熊野古道を歩くシリーズの3回目は「清姫の墓」をご紹介します。
住吉神社から5㎞ほど進むと「清姫の墓」があります。
この間の古道は富田川に沿っており、崖の上の危険な個所や、山の中腹まで上る急な坂道、更に山崩れによると見られる石ころ道、狭い道などが続き、約800年前に後鳥羽上皇一行が本当にこの道を通ったのかと思われる程でした。
・梅畑の横の狭い古道が山に入って続いています。
・昨年の紀伊半島豪雨で崩れたと思われる古道には、木材で急ごしらえの渡し橋が造られていました。
この辺りは富田川から20~30mの高さを通っている狭い道です。
この場所にオオウナギ棲息(せいそく)地域指定境界の立て札が立ててありました。
それによれば、オオウナギは熱帯性のウナギで富田川は北限の棲息地と言われ、鮎川付近で1.7m、重さ28kgのオオウナギが保護された事があると書かれていました。
・古道はこの付近から急な上り坂になります。
「清姫の墓」
道成寺悲恋物語でお馴染みの清姫の墓がありました。
ここ中辺路町の「真砂の里」は清姫誕生の地と云われ、町内には、清姫にまつわるたくさんの遺跡があるそうです。
この森の下には清姫が水垢離をとったという「清姫渕」、その時、衣を掛けた「衣掛松」、安珍の帰りを待った「清姫のぞき橋」、水鏡にした「鏡岩」、蛇となってその幹をねじた「捻じ木の杉」などがあります。
「清姫の里伝説」
清姫の父真砂の荘司 藤原清重はある朝散歩の途中黒蛇に呑まれている白蛇を見て憐れに思い助けました。
数日後、白装束の女遍路(白蛇の化身)が宿を乞い、そのまま清重と夫婦の契りを結び、清姫が誕生した。
清姫は、清楚な娘で、男たちのあこがれの的でした。
縁談は降るようにあったが、13歳の年、毎年熊野詣でをする奥州(現:福島県)白河の安珍(16歳)に、妻にすると密かにいわれ、,清姫もその気になった。
ある夜、安珍は障子にうつる影から、清姫が蛇の化身である事を知り恐れます。
清姫は、安珍がそのような思いを抱いているとは知らず思いつめ、我が胸のうちを安珍に語り、早く奥州へ連れていって欲しいと頼みますが、安珍はびっくりし、申し入れを避けようと熊野参詣の途中なので、帰りには必ず迎えに来るとその場限りの言い訳をし逃げました。
清姫はその真意を知らず、下向する安珍の迎えを待ちわびたが、あまりにも遅いので旅人にたずねたところ、旅人は、その僧ならもう12、3町も過ぎているだろう、と答えました。
清姫は約束を破られたうえ、道を変え避けて逃げられたのだと察し、あまりの悔しさに道に伏して泣き叫けび、やがて気を取り直した清姫は、潮見峠まで後を追い、杉の大木によじ登り、田辺の会津橋を渡る安珍の姿を見つけます。
清姫は、安珍の逃げゆく様を見て叶わぬ思いと悟り、この世で添えぬものなら死んで思いを遂げんと、荘司ヶ渕に身を投げました。
その一念が怨霊となり、道成寺まで蛇となって後を追い、鐘に隠れた安珍を七巻半して炎で包み焼死させ、思いを遂げたのです。
安珍と清姫の悲恋伝説は、「道成寺物語」として世に広まりました。
・清姫堂です。
「薬師堂」
清姫の墓の隣には薬師堂が建っています。
耳の病に霊験のある薬師さんだそうで、耳の病をもつ人が祈願して完治したときに供える「耳石」という穴のあいた石がたくさん吊り下げられています。