らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

トルコ旅行(その14)イスタンブール(ボスポラス海峡クルーズ)

2009-05-05 | 旅行

今日はボスポラス海峡から見たイスタンブールの町をご紹介します。

ボスポラス海峡沿いには、オスマン帝国がコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)征服の足がかりとして築いた要塞や、ドルマバフチェ宮殿などのオスマン帝国の離宮や高官の別荘など、歴史的建造物が建ち並んでおり、外国人観光客に人気の高いクルージングです。

・ガラタ橋です。
 金角湾に架かる橋で、1845年に木製の橋がかかったのが初代です。
 2代目は1912年に2階建ての跳ね橋としてその美しさを誇っていました。
 現在はイスタンブールのシンボルとして市民に親しまれている橋となっているようです。休日は釣り人たちであふれるようです。


・海上から見た新市街(ヨーロッパ側)です。


・第1ボスポラス大橋(ボアズィチ橋)
 トルコ共和国の建国50周年を記念して、1973年にイギリスの建設会社によって建設されました。橋の長さ1560m(中央支柱間1074m)です。
 日本では瀬戸大橋や明石海峡大橋など美しい橋がたくさんありますが、トルコではその美しさから人気のある橋のようです。


・ドルマバフチェ宮殿(別名、水の宮殿と呼ばれています)
 31代目のスルタン、アブヂュルメジトが、1843年から10年以上の歳月をかけて、それまでの木造宮殿を現在のものに建て直したそうです。
 大理石を用いた壮麗な建築物で、海上からもその美しさが目を引きます。 
 近代トルコを築いたアタチュルクも官邸としていましたが、1938年11月に執務中にここで亡くなったそうです。


・ドルマパフチェ・ジャミイ
 ドルマバフチェ宮殿の横にあるモスクです。


・チュラーンパラス宮殿(現在は豪華ホテルです)
 1874年、第32代スルタン・アブジュルアジズ1世の命で建築されました。
 壮麗な大理石造りの宮殿は1909年議事堂として使われていましたが、僅か2ヶ月余り後に火災で焼失しました。
 暫く廃墟の姿を晒していましたが、1990年に豪華ホテルとして生まれ変わりました。


・オルタキョイ・ジャミイ
 アブドゥル・メジト1世がアルメニア出身の建築家バラヤンに命じて1854年~1855年にかけて建てさせたモスクです。


・ルメリ・ヒサル(ヨーロッパ側)
 ヒサルとは要塞のことで、皇帝メフメット2世がイスタンブール攻略のために築いたそうです。
 この要塞は1452年、千人の棟梁と2000人の土木工事人を使って4ヶ月という記録的な速さで完成させたと言われています。
 現在はきれいに整備され、心地よい散歩道となっています。


・アナドル・ヒサル(アジア側の要塞)
 メフメット2世の祖父帝バヤジット1世が1391年に築いた要塞で、海峡を通過する敵方の戦艦を大砲で沈没させるのが目的だったようです。
 現在は、付近に別荘が建ち並び、その面影は殆ど残っていません。


・第2ボスポラス大橋です。(ファーティフ・スルタン・メフメット大橋)
 616億円の円借款により、1988年日本の石川島播磨重工が建設した橋で、橋長は1510mあります。



明日はルステムパシャ・モスク他をご紹介します。