◎油断なく
相国寺の有馬頼底氏が雲水として修行中であったとき、同じく修行に励んでいたあるドイツの老婦人に、禅を修行して何が一番印象に残ったかを聞いてみた。すると老婦人は、「それは食事です。僧堂の生活をとおして、食事の時の清新な印象を忘れられない。質、量ともに素朴な料理であることが嬉しかった。それにもまして、黙々として給仕する僧の厳しいキビキビした流れるような端正な所作が良い。実に合理的な作法に接して、現代の世界中のどのような食事からも得られないような清潔感と、そして厳粛な充足感がそこにあることを知った。」と答えている。
もとより、禅堂は、厨房であっても、真剣勝負の場。一挙手一投足も、注意深く真剣におかなければならない。禅堂の食事作法は、赴粥飯法などの清規にのっとって行われる。懐石料理は、千利休に至って、茶懐石と呼ばれるが、その精神は、禅堂での食事作法に異ならなかったはずで、求道の一端としてあったはずである。
最近は豪華絢爛、山海の珍味をとりまぜたコース料理のことを茶懐石と称するようで、求道の精神の片鱗も失われてしまっている。食事中のおしゃべりは、だめ。食器などで余計な音を出してもいけない。ということがまず守られなければいけない。
ただし千利休が、集中的冥想セッションの場での食事作法、喫茶作法を当時の大名などの上流人士に広めたことの狙いが、果たして仏道を広めることであったかどうか怪しいところがあるようには思う。禅の専門道場は、修道院と同様に相当精神的に煮詰まった者のみが集まって生活するところ。作法に則った食事と喫茶で、そうした場所の雰囲気に触れることはできても、そこで生活、求道しなければ、何も起こらないのである。そこに怪訝な印象を持ってしまう。
中国の唐の時代に雪峰という禅僧が、師匠の洞山(曹洞の洞の字はこの洞山から来た)のところで飯炊き係をやっていた。ある日雪峰が、米の中の砂を選り分けていると、そこへ洞山がやってきて、「砂を選り去って米か?米をより去って砂か?」と問うた。雪峰は、「砂と米を一緒により去るのです」と答えた。
すると洞山は、「それでは、皆さんは何を食べるのか。」と追い打ちの質問をする。すると。雪峰は持っていた盆をひっくり返したのである。
これを見た洞山は「お前は、以後別の師につくだろう」と言った。
この問答は、洞山が、「迷いを除いて悟りを得るのか、それとも迷いと悟りの中から悟りだけを選別しようとするのか」という質問に対し、雪峰が、「悟りも迷いも一緒に捨てるのである」と盆をひっくり返したものである。
このように雪峰は、目の前の調理の仕事ですら一心に気迫をこめてしていたから、油断することなく、洞山のひっかけ質問にだまされなかったわけである。米盆をひっくり返しても、人生の重大事に比べれば何のそのという覚悟もある。
雪峰は、他人の粗末にする残り物を集めて、これを煮て食べたという徹底ぶりであった。