らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大和魂

2014-08-02 | 時事

先月30日に大相撲の番付編成会議が行われ、関脇豪栄道が大関に推挙されました。
豪栄道は伝達式の口上で「謹んでお受けいたします。これからも大和魂を貫いて参ります」と述べています。
その後の記者会見で、大和魂について質問を受けた豪栄道は「日本人の我慢強さ、潔さなど」と説明していました。

そこで今日は「本来の大和魂」とは何か?」 について調べてみることにしました。

大和魂とは、広辞苑によれば、『漢才(かんざい)、即ち、学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。』と説明しています。
元々は平安時代の「もののあわれ」を歌った四季を愛する女心で あったようで、四季折々の大自然を受けとめ、明るく、清清しく自然と調和している生き方を示し、寛容で大いなる和(調和)の精神が「大和魂」だったようです。

そして、心穏やかな和の心で相手を上下関係で見ることなく、お互いに和するにはどう すればいいかを感じ合い、支え合って生きていくための学びあう精神で もあったようです。
漢学に代表される外来の知識人的な才芸に対して、日本古来から伝わる 伝統、生活の中の活きた知恵、教養のすばらしさを強調しただったようです。

文献のうえで大和魂が登場するのは《源氏物語》乙女の巻です。
光源氏は12歳になった長男の夕霧に元服の式をあげさせ、六位の地位しか与えず大学へ入れます。
その際、「才(ざえ)を本(もと)としてこそ大和魂の世に用ひらるる方(かた)も、強う侍らめ」と述べています。

天皇や周囲は四位ぐらいの位階が与えられるのだろう思っていたところ、父の光源氏は息子を六位とし、大学に入れてしまいますが、その理由を、「高貴な家の子として官位も思うままで、栄華の中で贅沢に馴れてしまうと、学問などで身を苦しめることは自分とは縁遠い気持ちになるようです。(略)
やはり学問を基礎にしてこそ、実務を処理する“大和魂”を世の中で発揮できる可能性も高いでしょう。当面は心もとないようですが、最終的には世の重鎮となるべき心構えを学んでおけば、私がいなくなっても安心できる」と判断したし、「学問」を身につけさせるため、あえて六位を与えたと言うことです。

平安時代以後、「大和魂」は死語となった言葉でしたが、本居宣長によって、再び取り上げられ、漢意(からごころ)に対して作為をくわえない自然で清浄な精神性という思想的で倫理的な意味合いを与えられたようです。

古来より日本人は桜を愛でており、満開になるやいなや、さっと散る桜花は、 絶好の<潔さ>の象徴であり、日本人はこれを美徳としていました。
武士道にもあったこの潔く散る桜を尊ぶ精神が 明治以降の皇国日本への愛国心、忠誠心を第一とすることに受け継がれ、その 心を「大和魂」として解釈されるようになっていったのではないかと言われています。