この4月からNHK連続テレビ小説「半分、青い。」を観ている。
このドラマは面白い。
今日、鈴愛(すずめ)は、バスのターミナルで家族・友人たちに見送られて東京へ旅立った。
それを観ていて、私が高校を卒業してギター工房に弟子入りのために、
ふるさとの駅を出たときのことを思い出した。
あの日、岩瀬駅には吹奏楽部の同級生と後輩たちが10人以上集まってくれた。
駅前で、みんなから激励の言葉をもらった。
「部長、日本一のギターづくりになって下さい」
私は、父親と列車に乗り、窓ガラスの向こうで手を振って
叫んでいる仲間たちを見ながら、泣いていた。
父が、中出ギター製作所まで一緒に行ってくれた。
父としては、親方に挨拶をしておきたかったようです。
そんなふうにしてギター工房に弟子入りした私ですが、
ほぼ2ヶ月で逃げるようにして茨城に戻ってしまった。
あぁ、みっともない。
私の社会人への旅立ちは、こんなかっこわるい情けないものでした。
そのときから私は、社会の底辺をはいつくばって生きてきました。
何をまちがったのでしょうか?
もう少し、ましな人生を生きたかったです。
ラジオなどの交通情報を聴いていると、必ず高坂サービスエリアのことはいう。
なんとなくうちからは少し遠いところかな、と思っていた。
ところが、女房がスマホで調べたら意外と近くであることが分かった。
それで連休最後の5月6日に車で行ってみた。
高速道路からではありません。
一般道で高坂サービスエリアの近くまで行って、
そこにある駐車場に車を停めて、歩いて行ったのです。
なんか関越自動車道に乗らずに、高坂サービスエリアにいることが不思議でした。
以前、私の姉たち(次女と三女)が観光バスで旅行に行って、
バスが高坂サービスエリアによったときに、偶然に長女と出会ったそうだ。
このエピソードは、現在でも姉たちはうれしそうに話します。
100分de名著 神谷美恵子「生きがいについて」第1回「生きがいとは何か」を観た。
【講師】批評家…若松英輔,【司会】伊集院光,島津有理子,【朗読】美村里江,【語り】徳田章
ちゃんと観ていたつもりだったが、よく覚えていません(スミマセン)。
「生きがい」と「生きがい感」のことを話していた。
今ここに書こうとしましたが、書けません。
NHKの「100分de名著」のホームページを見ても書いてありません。
できるならこれから番組を思い出し、丁寧に九想話に書きたいのですが、
明日の仕事のことを思うとそれができません。
もう私は寝ないと、明日の仕事がちゃんとできないでしょう。
忸怩たる思いで、今夜は寝ます。
スミマセン
ただいえることは、「九想話」を毎日書くことは“それにちかい”ことになっております。
今日、5月6日は、私の友人の息子さんが結婚式を挙げ、もうひとりの友人の娘さんの結納の日でした。
とってもおめでたい日になりました。
若いひとの未来が広がることは、うれしいです。
3月ぐらいから女房と、GWにはどこかに行こう、と話し合っていた。
最近までは「鎌倉あたりがいいかな?」なんてあのひとはいっていた。
私の気持ちとしてはどこでもよかった。
鎌倉には行きたかった。
21歳のころ、男の友人と何度か行ったことがあった。
しかし女房が直前になって、
「鎌倉じゃなくて羽田空港に行こうか」といってきた。
それで昨日5月5日は、羽田空港に行くことになった。
朝7時半ごろ家を出て、まず池袋まで行った。
池袋駅からりんかい線で大崎まで行き、山手線に乗り換えて浜松町駅まで行った。
そこからモノレールで羽田空港まで行った。
品川駅から京急もあるが、女房がモノレールを乗りたいといった。
モノレールに乗って、何も知らないまま終点の羽田空港第2ビル駅まで行った。
第2ビルからは全日空の飛行機が飛ぶんですね。
羽田空港のことを何も知らない私たちは、ちょっとしたことを知ったことでうれしかった。
第2ビル駅から第1ビル駅に行きたいと考えたが分からない。
女房が警備員に聞くと、無料バスがあるという。
女房と私は、無料のバスに乗り羽田空港第1ビル駅に行った。
そこは日本航空の飛行機が出るところだった。
第1ビル駅から国際線駅ビルに無料バスで行った。
そこの展望台のベンチで私は少し眠った。
私は30代のときに、そのとき勤めていた会社の慰安旅行で八丈島に行ったことがある。
そのときに羽田空港からYS-11の飛行機で行ったのですが、まったく記憶に残っていない。
51歳のときに熊本に仕事で行ったときも、羽田から飛行機で行ったのですが、覚えていない。
羽田空港の施設はキレイで感動した。
もう私は、おそらく飛行機には乗らないので羽田空港には行かないと思う。
女房とそんなことを話ながら羽田空港を散歩した。
空港を12時ごろ出て、有楽町駅に行った。
前日テレビで、「ジャパンフードパークin日比谷公園」のことを知り、それに行こうと思ったのです。
途中、有楽町の通りでシロフォンのバンドが演奏していた。
日比谷公園の松の木の上に、サギのような鳥が置物のようにじっとしていた。
そのうしろに、東京ミッドタウン日比谷(先日行った)がそびえていた。
サギがよく見えませんね。
お腹が空いていたが、私たちは人の多さにびっくりして早々に日比谷公園をあとにした。
それから東京メトロの有楽町線に乗り、池袋駅に行った。
東武デパートで北海道物産展をやっていたのです。
しかし、そこも人がいっぱいで身動きできない状態で食べることを諦めました。
結局、午後3時ごろ池袋駅の地下の立ち食いそば屋で、肉おろし蕎麦(460円)を食べた。
貧乏人の女房と私の食べるものはこんなものです。
でも、なかなか美味かったですよ。
この日がゴールデンウィークの中での一番の私たちのイベントでした。
明日からまた一所懸命働きます。
淡路島の友から、玉葱が宅急便で送られて来た。
彼とは、20代からのつきあいです。
私が、板橋にあった電気設備やガス制御装置の会社の資材購買の仕事をしていて、
友人は、新宿にあった半導体などの販売会社の営業をしていた。
それで週に2回ほど営業にくる彼と会っていた。
そして現在までつきあっている。
彼は、40ぐらいまで東京の会社で働いていた。
埼玉にマンションも買った。
でも、生まれた淡路島に帰った。
奥さんも淡路島のひとでした。
私が51歳のときに、淡路島に遊びに行った。
ハモ料理のコースなど食べ楽しい時間を過ごした。
こうして今日まで彼とつきあってこられたことがうれしいです。
また淡路島に遊びにいきたい。
女房がオニオンステーキを作ってくれた。
うまかった。
美味しい新玉葱を食べて、友人とのこれまでのつきあいのことや人生を考えました。
ここには書けませんが、いろいろなことがありました。
人生って・・・。
女房が、会社の友人から、ご主人が種から育てたオクラと大葉の苗をいただいてきた。
右の写真の右のほうのジャガイモは13コの種イモをうめたが、3つしか育っていない。
なので芽が出ないところに、家で食べようと買ってきたジャガイモにものすごく芽が出ていたので、それをまくことした。
日曜日にジャガイモをまいた。
オクラと大葉を植えて、もう私の家の畑の場所がなくなった。
あとは野菜たちの成長を見ていくことが幸せです。
九想庵のバラが今年はものすごく咲いています。
バラの手入れなどをしているときに、道路を犬を連れて歩いていた女性に「キレイにバラが咲いてますね」といわれた。
そんなことがとてもうれしいです。
今日、1週間ぶりに仕事をしてきた。
朝、出勤することが辛かった。
ボイラーという危険なものを扱う仕事なのです。
きちんとした手順を間違えたら大変なことになる。
長野県佐久市の施設でボイラーを7年扱ってきたが、それの規模が違う。
毎日やっているのなら慣れられるが、現在は2・3日やっては1週間休みです。
これが不安です。
教えられたことをノートに記録して、それを見ながら実行しているが、不安です。
ボイラー以外の仕事もなかなか覚えられない。
大学・病院の各部屋・教室・病室・施設を小さいパソコンを持って、
温度や電圧などを記録して歩く作業がある。
この順序がまだよく覚えていない。
覚えても1週間たつと頭から消えてしまう。
こんなことを繰り返してそのうち覚えていくのでしょうが、今は不安です。
今日は、空き時間に大学の屋上の清掃をした。
木々の花粉や枯葉などがドレンをふさいでいるのを除去するためです。
広くてまいりました。
鉄腕DASH! 番組投稿欄に視聴者から存続願う声殺到…これからもずっと続けて
私もむかし、「鉄腕ダッシュ」を観ていた。
地元の農家のひとに教えられて、TOKIOのメンバーがいろいろな畑でつくった野菜を見せてくれた。
こんな番組が続けばいいと思う。