音楽ドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』本予告【公式】
音楽ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」が作られた。
>STORY
>フォーク、ロック、ボサ・ノヴァ、トロピカル・サウンド、レゲエ、タンゴなど、
>時代時代に敏感に、誰よりも深く研究し取り入れていた加藤。その楽曲の幅広さ、
>意外性は一人の音楽家の手によるものとは気がつかないかもしれない。本作では、
>加藤の人生、生きた時代を捉えながら、加藤にどのような変化があったのかを、
>関係者らの証言や当時の貴重な映像で紐解いていく。
加藤和彦は、私が軽井沢で暮らし始めた2009年の10月16日に亡くなった。
62歳だった。
私はそのニュースを聴いて驚いた。
私が中学3年から憧れていたあの加藤和彦が、私が暮らす軽井沢で自殺した。
彼にとって私のことなんて知らないだろうが、私としてはなんか因縁を感じた。
私の近くで亡くなったことに、不思議な気持ちになった。
2009年10月17日九想話「加藤和彦が死んだ」
私は、心の底から加藤和彦に憧れていた。
中学3年の11月から私は、高校への受験勉強を始めた。
アホな呑気な私でしたね。
受験勉強をするために私は夕食をすませると仮眠した。
そして11時ごろ起こしてもらって、それから受験勉強をした。
私の家は百姓の家で8畳の部屋が3つあるだけだった。
自分の部屋などはないので、時間帯をずらして私だけの空間を作った。
そのときそのころ始まった深夜放送を聴いて勉強をした。
正直なところ勉強にならなかった。
毎晩、ラジオの深夜放送を聴くために夜中に起きていたようなものだった。
そのとき聴いていたのはニッポン放送の「オールナイトニッポン」でした。
ニッポン放送アナウンサーの糸居五郎(月曜日)、斉藤安弘(火曜日)、高岡尞一郎(水曜日)、
今仁哲夫(木曜日)、常木建男(金曜日)、高崎一郎(土曜日)を聴いていた。
そして12月ごろからよく流れた曲が、フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」だった。
毎晩毎晩聴いていた。
そして待ちに待ったその次のフォーク・クルセダーズの曲が、「イムジン河」だった。
いい曲だなと思ったが、すぐその曲は発売中止になった。
それから私は、フォーク・クルセダーズの曲を追いかけた。
私は必死にギターを弾けるようにがんばって、フォークルの曲をギターで弾いて歌った。
「戦争は知らない」
「花のかおりに」
「何のために」
「水虫の唄」
高校生のときは、やはり夕食のあと仮眠をとってラジオの深夜放送を聴いていた。
学校では誰も話す人はいないので、深夜放送を聴いていろんな人の考えを聴いていた。
そのころは「パックインミュージック」でしたね。
北山修は水曜日だったかな?
金曜日は、野沢那智と白石冬美です。
愛川欽也も聴いていた。
北山修の考え方には影響を受けた。
高校を卒業して手工ギターを作るところに弟子入りした。
ギター製作の修行のために東京に行ったのに、
毎晩毎晩兄弟子から誘われて宗教の集会に連れて行かれた。
もうそれが厭でイヤで、5月にギター工房を辞めた。
「世界一のギターを作るんだ」と夢を見てギター工房に弟子入りしたのに、
あの宗教のために私の夢は潰された。
もう、おれにはなんの希望もない、と茨城の実家で百姓を手伝って暮らしていたときに、
加藤和彦と北山修のこの曲が流れた。
なんか救われましたね。
人生をやりなおそう、と思った。
『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』エンディング曲「あの素晴しい愛をもう一度~2024Ver.」PV【2024年5月31日公開】