パソコン入院中

1999年06月30日 | パソコン・スマホ

 おとといラオックスから会社に電話があった。
「メーカーから連絡がありました。マザーボードが壊れているので交換すると
いうことです。保証期間内なので無料です。しかし、ソフトをインストールす
るので、それに17,000円ほどかかるということです。よろしいですか」
 ということだった。
「インストールするのは、買ったときついてたメンテナンスCDーROMでで
きますよね」
「さあ……」
「できると思いますから、自分でやります」
「そうですか。では、そのようにメーカーにいっときます」
「素人が、メンテナンスCDーROMでできるかどうか、聞いておいて下さい。
夕方寄ります」
 電話を切って、なんか腑に落ちなかった。ハードディスクが壊れたんじゃな
いのなら、ソフトはそのままあるのではないか。私も、パソコンのこと詳しく
ないのでその辺のところ自信がない。
 会社から家に帰って(正確には、公団の自分の駐車場に車を停めてから)歩
いて5分ほどのラオックスに行った。
 入ってすぐの修理コーナーに行って、電話してくれたKさんを呼んでもらっ
た。
「メーカーのほうにはいっておきました。マザーボードの交換だけして返して
くれるそうです」
「私でもインストールできるんですよね」
「……なんとも」
「それきいてくれなかったんですか」
「………」
「ハードディスクが壊れたんじゃないんですよね」
「ハードディスクでしたら、保証は1年ですから保証はききません」
「ですから、ハードディスクではないんですよね」
「はい、マザーボード交換で無料です」
「だったら、ソフトなどはハードディスクに残ってるんじゃないですか。私も
それほどパソコンのこと知らないので、これは私の考えなのですが……」
「……なんでも、データーはもう残ってないということです」
「何でですか。ハードディスクは壊れてないんですよね」
「はい。マザーボード交換で無料ですから」
 神田祭と山社祭のときのデジカメのデータをFDに移してないので、だとし
たらもうあのときの写真はもう見られない。
 私は、Kさんという人と話していて、虚しくなった。私と同じか、もっと上
の歳の人だった。天下のラオックスの社員が、パソコンのこと分かっていない。
知らなかったら、客に答えられるように、パソコン売場の人などに確認してお
けばいい。
「どのぐらいで戻ってきますか」
「2、3週間で…」
「それは、修理に出したときの期間でしょ。もう、メーカーにものは行ってる
んじゃないですか」
「なにしろ、順番がありますから…」
「分かりました。戻ってきたら連絡して下さい」
 ああ、いやになる。私があの人の立場だったら、もっとうまく客を気持ちよ
く帰すのにな。
 今、少々不安です。マザーボードを交換されて帰ってくる我がパソコンを生
き返すことができるのか。
 それにしても、時間がかかるな。早く帰ってこい。愛しのパソコン。
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6月の九想話
6/2  息子が…
6/8  過去の遺物
6/10 KANASIMINO晩酌
6/12 おやじ3人 
6/30 パソコン入院中

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おやじ3人

1999年06月12日 | 会社・仕事関係

 昨日の夕方、6時半の待ち合わせ時間より少し早く所沢駅に着いた私は、西
友の4階にあるパソコンショップをひやかしてから、駅の西口に立った。
 Sが40分に来た。彼は、出荷担当をしている生産管理の一員だ。以前書い
たことあるが、大学生の頃、重量挙げの補欠選手として、ロサンゼルスオリン
ピックに行ったことがある。仕事はあまりできるほうではなく、これまで何度
かミスがあり、そのたびに私は迷惑を受けている。しかし、酒の好きな気のい
い奴だ。私より5歳年下で、憎めない男です。
 主役であるHがなかなか来ない。彼が、話があるというので、3人で飲もう
ということになったのだ。
 阪神が負けている。私はポケットラジオをイヤフォンで聴いていた。それを
Sにときどき報告する。
 西口の改札口の前は、大勢の待ち合わせの若者がひしめき合っている。私た
ちのようなおじさんは少ない。いてもスーツなど着ている。私とSは、ジーン
ズにサンダルだ。零細企業に勤めてると、こんなものだろう。
 7時10分、頭のかなり薄くなった私より3つ年下のHが、若者たちをくぐ
り抜けて現れた。彼は、スラックスにYシャツ、そして革靴だ。丸顔の中のち
っこい目が「私は人を騙せません」といっている。
 駅前の商店街のプロぺ通りを3人が行く。シルバーの、ライオンのたてがみ
のような頭の超ミニスカとぶつかりそうになる。なんであいつらは、同じ様な
センスのないメイクをしているのか。そう感じる私が、オジンなのか。息子た
ちがあんな女連れてきたら、ひっぱたいてやろう。
 最初に行った居酒屋も、次の炉端焼きも満員で入れなかった。3つめの居酒
屋は、3人とも「ちょっとここは…」という思いなのだが、席が空いていたの
でそのまま坐った。
「Hさん、話ってなんだよ」
 Sが、注文した生ビールがまだこないうちに大きな声でいう。まわりの席の
客は、みな盛り上がっていた。普通の声ではよく聞こえない。
「やっぱり、話すのよそうかな。まだ、早いもんな」
「何いってんだよ。話があるからっていうんで、Oさんにも来てもらったの
に」
 私はある程度、Hがいう話の想像がついていた。それはそれとして、斜め向
こうの席の女の子たちが可愛いな、と思いながら煙草に火をつけた。
 生ビールがきた。乾杯。何に…。
「2人とも口が軽いからな。まずいよ」
「誰が、そんなことねェって」
 Sが食い下がる。
 私は、どうせHはいうに決まってる、と思っていた。独身の彼は、私たちに
いわなければ、おそらくHの話を聞く人はいないんだ。
 たのんだミニ餃子、刺身の盛り合わせ、枝豆などがきた。
「阪神、負けてんのかな」
 私は意識して、彼の話から縁のない話題を出した。斜め向こうの席の女の子
たちは、煙草は吸うし、ビールをガンガン飲んでる。
「じゃ、いおうか」
 ビールを飲み干し、テーブルにガツンと中ジョッキをHは置いた。
「Hさん、早くいえよ。おねえさん、生中2つだ」
 空にしたジョッキを空中で左右に揺らして、Sが叫ぶ。
 私もジョッキを空け、冷酒をたのんだ。
「おれ、クビだってよ」
「え、ホントかよ」
 Sが、いう。私は、声が出なかった。Hが会社を辞めるだろう、とは想像し
てたが、辞めさせられるとは考えてもいなかった。
「今週の月曜日、次長にいわれたよ、辞めてくれないか、と」
「それでHさん、どう答えたの」
「いいですよ、っていったよ。しょうがないよな」
 1ヶ月前ほどに、製造部のある班長が「Hさんは仕事が遅くって使えない」
といってるのを聞いたことがある。確かに、Hさんは仕事が遅そうだ。ここに
来る前には、業界新聞の記者をしていた彼だ。どうみても製造会社で働くとい
う感じはしない。そういう意味では、私もそうだ。私が製造部にいたら同じこ
とをいわれるだろう。パソコンを拝んでいるから、なんとか会社にいられる私
だ。しかし、7月からは、その立場ではなくなる。ということは、私もいつか
肩を叩かれるということか。
「ひどい会社だな」
 Sがいう。
「そんなもんだよ、会社なんて。Oさんも、Sさんも覚悟しといたほうがい
いよ」
 そうさらりというHの無念さが、私は分かる。そういうほかないんだ。泣き
言いっても、誰も助けてはくれない。この半年、車が売れなくて受注が減少し
ている。会社は、昨年から2人、正社員をクビにしているのだ。人件費を減ら
すことだけがリストラとは思わないが、まともな会社経営をできない上の奴ら
は、社員をクビにすることだけを“リストラ”と考え違いしている。
 Hは、2年前に今の会社に入社した。その前は業界新聞を発行している会社
にいて、次長という立場だった。彼は、酔うとよくその名刺を私たちに見せて
くれる。その会社でも、リストラで退職させられたらしい。
 それから私たちは、工場長、次長、製造課長をこき下ろし、何人かの社員の
噂話で景気つけた。
「歌でもうたァか」
 今日は早く帰る、といってたSがいい、私たちは立ち上がった。Sと何度か
行った、東口のはずれにあるスナックに行くことにした。
「さびしくなるな、Hさんがいなくなると」
 Sはそればっかりいっていた。私だってまったく同じ気持ちだ。
 とりとめないことを話ながら歩いていた我々は、なかなか目指すスナックに
たどり着けなかった。Sは「へんだ、おかしいな」とクビを傾げてばかりだ。
私もこのへんに間違いないと思って歩いていたが、あのスナックがない。もう
一度駅に戻り、半年前にSと行ったことを思い出しながら歩いたが見つからな
かった。アルコールより、Hの話でSも私も酔っぱらっちゃったのかもしれな
い。
 2回目も、歩いてる街並みがまったく違う。どうしてなんだ。
「しょうがない、もう1度駅に戻ってみよう」
 Sが、どこか信じられないというような顔していた。
 私も、途方に暮れた。

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KANASIMINO晩酌

1999年06月10日 | 家族

 昨日、めずらしく晩飯のときにいたKに、
「Kも飲むか」
 というと、
「発泡酒はまずいからいい」
 といいやがった。
 おれだって、ビールが飲みたい。

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過去の遺物

1999年06月08日 | Weblog

 今日、会社から帰ってきて、無性に日記が読みたくなり、屋根裏部屋にあが
り日記を探した。
 そこは窓のないところで、背も立たない低い天井の部屋です。手前には冬物
の衣類が入った衣装ケースが6、7個あり、それをどかすことを考えると、一
瞬気がひるんだ。それでも、日記を読みたい気持ちが強かったので、1個1個
衣装ケース、本の入った段ボール箱5、6個をどかして、やっと目当ての日記
の入っているプラスチックの箱を探し当てた。Tシャツが汗でびっしょりにな
った。
 中学生からの日記7、8冊、育児日記7冊、小説を書くためのノート2、3
冊、絵を描いてた頃のスケッチブック1冊、詩を書いたノート数冊、昔仲間と
作った同人雑誌があった。みんな恥ずかしいものです。
 さっきまで1976年から1980年までのを読んでいた。
 私が22歳から26歳までの4年間だ。20歳前後バカなことを一緒にやった友人
の死から、女房と所帯を持った頃のことが、ムキになって書いてあった。
 しかし、私の記憶というものはいいかげんですね。思い違いしてることのな
んと多いことか。忘れていた女性のことが2、3人書いてありました。私の日
記は、ほとんどが女のことしか書いてないことに愕然とした。
 なんといっても、読みながら赤面させられたことは「小説を書くんだ」「お
れは小説を書かなければならない」ということをしょっちゅう書いていること
です。「だったら書けばいいじゃないか」と、思わず私は、人ごとのように、
それらを読みながら突っ込みを入れてしまいました。

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息子が…

1999年06月02日 | パソコン・スマホ

 これまでパソコン通信、インターネットなるものにまったく興味をしめさな
かったUが、明日、教授にメールを出さなければならないという。
 UのIDはある。これまで、毎月使わないのに500円取られているのはつ
まらないから家族会員からはずそうと思っていた。はずさなくてよかった。
 Uのパソコンは、私が以前使っていたものだ。おそらく全然使ってない。私
のこのパソコンでメールを送るという。
 ここで問題がある。UのIDで送れるように設定しなければならない。今日
は眠いので寝る。明日できるかな。
 以前、女房が前の会社の人にメールを送ったとき、私のIDで行ってしまっ
た。その人からそれ以来、私のID宛に女房へのメールが来る。その人が男性
なので、なんか気まずい。
 Outlookのこと、いまいち理解してない私です。

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