39歳のひとはしないが、
その他のやつらほとんどが、
Hにひどい言葉をいっていた。
行ったばかりで第一工場の仕事のようすが分からない、
どんくさい49歳の私にも
ひどい口のきき方をするぐらいだから、
まして長年やってきて仕事の遅いミスの多いHには、
虫けらにしゃべるようにののしりのまじる話し方をしていた。
わきで聞いていて、哀しくなってくる。
ある日5時になり、
仕事が終わってトイレに行ったとき、Hがいた。
隠すようになにげない態度で用をたし、
手を洗って出ていったが、
どうみても彼は泣いていた。
30過ぎた男が、ションベンしながら泣いていた。
その翌日から2日間、彼は会社を休んだ。
彼がいないと休憩時間は、
Hへの悪意に満ちた会話で盛り上がっていた。
派遣のあるひとが私にいった。
「いつもはHさんが可哀想だと思っているが、
 みんながひどいいいかたしてるの聞いてるうち
 気がつくと自分も同じ態度をとってることに驚いた。
 群集心理って怖いな」と。
昨日、第二工場でよく休むひとが休んだ。
仕事にならないので、第一工場に応援を頼むと、
邪魔者あつかいされているHがきた。
「一日といわず、ずーっとお貸しします」
と第一工場の班長がいったそうだ。
第二工場で働いていたHは楽しそうだった。
いじめるひとがいないからだ。
仕事が終わって、私が日報を記入していると、
温かい缶の緑茶を自販機で買ってきてくれた。
仕事も終わり帰っていいのに、
しばらく一緒に坐っていて、
楽しそうに私たちと話していた。

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更新サボってしまった

2001年12月26日 | パソコン・スマホ

昨夜は、楽家で飲んでしまって、
そうとう酔いました。
4時までパソコンの前に坐っていたが、
なにしてるのか分からない状態だった。
気持ちは、九想話を書こうとしていたのですが、
今思い出してもなにしていたのか、
さっぱり分からない。
長く書いた文章を保存しなかったり、
また最初から書き直したり、
それを再び保存しなかったり、
保存しても、どこのフォルダーか分からなくなったり、
ああ…、酔っぱらいはイヤだ、
とつくづく思いました。
なんとか九想話をUPしようとしたが、
4時過ぎたのを知り、断念しました。
会社での仕事を考えたら、
それ以上起きていられない。
あらためてこういう日のために、
一つか、二つの
九想話の在庫をしておかないといけないな、
と思いました。
今思い返すと私は、
パソコンの前でイスに坐って寝ていたようです。
蒲団で寝ればよかったナ。

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旅人3000人

2001年12月26日 | パソコン・スマホ

九想庵を訪れた旅人が、
3000人を越えました。
12月25日の午前1時40分に、
九想庵を更新したあとの確認のために行ってみたら、
3006人だった。
うれしかった。
4月4日に立ち上げ、8ヶ月とちょっとで3000人。
これが、他の人のホームページに比べて
多いのか少ないのか分かりませんが、
よくこれだけ読んでもらったな、という想いです。

昨日は、楽家でよく会うKさんと、
彼のメールマガジンで九想庵の紹介を読んで、
それ以来、ファンになってくれた空さんと3人で飲んだ。
飲みはじめに、
「九想庵、3000人突破に乾杯」
と乾杯してくれた。
これで私は、バカみたいに飲んでしまいました。

3000人を超えたことを励みに、
これからはサボらず毎日、九想話を書いていこう。
私はたいがい酒でしくじることが多い。
反省してます。

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クリスマスイブ

2001年12月24日 | 家族

こんなことなんて、
今の私にはなんの関係もなくなってしまった。
息子たちが小さいときは、
それなりの演出なんかしてサンタの代役をやっていた。
ああいうことがあったんだ、と想えることが幸せです。

今日、Kは彼女と東京ディズニーシーに行った。
朝、7時前にシャワーを浴び、
いそいそと出かけて行った。
Uは、去年と同じ池袋のホテルで、
グリークラブの一員として、
クリスマスキャロルをうたってきた。
今日私は会社だったので行けなかった。
女房は夜、
「昔の会社の人たちに飲みに誘われた」
とうれしそうに行ってしまった。
私は、カツオのたたきと鶏肉の煮物なんかを
おかずにしてビーシュ、日本酒、焼酎を飲んだ。
そして、テレビの前で居眠りしていた。

ひとつだけうれしいことがあった。
出版社に勤めている友人から、
本のプレゼントがあった。
「ダーク・ムーン」馳星周著 です。
5センチほどの厚さの本だ。
読みでがあります。
それに、会社のおばさんが本を貸してくれた。
「冷静と情熱のあいだ」江國香織著 。
図書館から借りた文学雑誌もあるし、
正月休みは、読書三昧だ。

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あさのバロック

2001年12月23日 | 音楽

朝、6時頃目が覚め、
枕元のポケットラジオのスイッチを入れた。
パイプオルガンの調べが流れてきた。
そうだ、日曜日の朝は、
「あさのバロック」という番組をやっていた。

昨日寝るとき、
ラジオ深夜便をFM放送で聴いていた。
午前1時からラジオ深夜便は、
FM放送でも聴けるので、いつもそうしている。
FMのほうが音がクリアーでノイズも少ない。
そのときは「演芸特選」で、
三遊亭円生の落語をやっていた。
円生も私の好きな噺家です。

ヘンデルやバッハのオルガン曲を聴いていて、
しみじみした気持ちになった。
ガンジーさんのことを考えた。
土曜日に仕事をしてたときも、
1日中ガンジーさんのことを想っていた。
番組の案内をする女性がいった。
「クリスマスが近いので、
 今日はオルガン曲にしました」と。
そうか、明日はクリスマスイブだった。

バロック音楽を、私は大好きです。
最近はあまり吹かないが、
20代の頃、私はリコーダーをよく吹いていた。

オルガンの音を聴きながら、
私は、清らかな気分になった。
猥雑な職場に、
今日は行かなくていいと思っただけで救われた。
そのうち、また私は眠りの中に落ち込んだ。

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バイバイ、ガンジーさん

2001年12月22日 | 健康・病気

ガンジーさんが亡くなった。
ガンジーさんは、「癌爺」という名前で、
糸井重里に、癌になり余命2ヶ月しかない、
というメールを送った。
それから二人のメール交換があり、
「ほぼ日刊イトイ新聞」という糸井重里のホームページに
ガンジーさんの文章が毎日載るようになった。

私は毎日、
ガンジーさんの書いたことを読むのが楽しみで、
毎日「ほぼ日」にアクセスしていた。
長いことサラリーマンをしていたガンジーさんの
考え方が好きだった。
ガンジーさんの、社会、人間、男、女、家族に対しての
想いが好きだった。
ガンジーさんの駄洒落まじりの明るい文にはまいった。

「ほぼ日」11月16日に最後に載った
「444.泣きじゃくりたい」
(2001年11月11日午後5時?分)
という文はかなしい。
http://www.1101.com/ganji_san/2001-11-16.html
めいっぱい明るく書いているが、
慟哭という感じの文章だ。
その文の最後は、
>  ひとまず中締めだぜ、
> 「あばよ!」
だった。

今年の九想は、いろんなことがあり、
毎日、くじけそうなこころで生きていた。
そんなとき、ガンジーさんの言葉が救いだった。
ガンジーさん、ありがとう。

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