>中居正広「ジャニーズに残っていればよかった」芸能界引退危機で漏らした“衝撃のボヤき”
(女性自身)
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中居くんは、今どんな気持ちで暮らしているのだろう。
おそらく私が思うには、もう芸能界復帰は無理でしょう。
彼は今52歳のようだ。
私が20年前の52歳のときは、何をしていたのか。
2004年2月1日九想話「仕事のこと」
私は51歳の6月で、そのとき勤めていた会社が閉鎖になった。
旭硝子の子会社で、ホンダ車のウィンドウガラスの加工をしてホンダに納めていた。
そこで生産管理の仕事をしていた。
毎日、ホンダから要求してくるウィンドウガラスを、
決められた時間に決められた枚数をホンダ狭山工場に納めていた。
私は45歳のときに半導体製造機器の業界にいたが、
親会社の三菱商事が売り上げの落ちた私のいた会社を売却し、そして会社は消滅した。
なんとか旭硝子の子会社に転職したのに、51歳のときにまた会社が消えた。
そのあと私は縁があって、知的障害者の成人が働く作業所で仕事をすることになった。
所沢市場の隅にあった作業所で、毎日作業所で働く15人の人たちと野菜の梱包をしていた。
そのようなところなので、給料は安かった。
それまでの会社にいたときのようにはもらえなかった。
私の息子たちは、私が51歳のときに大学を卒業して社会人になったので、なんとか生活はできた。
知的障害者の人たちに、スーパーで販売する野菜の梱包をしてもらうのは難しかった。
朝8時に、所沢駅にワゴン車を停め作業者を乗せて作業所に運ぶ。
それからスーパーの仕様書にそって野菜を梱包した。
じゃがいも、にんじん、キュウリ、だいこん、ごぼう、さつまいも、椎茸、みかん、その他。
スーパーからの注文が多いときには、8時ぐらいまで残業をした(残業代はなし)。
それから作業者を駅まで送って、作業所に戻ってから家に帰った。
毎日肉体労働の連続だった。
それでも彼らと仕事をすることは楽しかった。
そんな暮らしをしていた52歳の私だった。