6月20日の第3日曜日は「父の日」です。
今日は「父の日」の由来について調べました。
「父の日の由来」
「父の日」とは、父に感謝の気持ちを表す日でアメリカで起った行事です。
1909年にアメリカ・ワシントン州のドット夫人は、「母の日」の説教を聞いていて、「父の日」もあるべきと考えたそうです。
母の亡き後、子供6人(自分と5人の兄達)を男手一つで育ててくれた父を称えるため、自分が通う教会の牧師にお願いして、父の誕生日の6月に「父の日」の礼拝をしてもらいました。
この日が1909年6月19日の第3日曜日であり、このことがキッカケで、ワシントン州では6月の第3日曜日が「父の日」になったといわれています。
その後1916年、第28代ウィルソン大統領の時に「父の日」が認知されるようになり、1972年に第37代ニクソン大統領になって、アメリカでは国民の祝日に制定されたそうです。
日本では、1950年(昭和25年)頃から「父の日」が知られるようになりましたが、一般的な行事となったのは1980年代になってからといわれています。
・父の日の花はバラですが、これはドット夫人が父の好きだったバラの中から、白いバラを墓前に供えたことに由来しています。
・最近では、「父の日」に捧げるバラの花は、お父さんが健在なら赤いバラを、亡くなっていれば白いバラを捧げているようです。
・黄色は各国でも大切な色とされているようです。特に、イギリスでは昔から「黄色」は身を守るための色との言い伝えがありました。
それがアメリカにわたって「幸せの黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願う」シンボルとなったそうです。
このようなことから日本でも最近になって黄色を「父の日」カラーとするところが多くなり、黄色いバラも贈られるようになっているようです。
「父の日のプレゼント」
「父の日のプレゼント」は、父親の好きなものを贈るのが一般的ですが、今年は定番のポロシャツやベルト、財布などの他にリラクシングウエアと呼ばれる室内着や、デザイン性のあるステテコなどに人気があるようです。
他にも、背中部分にダーツ(絞り)があり、腹部をすっきりと見せるシャツや、速乾、防臭加工したシャツの人気が高く、シャツやネクタイのセットで3~5千円程度が相場と言われています。
(参考)
「世界の父の日」
・ 1月 6日 セルビア
・ 2月23日 ロシア
・ 3月19日 イタリア、ポルトガル、スペインなど
・ 5月 8日 韓国
・ 6月 5日 デンマーク (デンマークの憲法記念日)
・ 6月 第3日曜日 日本、アメリカ、カナダ、イギリス、アイルランドなど
・ 8月 8日 台湾 (台湾語で「パパ」と「88」の発音が同じから)
・ 8月 第2日曜日 ブラジル
・ 9月 第1日曜日 オーストラリア、ニュージランド
・10月 第1日曜日 ルクセンブルグ
・11月 第2日曜日 スウェーデン、フィンランドなど
・12月26日 ブルガリア
今日は私のニンニク栽培についてご紹介します。
ニンニク(大蒜:オオヒル)は、ネギ科(ユリ科)の多年草で、古くから世界各地で栽培されているそうです。
紀元前3200年頃には既に古代エジプトなどで栽培・利用されていたと言われています。
原産地は中央アジアではないかと推定されており、紀元前140年頃中国に伝わり、日本には中国を経て8世紀頃に渡来したと見られています。
日本では禅宗で、強壮作用が煩悩(淫欲)を増長するとされて仏教の僧侶の間ではニラ、ネギなどと共に五辛の一つとして食が禁じられました。
なお、五辛とは、臭みのある5種類の蔬菜(そさい:野菜のこと)で、仏家では、ニンニク、らっきょう、ねぎ、ひる、にらの各野菜を言います。
・収穫したニンニクです。このニンニクは今年秋に植付ける種球根(鱗形)に使用する予定です。
ニンニクは、日本では「野蒜(のびる)」など根茎を食用とするユリ科の植物を総称して「蒜(ひる)」と呼んでいましたが、特に「野蒜(のびる)」と区別する場合は「大蒜(おおびる)」と称したようです。
この漢字表記の「蒜(ひる)」または「大蒜(おおひる)」は漢語からと言われており、ニンニクの語源は、困難を耐え忍ぶと言う意味の仏教用語の「忍辱(にんにく)」からとされています。
・ニンニクの蕾です。
ニンニクの球根(鱗形)は大きく、数個の小鱗形に分かれ、茎の高さは50~60cmくらいまでになり、葉は広線形をしています。
球根(鱗形)は香辛料として利用され、肉や魚の臭みを消し、香味を添えるのに用いられ、強壮薬としても利用されます。
1709年頃に創刊された貝原益軒著の「大和本草(やまとほんぞう:和漢の本草1362種を収録)」では、悪臭甚だしくとも効能が多いので人家に欠くべからざるものとして評価されているそうです。
・収穫したニンニクと茎です。
茎の先に付いている丸いものは蕾ですが、この蕾をつけていると栄養がこちらにいくので、5月始めには茎と共に取り除きます。
取り除いた蕾の下の茎は「ニンニクの芽」として食べることができます。
「栄養」
ニンニクの主な栄養素は、アリシン、スコルジニン、ビタミンB1、ビタミンC、カリウム、鉄、たんぱく質、糖質などが含まれているようです。
「効能」
・ニンニクの強い臭いのもととなる成分のアリシンは、強力な殺菌作用をもっています。
このアリシンは、チフス菌を始め大腸菌・コレラ菌など様々な細菌に対する抗菌作用のほかに寄生虫の駆除や食中毒予防・血液循環促進・保温作用などが認め
られているようです。
・スコルジニンは、善玉コレステロールを増やし、悪玉コレステロールを減らす働きがあり、血液がさらさらになり、血圧を下げる効果があると言われています。
更に、スコルジニンは栄養を完全燃焼させるので、食べたものを効率よく代謝し、肥満防止に効果的と言われています。
・ニンニクには、細胞を若返らせ、体力の増強、肝機能の回復促進作用、精力増進、増血作用、ビタミン類の体内留保などの効果があるそうです。
このようにニンニクには動脈硬化、血栓、高血圧、ガン、冷え性などの予防効果があることから、ニンニクは新陳代謝を促進するスタミナ野菜と言われています。
「私の栽培方法」
1.土作りは堆肥と石灰をよく混ぜて幅60cmの畝を作ります。
2.市販の種球根2個を購入し、そのまま丸ごと仮植して芽出しします。
3.芽が出たら種球根(鱗形)をばらし、株間20cmで2条に植えつけました。
4.春先には茎の先端に蕾ができるので、この蕾や茎は球根を大きくするために取り除きます。
5.取り除いた蕾の下の茎は「ニンニクの芽」として料理に利用できます。
6.6月中旬になって下の葉が半分~2/3くらい枯れてきたら収穫します。
そこで、今日は「海外移住の日」とその背景について調べました。
「海外移住の日」とは、1908年(明治41年)6月18日、日本からの初の集団移住者158家族、781名を乗せた移民船「笠戸丸」が、神戸港を出航して以来2ヶ月の航海の後、ブラジルのサントス港に始めて入港したことを記念して、昭和41年(1966年)に総理府(現内閣府)によって定められた日で、日本と移住先国との友好関係を促進するための記念日となっています。
・笠戸丸です(ウィキペディアより)

日本人の海外渡航は明治維新(1868年)とともに始まりました。
日本は明治維新によって世界各地を結びつける国際経済、労働市場、交通網の一部となり、近代化と社会変化が起りました。
特に農業形態や経済構造が変化する中で農村部を中心に余剰労働力が生まれ、これが海外移住につながったようです。
「海外移住が生じた背景」
・日本の人口は明治維新の頃が約3千万人、昭和初期は2倍の約6千万人に増加したと言われています。
戦後の敗戦によって外地から引き上げてきた段階では、更に増えて約8千万人になったそうです。
このように人口が倍増したにもかかわらず耕作面積は殆ど増えなかったこと。更に農業技術の向上による収入増だけでは人口増を養えなかったこと。
・農村の余剰人口は都会に流出して労働者になりましたが、第一次大戦後の長期不況で労働力の余剰感が強まったこと。
・その結果、農村・都市の双方で大衆の生活水準の伸び悩み・低下が見られたこと。
等によるようです。
その典型例が、飢餓線に近い低生活水準であった東北の農村の惨状です。この時期、冷害による不作が続いたことも悲惨さを拡大しました。
・また、海外への移民募集には「地主になれる」、「金を貯めて故郷に錦を飾れる」ことを謳ったものが多かったこと。
しかし、実際は、宣伝と実態が大きく違うものが多かったようです。
移民先は、ハワイ、アメリカ本土、中南米、満州等だったようです。
明治中期~後期には、ペルーへ最初の契約労働者の渡航が始まり、やがてラテンアメリカへの日本人渡航が盛んになりました。
そのなかでも、特にブラジルが日本人移民労働者の主要な渡航先になりました。
当時、新天地ブラジルにいろいろな夢を見て入植した人たちには厳しい現実が待ち受けていました。
ある者は辛い生活を送りながら挫折し、ある者は成功して農場主になるなど様々だったようです。
1997年に天皇皇后両陛下がブラジルをご訪問された際に、第1回移住者の中で最後の生存者の中川トミさんが歓迎式典に招かれたそうです。
戦後、サンフランシスコ講和条約(1951年)が日本の独立を許すと、政府はラテンアメリカ諸国と条約を結び、日本人定住農業移民を送るようになりました。
1952年にブラジルへ戦後最初の移民団が渡航すると、その後、ラテンアメリカを中心に多くの日本人が移住しました。
しかし、1960年代に日本の経済が復興すると、日本人の組織的海外移住は次第に終結に向かいました。
そして、1980年代になると南米の経済恐慌と日本のバブル経済の影響で、多数の日系ブラジル人やペルー人が日本に出稼ぎにやって来る現象が始まりました。
「笠戸丸」
笠戸丸は6000総トンで平均速度は約10ノットです。船足は遅いですが長距離航行に優れており、明治時代後期から昭和初期にかけて外国航路用の船舶として用いられました。
ハワイやブラジルへ移民が開始されると移民船として使われたことでよく知られています。
移民用では最大1000人収容できるように船底の貨物室を改造したようです。
先ず、キウイの概要について調べました。
キウイは、マタタビ科マタタビ属の雌雄異株の落葉蔓性植物で、シナサルナシという中国原産の植物が1904年にニュージランドに移入されて栽培され改良されたものだそうです。
次に、キウイの世界最大の生産地はイタリアで年産50万トン弱と言われています。次いで中国の30数万トン、ニュージランドは第3位で30万トン程だそうです。
日本は33千トン程度の生産量といわれており、その内、最大の生産県は愛媛県で8200トン、全国シェアは25%を占めているそうです。次いで福岡県、和歌山県となっています。(2007年度のデータ)
我が家も十数年前からキウイを庭植えで栽培しています。
キウイは雌雄異株の落葉蔓性植物なので雄木と雌木の2本を植える必要がありますが、狭い庭に植えている我が家では、雌木に雄木を接木して1本の木で栽培しています。
・5月の初旬に開花した雄花です。

同じ木に雌雄の花が咲きますが、咲く時期については雄花が早く5月の初旬から咲き始め、雌花は中旬から下旬にかけて咲きます。
この開花のズレは接木で1本に咲かせても、雌雄別々に植えても変わりありません。この開花のズレは受粉に影響してきます。
昨年は雌花が咲いた頃は雄花は殆ど咲き終わっており、更に、数日続いた降雨によって全く受粉ができず、果実の肥大が見られませんでした。
今年も昨年同様、雌雄花の開花時期のズレと降雨によって殆ど受粉ができていません。
・5月中旬に咲いたキウイフルーツの雌花です。

・花の中央の白いところが雌しべです。受粉後これが大きくなって幼果になり、更に肥大してキウイフルーツになります。

5月中旬に咲いた我が家のキウイは、開花から1ヶ月ほど経過し、雌花が可愛い幼果に変わってきました。
キウイフルーツの成長は早く、2ヶ月位で収穫果実の80%くらいの大きさに成長すると言われています。
このため、大きなキウイを生産するには摘果作業が重要になります。
摘果の目安は、1結果枝当たり2~3果になるように枝元、枝先の順に摘果します。理想的には果実1個に対して葉を5~6枚つけるようです
・摘果前のキウイの幼果です。

摘果後の作業としては6月上旬と9月上旬に「追肥」として化成肥料を施肥します。
更にキウイは乾燥に弱いので、夏の水遣りを欠かさないようにします。
もし害虫がつくようであれば予防駆除します。
・これがキウイの幼果です。 同じように開花しても受粉の成否によって大きさが変わってきます。

「キウイの栽培方法」
・「剪定」 12月~1月に冬剪定を行います。(2月下旬に剪定すると樹液が切口から出てきて樹体を弱らせます。)
6月~7月に夏剪定を行います
・「肥料」 1月に、幹から1m程度のところに四ケ所の溝を堀り、市販されている寒肥を入れています。
・「受粉」 5月中旬に開花したら雄花の花粉を雌花に人工受粉します。
・「摘果」 開花後2ヶ月くらいで収穫果実の80%くらいの大きさになります。
沢山花が咲いたときには、長果枝で3~4個、短果枝で2個を目安に摘果します。中央を残すように枝の基部、先端の順に摘果します。
・「収穫」 11月頃、霜の降りる前に収穫します。
・「追熟」 収穫後追熟します。
方法は買い物袋の中にキウイとリンゴを入れて結んでおきます。1週間から10日ほどで柔らかくなりますので、その頃から食べられるようになります。
先日、1時間ほど座布団に正座する機会がありました。
そこで今日は座布団のマナーについて調べました。
「座布団の始まり」
座布団は鎌倉時代の頃に始まったようであり、現在のような形となって広く庶民にも普及したのは江戸時代中期と言われています。
古くは権力者や高僧などの権力の象徴として用いられたようです。このため丁寧語として「御座布団」と呼ぶこともあります。
現在、「御座布団」と呼ばれるものは、宗教的行事などにおいて僧侶などが座る際に用いるための特別に弾力性に富んでいたり、装飾が施されてた物を指す場合に使われているようです。
「座布団の種類」
座布団にはその大きさによって「茶席判(43cm×47cm)」、「木綿判(51cm×55cm)」、「銘仙判(55cm×59cm)」、「八端判(はったんばん59cm×63cm)」、「緞子判(どんすばん63cm×68cm)」、「夫婦判(めおとばん67cm×72cm)」等、独特の名称がつけられています。
日本工業規格(JIS)では、「木綿判(51cm×55cm)」をSサイズ、「銘仙判(55cm×59cm)」をMサイズ、「八端判(はったんばん59cm×63cm)」をLサイズと定めています。
これらの内、一般に最も広く流通しているのが「銘仙判(団地サイズ)」と「八端判(旧式サイズ)」と言われています。
「座布団のマナー」
座布団は表を上にして、正面をお客様の膝頭が来るほうに向けて準備します。
お客様は予め家人が準備した座布団の位置は勝手に動かさないと言うマナーがありますので、準備する人は座る位置を考えて準備しましょう。
また、訪問先では家人にすすめられるまで座布団を使わないのがマナーです。
案内された時にすすめられた場合には、「失礼します」と会釈をして座布団に上がって構いませんが、先方が来られて挨拶する時には座布団を下りて行います。
案内時に何も言われない場合には、座布団の横(下座側)または後ろに座って待ちましょう。 (暮らしの歳時記HPより)
・案内時に何も言われない場合には、座布団の横(下座側)または後ろに座って待ちます。
「座布団の正しい座り方」
座布団の横(下座側)または後ろに、爪先を立てて膝をつく姿勢(跪座といいます)になり、軽く握った両手で体を支えるようにしながらにじり上がります。
座布団から下りるときも、同じようににじり下がります。
いずれの場合も座布団を踏まないようにしてください。
「座布団の表」
座布団にも表と裏があります。座布団の表は中央にある締め糸の房があるほうが表になります。
但し、最近では両面使えるように締め糸がない座布団や両面に房のある座布団も見られます。
・真中に房があるほうが表です。
「座布団の正面」
座布団は三方が縫い合わせてありますから、縫い目のない一方が丸くなっており、こちら側が座布団の正面となります。
また、座布団カバーをかけているときはファスナーのあるほうが後ろ側となります。
但し、正式に使用するときにはカバーのかけていない座布団を出します。
・縫い目のない側が正面となります。
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座布団は、現在でも和室での作法の一つとして古くからの伝統が残っています。
お客様をお迎えする時の準備や訪問した時の作法など、くれぐれも間違いのないように気をつけましょう。
今日からブログを再開しましたので、引き続きご愛読くださいますよう宜しくお願いします。
再開初日の今日は「アスチルベ」の花をご紹介します。
「アスチルベ」はユキノシタ科アスチルベ属の多年植物で、東アジアや北米に25種が分布し、そのうちの6種が日本に自生している日本原産の花です。
別名をショウマ(升麻)、アワモリソウ(泡盛草)、アケボノショウマ(曙升麻)といわれています。
・「アスチルベ」は小さな花が泡のように集まって咲きます。

「アスチルベ」の語源はギリシャ語の「a」(~がない)と「stilbe」(輝き)の合成語であり、輝きがなく、地味なことを意味していると言われています。
しかし、煙るように見える独特の花は遠くからでもよく目立ち、近年のガーデニングブームと共に人気品種となってきた花です。
・花壇や鉢植え、切り花などによく利用される「アスチルベ」です。

一般的に栽培されている「アスチルベ」の品種はヨーロッパで改良されたもので、「アレンジー」と「ロゼア」という2つの品種とそれをさらに改良した品種がよく栽培されているようです。
「アレンジー」の花色はピンク、白、赤などがあり、「ロゼア」には白やピンク色の花があります。
いづれの品種も中国原産の品種と日本原産の品種を掛け合わせて作られた園芸品種だそうです。
・「アスチルベ」の葉は小葉に鋸歯のある羽状複葉です。

「アスチルベ」の草丈は40~80cm、花期は5月中旬から7月、直立する茎先に赤やピンクの小花を密集して円錐状につけます。

・我が家の「アスチルベ」は淡いピンク色でとてもきれいな花です。

そこで今日は「アカンサス」の花と伝説についてご紹介します。
「アカンサス」はキツネノマゴ科ハアザミ属の多年草です。
原産地は地中海沿岸、トルコ、熱帯アフリカで、日本には大正時代に渡来しました。
現在よく栽培されているものは地中海沿岸が原産地のA・モリス(和名:ハアザミ)だそうです。
葉はアザミのような形で切り込みがあって長さは50~60cm、花茎は100㎝~200㎝にもなり、唇形の花を花茎の下部から上部にかけて順に多数咲かせます。
・これが「アカンサス」です。

「アカンサス」のアザミに似た大きな葉は、成長力の強さや形の美しさから古代ギリシャの建築や彫刻、壁画のモチーフとされています。
・古代ギリシャの建築や彫刻、壁画のモチーフとされているアカンサスの葉です。

特にギリシャ建築のコリント式オーダーはアカンサスを意匠化した柱頭を特色としています。
アカンサスは古代ギリシャでは聖なる植物とされ、東洋のハスと同様に昔からおめでたい植物とされていたようです。
・これがギリシャ建築の柱頭に彫刻されているアカンサス模様です。(ウィキペディアより)
・古代ギリシャ建築「コリント式」由来の伝説
「アカンサス」が芸術作品に用いられる由来については次のような伝説があるそうです。
『昔、コリントスで少女が亡くなりました。その死を哀れんだ乳母は少女が大切にしていた玩具をバスケットに入れて墓に供えました。
春になって、そこを通りがかったカリコスマという彫刻家が、墓の上に見事に伸びた若葉がバスケットの縁に美しいデザインで絡みついているのを見つけました。
彼はここからヒントを得て、柱頭をアカンサスの葉で飾るコリント形式を思いつき、石に彫って永遠の芸術にした』というものです。

アカンサスの名前はギリシャ語の「とげ」に由来していると言われています。これは苞葉(ほうよう)の部分にトゲがあるところから来ています。
このトゲについてギリシャ神話では次のような伝説があるそうです。
・アカンサスの名前の伝説
『美しい娘アカンサスを太陽の神アポロンが見初め、求婚しましたが拒否されます。
それでも近づいてくるアポロンを爪で引っかいたので、アポロンは彼女を爪のようなトゲのあるアカンサスに変えてしまった』と言うものです。
・名前の由来となっている、トゲがある苞葉(ほうよう:花の基部につく小さな葉)です。

「アカンサス」は、主にハアザミと呼ばれるアカンサス・モリスとナガハアザミと呼ばれるアカンサス・バルカニクスの2種が栽培されており、日本ではモリス種が多いそうです。
・「アカンサス」の花です。

「アカンサス」は、神殿建築や美術・工芸において「アカンサスの葉飾り」と呼ばれ、装飾モチーフとして多く用いられていますが、薬用としても、葉は日焼けや火傷に、葉や根は下痢止めや止血などにも使われるようです。
更に、現在ではギリシアの国花にもなっています。
・アカンサスの大きな葉と花です。

「お詫び」
いつも当ブログを見ていただきありがとうございます。
誠に勝手ながら、明日10日から14日まで休ませていただきます。
15日から再度書き出す予定にしていますので、引き続き宜しくお願い致します。
今日も大阪南部熊取の長池公園の花をご紹介します。
この花は初めて見る珍しい花なのでご紹介しようと思い、5月19日に撮影したものですが、名前が分からなかったので調べているうちに本日になりました。
この花は、マメ科キングサリ属の落葉中高木で、「キングサリ(金鎖)」と言う花であることが判明しました。
原産地はヨーロッパ中南部で、日本には明治時代に渡来したようです。
学名はLaburnum(ラバーナム)と言い、古代ギリシャ語で「金鎖」の意味だそうです。
・5月19日に撮影しました「キングサリ(金鎖)」です。
「キングサリ(金鎖)」は、5月~6月にかけて2cmほどの大きさの蝶に似た形の花を房状につけます。
花は枝からぶら下がって咲き、見た感じは「黄色の藤」と言った感じです。
房の長さは30㎝前後で、藤に比べれば若干短いですが、鮮やかな黄色の花は美しくよく目立ちます。
葉の形は長い柄が伸びてその先端に小さな葉を3枚つける三出複葉(3つの小さな葉に分かれた形)です。
・三出複葉の三枚の葉もきれいです。
「キングサリ(金鎖)」は、ヨーロッパでは一般的に見られる花木で、樹高は3~5mと大木に育つようです。
エニシダなどと同じく、五月中頃に黄金色に輝くマメ科特有の形の花を咲かせた姿はかなり豪華です。
・黄色の藤の花を思わせる「キングサリ(金鎖)」の花です。
「キングサリ(金鎖)」は別名を「ゴールデン・チェーン」「キバナフジ(黄花藤)」と言います。
和名の「キングサリ(金鎖)」は、英名の「golden chain(金の鎖)」をそのまま訳したものです。
黄色い花が鎖のように垂れ下がる様は、正に「golden chain(金の鎖)」の名前がぴったりの花です。
・マメ科特有の花がきれいな「キングサリ(金鎖)」です。
「キングサリ(金鎖)」には、根、幹、樹皮、葉、種子など、全体にアルカロイドが含まれており有毒植物とされています。
・数週間後には花を全て摘み取り三出複葉の葉姿になっていました。
花後も三出複葉の葉がきれいな「キングサリ(金鎖)」です。
週間天気予報では、今週末の12日頃から入梅の予想も出始め、梅雨を代表する花「アジサイ(紫陽花)」の開花も各地で見られるようになりました。
今日は我が家で一足早く咲いた鉢植えの「ベニガクアジサイ(紅額紫陽花)」をご紹介します。
このアジサイは咲き始めは白色で次第に赤色に変わっていく珍しい品種です。
・咲き始めは花弁(ガク)が白い「ベニガクアジサイ(紅額紫陽花)」です。
「アジサイ(紫陽花)」はユキノシタ科アジサイ属の落葉低木で、学名のハイドランジアは「水の容器」と言う意味だそうです。
最も一般的に植えられている球状のアジサイは「セイヨウアジサイ」と言われ、日本原産の「ガクアジサイ」を改良した品種だそうです。
・数日後には、ガク(花弁)が次第に赤く変色してきました。
アジサイの基本的な形は、中央にある小粒の「両性花」と、その周辺を取り囲んだ平たい「中性花」のガクブチ型(いわゆる「ガクアジサイ」)だそうです。
「中性花」は本来は花弁ではなく、「ガク」が変化したもので、装飾花とも呼ばれています。
全体が「中性花」ばかりになると同時に、形が球形になった品種が「テマリ型」と呼ばれています。
この「ガクブチ型」と「テマリ型」の二つが主流ですが、他にもガクブチ花が半球状になったものや、ノリウツギのように花形がピラミッド型のものなどがあるようです。
・額が赤く変色した「ベニガクアジサイ(紅額紫陽花)」です。
「ガクアジサイ」は古くから日本で栽培されている日本原産の花木で、花色は青紫、紅紫、赤、ピンク、青、白など豊富にあります。
今日ご紹介している「ベニガクアジサイ(紅額紫陽花)」は、ヤマアジサイの園芸品種で、咲き始めは白色ですが次第に鮮やかな赤色に変わります。
・白とピンクが混じった「ベニガクアジサイ(紅額紫陽花)」です。
アジサイには毒性があるそうです。牛や山羊、人などが摂食すると中毒症状を起こし、過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死亡する場合もあるそうです。
・ピンクが鮮やかな赤色に変色します。
外国にも自生のアジサイはあるようですが、今あるアジサイの殆どは1879年(明治12年)にイギリスの園芸家が日本から持ち帰ったアジサイを親として改良したことから始まったそうで、現在ではヨーロッパにとどまらず各国で栽培されています。
・ガク(花弁)全体が赤くなると花も終わり、ガクが萎れてきます。
(参考)
アジサイは一般的に次のように分類されるようです。
1.ガクアジサイ ユキノシタ科アジサイ属の落葉低木です。日本原産のアジサイでアジサイの原種です。
2.ヤマアジサイ ユキノシタ科アジサイ属の落葉低木です。紫陽花の変種で花、葉が紫陽花よりも小さめです。アジサイ同様園芸種が多いようです。
3.エゾアジサイ アジサイ科アジサイ属の落葉低木で、草丈は1~2mにないます。青色、青淡色の小さな両性花の周りに花弁4枚の装飾花をつけ、ヤマアジサイ
より全体が大きいようです。
4.その他の自生種
5.栽培種(セイヨウアジサイ・改良種)
今日、6月6日は二十四節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」です。
「芒種」とは、「芒(のぎ)」のある穀物の種を蒔く時期と言う意味です。
新暦の現在では、入梅も近くなったこの頃が稲の種蒔き(田植え)をする時期であり、農繁期の到来となります。
暦便覧にも「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」とあります。
芒種の「芒(のぎ)」は、稲や麦など、イネ科の植物の果実を包む頴(えい)、即ち稲で言う籾殻にある棘のような突起を言います。
・田起こしを済ませて田植えの準備を終えた田です。
芒種の頃は、梅の実も色づき始め、モズが盛んに鳴き始め、蛍が川から上がって草に宿り始め、蟷螂(カマキリ)などの虫の孵化が始まる気候とされています。
・水を入れて準備をしている田です。6月中旬に田植えの予定だそうです。
右端の小屋とみどりの網で囲った一帯が私の畑です。
テレビを見ていると、既に田植えが終わっている地区や、田に水を張って田植えの準備を済ませているところなどさまざまのようですが、私が住んでいる大阪南部の熊取では今月中旬に田植えを行う農家が多いようです。
既に田植えが終わっている水田も目立つようになりました。
・既に田植えが終わったF氏の田んぼです。