泣き虫先生

2001年07月31日 | テレビ

今夜のプロジェクトX(NHK9時15分)
「ツッパリ先生と泣き虫先生」(再放送)には、
久しぶりに涙がとまらなかった。

昭和49年、ラグビーの日本代表だった山口良治が、
荒れ果てた伏見工業高校に赴任した。
いろいろなラグビー関係に誘われたが、
それらを断って行った。
山口はラグビー部の顧問になった。

昭和50年、花園高校との試合をし、
112ー0で負けた。
そのとき、
それまで山口に逆らってきた部員の小畑が泣いた。
他の部員20人も泣いた。
山口はいう。
「必ずおまえたちを勝たせてやる」
それからラグビー部のきびしい練習が始まった。
真面目に練習をしていた小畑が、
喫茶店で煙草を吸っていた。
山口が小畑と話す。
「おれはおまえを信じている」
煙草のことは話さなかった。
夏の合宿の前に、
部員の荒木がバイクで事故を起こす。
1人でも欠けるとラグビーはできない。
All for one. One for all.
試合のたびに生徒たちの応援が増えた。
荒れていた伏見工業が、
ラグビー部を中心にまとまっていった。

昭和51年、京都中の不良の頂点といわれてた
山本清悟が入学してきた。
山口は、「ラグビーはケンカと一緒や」と、
山本をラグビー部に誘った。
しかし、ラグビー部に入った山本は、
ラグビーはケンカとはちがうことを知った。

昭和51年5月、京都大会の決勝に進出。
相手は花園高校、去年負けたところだ。
小畑が最後にトライを決め、
18-12で勝った。
その試合を見ていた山本は、
「勝っても泣ける。自分もこういう思いをしてみたい」
と思った。

平成4年伏見工業高校は、
ラグビーの高校全国大会で日本一になった。

「子どもをうれしい気持ちにさせるのが大人」
といった山口。
泣き虫先生の山口が私は好きです。
泣き虫である九想の自己弁護ではありません。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………

7月の九想話

7/1  床屋での話
7/2  負けない指しかた
7/3  生ビールな誕生日
7/4  おふくろ
7/5  逃げたらあかん
7/6  落ち込むな~
7/7  学校給食
7/8  「あそんでるの」 
7/9  昔の落書き
7/10 二択
7/11 ストレッチ体操
7/12 ビタミンF
7/14 茫然自失
7/14 パソコンショップ
7/16 人間ドック
7/17 投票所入場券
7/18 芥川賞候補
7/19 早食い世界一
7/20 メトロノーム
7/21 眠りつづけの土曜日
7/22 釣瓶井戸
7/23 シントコのホームレス
7/24 ひきぎわ
7/25 私だけかな…
7/26 成果主義
7/27 ネコに乗る
7/28 IT神話崩壊
7/30 ヘロヘロ日曜日
7/31 泣き虫先生





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ヘロヘロ日曜日

2001年07月30日 | 家族

昨日の日曜日、投票をすませて、
ロッテリヤの土日半額の照り焼きバーガー105円を買って、
それを昼飯にして、家を出た。
女房が練習をするスタジオ・トゥリアーナに行ったのです。
「スタジオのドアの鍵が壊れているから直して」
と女房がいうので、私もついていった。
2人一緒に電車に乗るのは久しぶりだ。
なにしろ女房はしょっちょう家を出てる。
私はたいがいビーシュを飲んで留守番が普通です。

新所沢駅から電車に乗った私たちは、
最初はたわいもない話をしていたが、
そのうち女房は寝てしまった。
私も文庫本を開いたが、睡魔に勝てず目を閉じた。
気がつけば高田馬場、2人で寝過ごしました。
下りのホームに急いで行き、電車に乗った。
新井薬師に着き、トゥリアーナに着くと、
一緒に練習する女性が2人来ていた。
「ドアの鍵を直してもらおうと、亭主を連れてきた」
と彼女たちに説明する。
2人とも20代の可愛い素敵な女性だった。
九想庵を見ているという1人の女性が、
「想像していた人と違っていました」といういう。
「どんなふうに」ときくと、
「若くて素敵ですね」という。
お世辞でも私は、うれしかった。
こんなこと最近いわれたことがない。
トゥリアーナは地下ですが、
地上を突き破り、明るい大空をさまよう想いでした。
もうこれだけで、今日来たかいがあった、
なんて思っちゃいました。

しかし、そう喜んでばかりもいられない。
ドアをさっそく見た。
鍵とドアノブが分かれていた。
「鍵はこわれてない。
 持つところがないのでそれをつけて」
とわが女房はいう。
そんなこと、家を出る前にいって欲しかった。
とりあえずノブが取り付けてあった金具をはずした。
それを持っていって、同じものを、
金物店かホームセンターで探そうと思った。
新井薬師にはなさそうなので、
大きな街に行こうと思って、上石神井に行った。
ところが、そこにもホームセンターなんてものはなかった。
私は途方に暮れた。帰るよりしかたがなかった。
トゥリアーナの近くに、
日用品を売る店があったので、入った。
店主に金具を見せ、「こんなものないですよね」
というと、
「この近くですか?」と訊く。
「そうです。すぐそこのフラメンコ教室です」
というと、
「どうりで見たことのあるものだと思った」
と店主がいう。
「前に何度も直しに行ったけど、
 もう、その古いのはないんだよね」
という。

スタジオに戻ると、女房たちが練習していた。
私はドライバーで金具を元に戻しながら、
(あいつは、こうしていつも練習しているのか)
と思った。
なんか切ない気持ちになった。
45歳の女が、20代の女の子と練習している。
あいつはりっぱだな、と思った。
やはりたいへんなことだと思った。
8月4日に恵比寿で踊る練習をしていた。
あらためて、女房はフラメンコが好きなんだな、
と思った。
結局私はなにもしないまま、家に帰った。
疲れていたけど、取っ手のかわりになるものを、
自転車に乗り、ホームセンターに買いに行った。

こんなことがありまして、日曜日はヘロヘロでした。

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IT神話崩壊

2001年07月28日 | パソコン・スマホ

今夜9時からのNHKスペシャル
「アメリカ・IT神話崩壊の衝撃」を観た。
「100年に一度の技術革新」と
もてはやされて成長してきた
アメリカのIT産業の崩壊を取材した番組だった。
世の中というものは、一寸先は闇ですね。
アメリカは、ITの技術革新がすごい。
日本もこれからはITだ。
なんていわれてきた。
これは間違っていないのだろうけど、
アメリカではものすごい数の通信会社が、
大手もベンチャーも含めて参入した。
これがいけなかったのだろうな。
過当競争に勝ち残るために、
過剰設備投資をし、
巨額の借金を抱え経営危機に陥った。
「ベンダーファイナンス」という言葉を知った。
大手の通信機器メーカー(Nortel)が、
通信機器を買ってもらうために、
顧客にお金を貸し、儲かったら返してもらう、
という方法で販路を拡大したそうだ。
結局、顧客であるベンチャーの通信会社が潰れ、
大きな負債になった。
でも、冷静に考えればこうなることは
想像できたと思う。
なんて私がいえるのは結果論かな?

インターネットはすごいものだと思う。
でも、これまで騒がれてきたほどのものではないと
私は思っている。
「インターネットがなんぼのもんじゃい」
というのが私の一貫した考えです。
しかし、その“なんぼのもんじゃい”に、
毎日お世話になっている九想ですが…。

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ネコに乗る

2001年07月27日 | 健康・病気

7、8年前のことか、
その頃会社で一緒に働いていた女の子に、
「おれ、一輪車乗れるんだよ」
といったら、
「えっ、ネコに乗るんですか?」
と不思議そうな顔をした。
そういわれて私も「?」という顔になった。
しばらくして私は笑ってしまった。
そういえば、工事なんかで使う一輪車を
ネコというな、と思い出した。
まさかそういうことを
若い女性が知ってるとは思わなかった。
一輪車といえば、普通はあの一輪車だろう。

私は30歳の頃一輪車が乗りたくなり、
買って朝会社に行く前に、近くの公園で練習した。
これがなかなかむずかしかった。
まだ息子たちが2、3歳だった。
女房は冷ややかに見ていた。
それでも1ヶ月もすると、
2、3メートル乗れるようになった。
そのうち普通に乗れるようになった。
最近は乗ってないので、だめだろうな。
涼しくなったら、また乗ろうかな。

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成果主義

2001年07月26日 | 会社・仕事関係

私が以前勤めていた会社は、
成果主義をとりいれようとしていた。
私が退職する2年ぐらい前から、
経営者は、これは会社が発展する画期的な制度だと
鳴り物入りで目標管理制度を始め、
管理職の者に1年間の仕事の目標を立てさせた。
その目標をどれだけ達成したかによって、
次の年の賃金を決める、ということだった。
わが社も年俸制にすると浮き足立っていた。
私はそのときものすごく厭な気持ちだった。
「あんたたちに、おれの仕事の評価
 正しくできんのかよ」
という思いだった。
悔しかったので、その頃、
「目標管理制度」とか「成果主義」
に関した本を何冊も読んだ。
結局、成果主義を始める前に私は退職した。
同じ頃、社長が親会社からの命令でクビになった。
(でも、この社長はいい人でした。
 辞めるとき社長と話していたら、
 「次のところうまくいかなかったら戻ってこい」
 といってくれた。
 他の経営陣がよくなかった)
9ヶ月後に会社は消滅した。

7月21日の朝日新聞の
「私の視点 ウィークエンド」に
佐藤俊樹(東京大学大学院助教授)が、
<成果主義 無能な管理職が招いた挫折>という題で、
私が過去に考えていたことを書いていた。
「年功序列で昇進してきた上司に、
 部下を成果主義で正しく評価させようというのが、
 もともと無理な発想だったのである」

さて、成果主義はこれからどうなるのでしょうかね。

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私だけかな…

2001年07月25日 | パソコン・スマホ

今日の朝日新聞を読んでいて、
ええ…? と思った。
「ソフトバンクグループによるDSL(デジタル加入者線)
 ベンチャーの東京めたりっく通信…(略)」
私はこれまで、
「東京めたりっく通信」を
「東京めったくり通信」と読んでいた。
ずいぶん、ふざけた名前をつけた会社だな、
と思っていた。
でも、今の世の中だからいいのかな、
なんてかってに納得していた。
おのれの目を疑いもしないで。
お恥ずかしい話です。

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ひきぎわ

2001年07月24日 | 暮らし

私は、ひきぎわがわるい。
たいがい私は、飲み会など人が集まるとき、
最後までいる。
今年の正月の同窓会のときには、
5次会までいた。
先に帰るのが寂しいのです。
ばかです。
たいしていいこともないのに、
物欲しそうに、ずるずるいる。
こころが卑しいんですかね。

今日は、女房がフラメンコの練習なので家にいない。
会社の帰りに、息子たちの食べる弁当を買った。
自分のも買おうと悩んだが、
楽家に行こうと決め、買わなかった。
シャワーを浴び、家を出た。
7時10分ぐらいだったか。
Sさんがいた。
話したいこと沢山あるはずなのに、
なぜか話せない。
テレビでは、プロ野球のオールスターをやっていた。
その話題を話したり、映画のこと話したり、した。
こんど楽家のホームページを作ろうと思う、
なんてことも話した。
9時には帰ろうと決めていた。
そのうち九想話をよく見てくれる人が2人来た。
来て帰るのもなんだなと思い、
9時半までいることにした。
ところが9時過ぎに、Uさんが来た。
これまでいろいろご馳走になっている人だ。
「久しぶりですね」
と挨拶をして、10時には帰ろうと思った。
封を切ったばかりの焼酎が、
半分ぐらいになったとき、
Sさんが、マスターに会計を頼んでいた。
ああ…、いつも私はこれなんです。

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シントコのホームレス

2001年07月23日 | テレビ

今日、1週間ぶりに整形外科に行き、
マッサージをしてもらった。
私は“シャイ”なので、
マッサージを受けてるときには、
これまでほとんどマッサージをする人と、
あまり話はしなかった。
なかには、治療室全体に聞こえるような声で、
話をしているおじさんがいる。
話す話題がないこともあるが、
しみじみとマッサージを堪能したいということもある。

本日のマッサージ師は、女性だった。
30歳をちょっと出ているのかな。
いや、20代だったりして…。
ここのところ、この女性に揉まれることが多い。
間近で顔を点検すれば、
目鼻口が恵まれた形であるとか、
いい位置関係にあるとはいいがたいが、
少し離れた状態で相対すれば、
なかなか可愛い女性である、と思えなくもない。
ハキハキものをいう感じのひとで、
マッサージもうまく、私は、好きなんです。

「どうですか? Oさん。腰の調子は」
「相変わらずです。仕事が仕事なもんだから」
なんてことから、私は現在の仕事の内容を説明した。
3年前までいた会社ではディスクワークだったが、
その会社がなくなり、今の会社にきたら肉体労働です。
なんてことから、世の中倒産する会社が多いとか、
失業者の数が増えているなんていう話題になった。
「知ってます? 今、川越の職安の隣の公園には、
 ホームレスの住むダンボールの家があるんだだって」
私がいうと、
「へェーそうですか。航空公園にもいるそうですよ」
と彼女がいう。
(航空記念公園は、米軍基地が一部返還になって
 作られた公園です。
 所沢は日本で初めて飛行機が飛んだそうです。
 あれ、ちがったかな。こんど調べときます)
「それじゃ、所沢にもホームレスがいるんだ」
「シントコ(新所沢)にも1人いるの知ってます」
「ああ…、いるらしいね。この前見たよ。
 伸び放題の髪を頭の上にへんにゆわいて、
 裸足で歩いているひとだよね」
「そう、そのひと、そのひと。
 なんでも、飲み屋さんやっていたけど、
 客が入らず潰れちゃって、やけになって、
 それからホームレスやってんだって」
「ひとごとじゃないな。
 おれだって、いつそうなるか…」
「大丈夫ですよ。ハイ、終わりです」
ああ…、楽しい会話だったが、
マッサージを楽しみたかったな。

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釣瓶井戸

2001年07月22日 | Weblog

私の実家の井戸は、小学生の頃まで釣瓶だった。
井戸は家の入口(玄関なんて呼べない)から、
15メートルほど離れたところにあり、
水くみは大変な仕事でした。
台所には、流しの横のバケツに水が置いてあった。
アルマイトの柄杓がバケツに入れてあり、
それで水を飲んでいた。
お風呂に水を入れるのは重労働だった。
両手に水を入れたバケツをぶら下げて、
井戸とお風呂を何度も往復した。
これは子どもの仕事でした。

夏、畑でとってきたスイカを冷やすため、
釣瓶のバケツに入れて井戸に沈めておいた。
2、3時間して釣瓶を持ち上げると、
スイカがよく冷えていた。
うまかった。

私がまだ小学生の低学年の夏休み、
友だちと庭で遊んでいると、
小さな子を連れた女の乞食が、
母に井戸を貸してくれといった。
母が「いいよ」というと、
女の子を裸にして釣瓶で井戸の水をくみ、
その子の体を洗っていた。
それから自分も服を脱ぎ、
釣瓶の水を浴びていた。
あの背中から腰への線が美しかった。
子どもごころに、
きれいな体だな、と思った。

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眠りつづけの土曜日

2001年07月21日 | 暮らし

今日の土曜日、めずらしく休みだった。
久しぶりに、ラジオの「永六輔の土曜ワイド」が聴けると
楽しみにしていた。
私はいつも朝目が覚めると、
枕元のポケットラジオのスイッチを入れる。
しかし今日は、女房がいろいろ話しかけてきて、
その話を聞かないのもわるい気がして、
ラジオのスイッチを切った。
彼女の話は、9時頃スポーツジムに行くまで続いた。
もちろん朝食の用意や洗濯物を干しながらです。
そのあと、私はほとんど寝ていた。
ラジオはついているのだが、熟睡していた。
結局「土曜ワイド」はほとんど何も聴いていない。
お昼に起き出し、ビーシュを飲みながら
「オール讀物」を読む。
重松清の「ビタミンF」の短編を読む。

2時頃、女房が帰ってきた。
本も読んでいられないので、テレビをつけた。
テレビ番組表を見ると、
2時からBS1で「小学生のジャズバンド」と書いてあった。
鎌倉の「植木リトゥル・エコー」という
小学生のジャズバンドのドキュメンタリーだった。
けっしてうまいとはいえないが、
みな、それなりに管楽器を吹いていた。
何人かのバンドに入った理由を紹介し、
いい番組になっていた。
トロンボーンを吹いていた私としては、
やっぱり胸を熱くして観ていた。

女房は晩飯のカレーを作って、
池袋に友人と会うために4時前出かけた。
6月末、スタジオ・トゥリアーナでは
先生と生徒何人かがスペインに行って、
1週間、先生の先生だったひとのレッスンを受けた。
5月頃、女房も行く予定でいた。
会社を辞めたからいいチャンスだといっていたのに、
女房はスペインには行かなかった。
いろいろ理由をつけてたが、
我が家の経済を考えたのだろう。
スペインに行ったひとの話を聞きに行った。
ほんとうに、家にいないひとです。

私はまた、「オール讀物」を読む。
「ゲンコツ」「母帰る」を読み終えて、
重松清の「直木賞受賞インタビュー」を読む。
寝ッ転がって読んでいるので、
何度か眠っている。
寝てるのか、読書してるのが分からない。
午前中あれだけ寝ているのに、まだ眠い。
時計を見ると5時45分、
テレビをつけ大相撲を観る。
武蔵丸と魁皇戦だ。
私は、心情的に魁皇を応援した。
魁皇が勝ち、今場所の優勝力士になった。

勝目梓の「人助け」という短編を読む。
これを読んでるときはしっかり頭が覚醒している。
なにしろ、官能小説だ。
おれ、勝目梓のこの手の小説大好きなんです。
シャワーを浴び、
女房が用意してくれたつまみ類を出しビーシュを飲む。
野球のオールスターを観て、
あまりの点差にチャンネルを変える。
「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)を眺める。
秋田の人々がいい。
9時からNHKスペシャル「人生を奏でる家」を観る。
年老いた音楽家たちの住む高齢者施設です。
設立したのはヴェルディだそうだ。
過去には輝かしい音楽家だった人たちだが、
歳をとるとみな同じだなと思った。
しかし、誇れる過去を持ってるのは素晴らしい。
番組が終わらないうちに、また私は寝てしまった。
目が覚めると11時過ぎだった。
なんでこんなに眠れるのだろう。
パソコンのスイッチを入れる。九想話を書く時間だ。
あれを書こうか、これを書こうか、
悩みながら書き始めたら、
こんなだらだらしたものになってしまった。

女房が12時ちょっと前に帰ってきた。
「よかった。エレベーターが、
 各階停まりにならない時間に帰って来れて」
こっちは心配してるのに、脳天気なことをいっている。
「面白いんだよ。今日会ったひとね。
 スペインを去る飛行機の中で
 『さよならスペイン』っていったんだって。
 そしたら、窓際に坐っていたひとが、
 『私にはスペイン見えるけど、
 あなたは、翼しか見えないでしょう。翼にいったの?』
 といわれたんだって。
 でも、そういいたい気持ち分かるよね~」
女房もスペイン行きたかったんだろうな。

しょうもない私の1日に付き合わせてしまいまして、
申し訳ありませんでした。

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