今日は地元の重要文化財「来迎寺(らいごうじ)」をご紹介します。
来迎寺の旧本堂は、鎌倉時代の建築様式を持つ小堂で、昭和24年(1949)、国の重要文化財の指定をうけており、毎年11月3日の午後にだけ御開帳があります。
・来迎寺の山門です。
「新本堂」
寺伝によれば、もと天台宗であったものが、後に真言宗となり、元禄2年(1689年)に曹洞宗梅渓寺の末寺になったと言われています。
本堂は嘉歴4年(1329年)正月、沙弥随善、沙弥妙法、宗平四郎、同三郎行貞、紀光女などが建立したと伝えられています。
南北朝の頃に、後醍醐天皇が紀州粉河寺へ行幸の際に、城主が雨山城にお迎えし、宿舎にしたとも伝え、後年に至り雨山城より現在の位置に移築したとの説があるが明らかではないようです。
・現在の本堂です。
「旧本堂」
寺の創建・沿革などは不明ですが、瓦の端部を細くし、1枚ずつずらすように葺き上げる行基葺が特徴です。
このお寺は、元は雨山城(注)にあり、城主・橋本正高が八木龍王殿と称して朝夕に武運長久、繁栄安泰の祈願堂としていたそうです。
・日本三建築の一つとして国宝に指定されていましたが、現在は国の重要文化財となっています。
「ご本尊」
阿弥陀如来座像を本尊とする来迎寺は、鎌倉時代の特徴を示した三間四方(約30㎡)の小堂で、屋根は寄せ棟造り、行基葺、内部天井の四隅の梁が海老虹梁(えびこうりょう)という珍しい構造となっています。
・ご本尊の阿弥陀如来座像です。(ネットより)
「行基葺」
これが来迎寺の行基葺の屋根です。
行基葺きとは、丸瓦の下方が末広がりとなったものを用い、下方に置く丸瓦の細いほうを覆うように順々に重ねて葺いたもので、法隆寺金堂の玉虫厨子(たまむしのずし)の屋根にみられます。
「行基葺と本瓦葺の違い」
「海老虹梁(えびこうりょう)」
天井四隅の梁は海老虹梁(えびこうりょう)という珍しい建築様式になっています。
海老虹梁とは、エビのように湾曲した虹梁で、側柱と本柱など、高低差のある所に用いられる唐様建築の特色の一つです。
なお、虹梁とは、社寺建築でにおける梁の一種で、虹のようにやや弓なりにまがっているものです。
・旧本堂内部の天井に用いられている海老虹梁です(ネットより)
「鬼瓦」
応永31年(1424年)の銘がある鬼瓦で、現在は下ろされて保存されているようですが、一般公開はされていません。
現在使用されている大棟の鬼瓦には「享保戊戌(つちのえいぬ)三月吉日、佐野小川九右衛門尉」、棟冠瓦には「天明二年壬寅(みずのえとら)四月日佐野小河権吉」とヘラ書きされているそうです。
・応永31年(1424年)の銘がある鬼瓦です(資料より)
(注)
雨山城は、熊取町の南端に位置する雨山(314m)にあり、雨乞いの山として山頂には雨山龍王社がある山城です。
南北朝の時代(1346年)、楠木一族の橋本正高が築いたとされ、南朝方の和泉地方の拠点とされていました。