徳川家康の家臣で本多作左衛門重次をご存知でしょうか?
本多作左衛門重次は岡崎三奉行の一人ですが、短気で頑固な性格のため周りから「鬼作左」と恐れられた人物です。
今日は、この鬼作左が陣中から妻に宛てた「日本一短い手紙」について調べて見ました。
皆さんは「一筆啓上」という言葉,をお聞きになったことがありますよね。
「一筆啓上」とは、広辞苑では、筆を執って書いて申し上げるの意。また、用事だけ一筆書くの意味としており、男子の書状の冒頭に用いる語となっています。
「日本一短い手紙(一筆啓上)の由来」
この「一筆啓上」は、冒頭に書いた徳川家康の家臣の本多作左衛門重次が1575年(天正3年)の長篠の戦の陣中から、留守を守っている妻に宛てて書いた手紙で、次の文面となっています。
「一筆啓上 火の用心、お仙泣かすな 馬肥やせ」
この手紙は、「一筆申し上げます。火の用心をし、子供を大切に育てて欲しい。また馬に飼い葉をやって、馬を磨いてくれ」との内容で、「日本一短い手紙」で且つ、簡潔にして要を得た書簡として、現在でも実用手紙の模範とされている有名なものです。
当時の武将にとって馬は一番大事な戦具の一つであり、わしの出陣中は妻のお前が必ず留守を大切に守れといっているものです。
また、このお仙とは、本多重次の息子・仙千代で、後の初代丸岡藩主・本多成重のことを指しています。
家を思い、子を愛し、主君に尽くす本多重次の心が見事に表現されている内容となっており、丸岡城にはその石碑が建てられています。
・丸岡城にある「一筆啓上」の石碑です。 (丸岡町HPより)
仙千代(お仙)はその後、大阪冬の陣、夏の陣に、福井藩主忠直の下にあって軍功をたて丸岡藩5万石の藩主となったそうです。
丸岡町は福井県の北部に位置する城下町で、丸岡城の二重三階の望楼型天守閣は現存するものの中では日本最古といわれているそうです。
・日本最古の天守閣と言われている丸岡城です。 (丸岡町HPより)
丸岡町では「一筆啓上」の発信地として毎年、「日本一短い手紙」の募集と授賞式を行っています。
今年(第6回)の「新一筆啓上賞」の大賞5点が発表されていますのでご紹介します。
「大賞」
・岩手県の岩淵正力が24年前に交通事故でなくした奥さんへの思いをつづったものだそうです。
「時々お前の夢を見る。子供たちにも出てやってくれ」
・福島市の横山ひろこさんが中学2年になった自閉症の息子にあてた母の切なさが「DREAM(夢)」と語呂合わせされている文面となっています。
「Dデビュー14年目、R理解も、E遠慮もなく、A明日だって、M無我夢中の母に目もくれず君は」
・福山市の中学2年生内田春佳さんの作品
「(虹へ)背中の上、失礼します」
・浜松市の高校2年生伊藤舞香さんの作品
「(妹へ)昔、妹が『キリンになりたい』と言っていた。私はそんな妹を応援している」
・福井市の小学2年生手賀梨々子さんの作品
「(夢の国の友達へ)いつも、あそんでいるとちゅうでバイバイ。ごめんね。朝、ママがおこしにきちゃうんだ」